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はい、どうもゆうとです。今回はですね、ボート競技の日本代表に関わるまでの道のりという話をしてみようかなと思うんですけども、
最近ですね、これまでの働き方とか暮らし方とかどう考えて行動してきたか、みたいな話をいろいろして言ってるんですけども、自分の中のキャリアの最初の
大きな目標っていうのが、このボート競技の日本代表のトレーナー活動をするみたいなところでですね、20代の時は結構本当にここに注力していたような感じで、
いろいろ思い出もありますし、学んだこともあるなと思うんで、今回ちょっとこれを振り返って喋ってみようかなと思うんですけども、
もともと自分はスポーツやってて、小中高とか水泳部で、大学からボート部に入ってやってたって感じなんですけども、大学で本当なんかハマってしまったっていうかですかね。
自分の母校だとですね、アメフトとラクロスとボートが結構強かったんですけど、
もともと水泳やってたとか、数字で結果が出るとかですね、こういう方が性に合ってる感じなんで、ボート競技にしてですね、人生のうちでもスポーツ本気で取り組むって大学生ぐらいしかないかなと思ってたので、
ひょんなきっかけで入ってみたんですよね。本当にボート部の生活って結構クレイジーな感じでですね、1週間のうちで朝とか夕方で分けると14回回るって感じだけど、そんな10回ぐらいはもう練習とかトレーニングっていう感じで、朝もですね、
まあ合宿生活で集団で暮らしてるって感じだったんですけど、朝4時半とか5時に起きて、2時間ぐらい練習して、大学行って、まあ結構寝てた時もありますけどね、授業で。
なので本当部活が中心みたいな感じだったんで、で夕方また練習して、もう夜もですね、9時半ぐらいに寝るみたいな、まあこんなのを結構年から年中続けてたっていうような感じで、でですね、まあちょっと部活の話はあんまりしすぎないようにしてますけど、で理学療法っていう学問を学んでたのもあって、
まあこんだけスポーツバリバリやって、体のことを学ぶんだったら、やっぱりこう日本代表に関わるようなトレーナー活動ってしてみたいなぁと思うようになってきたんですよね。
でですね、その自分の母校の冒頭部に社会人のトレーナーっていう形で関わってくださってた方がいて、まあ今でもこう恩師みたいな感じですね。
結構その方のおかげで実際日本代表関われたっていうのもありますし、まあいろいろこう厳しい指摘とかも中ではあって、本当なんか指定関係に近いような感じだったと思うんですけど、まあそういういい出会いもあったりして、まあ徐々に本格的に目指すことになるんですよね。
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まあ一応こう本気で目指そうと決めたのは大学の3年生ぐらいの時で、実際にですね、まあその時まだ選手やってたんで、選手自体も結構しっかり取り組みたくて、まあ日本一になりたいみたいな、結構チームとしても思ってましたし、まあ自分も思ってたので、まあトレーニングしながら、まあそういうトレーナー活動を目指すみたいなことをやってましたね。
でですね、まあ日本代表に関わるトレーナーになろうと思うと、まあ大学で学んでた理学療法だけじゃなくて、こう日本スポーツ協会購入のアスレティックトレーナーっていう資格が必要になってきてですね、でそれを取らないといけないっていうことが徐々に分かってきて、でその資格を取るためには専門学校に通うか、
そのどこかの協会から推薦をもらう、なんで自分の場合はボート競技で日本代表のトレーナーになろうと思ってたので、日本ボート協会っていうところから推薦をもらうことを目指し始めましたね。
でまあそのためには、まあやっぱりこう日本代表に関わるトレーナー活動とかをしていかないといけないというか、まあ少しずつ関わっていくことが必要で、まあその足掛かりを作ってくれたのがその恩主の先生っていう感じでしたね。
まあその先生はそのアスレティックトレーナーっていう資格を既に持っていて、もともと関わってたのはレスリングとかそういうものだったんで、ボートはちょっと遠かったんですけど、まあそれもひょんなきっかけで関わっていただくことになって、ただその頃は自分が学生の頃はですね、日本代表とかには関われてなくて、
ただまあ自分はそういう方に行きたいと言った時に、そのすでにボート協会の方で活動している日本代表のトレーナーの方に最初にその方が関わってくれたんですよね、自分が学生のうちにはまだすぐには関われないけど、まあそれでその方がその日本代表に関わっていく中でちょっとずつ自分のことも紹介してくれるようになって、
でですね、徐々に関係性をつくっていったという感じですね、ただこのアスレティックトレーナーという資格の推薦をもらうまでに結構時間がかかって、学生のうちからこう推薦書みたいなものを出していたんですけど、
初年度はそれが通らなくて、2年目も通らなくて、それが大学4年目5年目の時っていう感じなんですけど、やっぱり書類だけで顔も知らない人を推薦に出すわけにはいかないっていうような感じで、結構ハードルが高かったんですよね。
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そこでその恩師の方が実際に関わっていく中で、日本代表の選手に関わっていくんですけど、その見学をさせてもらうとかですね、実際にこう推薦をもらうことになるのは大学院の修士の2年目だったんで、その学部終わってから大学院の間も結構いろいろあったっていう感じですね。
日本代表のトレーナーの活動がどういう形で行われているかっていうと、高校生ぐらいのジュニアのカテゴリーと大学生とか社会人、高校から卒業して実業団でやる人もいるんで、U23、アンダー23のカテゴリーがあるのと、その上のシニアというカテゴリーがあるんですけど、それぞれのカテゴリーで担当しているトレーナーの方とかがいたりして、
その恩賜の方はですね、ジュニアとか最初アンダー23ぐらいから関わり始めて、徐々にそういうシニアレベルの人まで繋がりができてきたりするんですけど、その過程で日本国内でいろいろ合宿があったりとか、国外での試合があったりするんで、それをちょこちょこ見学とかさせてもらうようになってきたのが大学院の時でしたね。
でですね、本当に大学院の頃は研究活動もしながら、でもその推薦をもらって日本代表のトレーナー活動をしたいというのが結構軸としてあったんで、週末は自分の母校のボート部に関わったりとか、その日本代表の合宿が国内であれば見学させてもらいに行くとかですね。
あと大学院だと、学会発表っていうのがあって、日本国内外があってですね、それで国外で学会発表をする機会っていうのも徐々に大学院のうちで作り始めるんですけど、その学会がある前後でちょうどそのボート競技のワールドカップっていうのが行われたりする時もあって、
無理やりその学会期間から延長して自費で滞在して、その国外の試合の見学とか、トレーナーさんの態度とか、こういうのもさせてもらったんですよね。
結構ですね、ここまでする学生だったりとか、その日本代表のトレーナー活動したいっていう人がやっぱりあんまりいなかったみたいで、結構これが印象を持ってもらって、実際に推薦もらえることになったみたいのは、よくよく考えるとあったのかなと思いますし、実際に後で話し聞いても、あの行動は相当印象に残ってて、
まあ本気なんだなっていうのが通じたというか、感じたみたいなことをその日本代表のトレーナーの方も言ってくれたりするんで、こういうですね、結構印象に残るようなアピールっぽい活動も、やっぱり推薦をもらうとか、こういうことに関しては重要なんだなみたいなことを感じたりしましたね。
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あとちょっと話戻りますけど、その大学の学部の卒業研究みたいなものも、その全国の大学のボート選手の障害調査、どういうけがが多いのかみたいな調査もしたりして、まあそういう研究活動みたいなことまで行う日本代表のトレーナーの方ってあんまりいなかったんで、まあこういうのも一つのアピールの材料になるんじゃないかなみたいなことも思ってやったりしましたね。
後々やっぱりこういう活動も生きてくるなと思うんですけど、そうやってなかなか推薦もらえるまでに時間がかかりましたけど、研究活動でアピールしたりとか、現場で見学に行ったりとか、こういうので実際に大学院の修士の2年目で推薦はもらえることになりましたね。
でですね、そこからアスレティックトレーナーっていう、まあここまで推薦もらえることになるとだいぶ現場では認知ができて動きやすくなるんですけど、その推薦をもらって資格を取るっていうときに、1週間ぐらいですね、なんか泊り込みの研修とかがあったりして、その大学院博士に行くことになるんですけど、結構この博士課程に行ったっていうのはその研修を受け入れるようにしとくためみたいな、
こともちょっと裏側ではあったりしてですね、やっぱり修士、例えば卒業して一般企業に勤めるとか、病院で勤めるとかすると、やっぱりこういう1週間泊り込みの研修とかってもうなかなか行きづらいですし、まあそういう意味で大学院で研究してるっていう立場であれば、まあこういうのも行きやすいんで、
まあなんとか研修とかはいけたみたいなのがありましたね。ただこのために結構研究自体は両立が難しくて結構大変だったこともあるんですけど、まあこれはまた研究に関する話でできたらと思いますが、まあそういうのもあって最低2年でそのアスレティックトレーナーという資格は取れるはずなんですけど、その1回目の筆記の試験に落ちてしまってですね、
だから翌年に繰り越してなんとか次で受かった感じなんで、それで次の試験も受けて、実際にアスレティックトレーナーという資格を取れましたね。
なんで結構ですね、そのボート競技の日本代表トレーナーになるっていうまでで、まず部活にハマりすぎてというか、まあ本気で選手をやるために1年学部も留年しましたし、まあ推薦もらうのにも結構時間がかかったし、資格取るにも1年筆記落ちて取ったみたいな感じなんで、こうほんと準備段階で結構時間もかかりましたけど、まあその間にね、
でもなんか気持ち切らさずにじっくり、まあ自分のスキルを高めていったりとか、関係性を作っていって、で実際に資格取った後はですね、まあ国内外、ほんと合宿とか試合とか帯同があれば遠征にも行ったりしましたし、
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まあその後は、まあ自分のスキルを高めていったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行ったりとか、で実際に試合に行った
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まあこんなことがありましたみたいなちょっとした思い出話でした以上です ありがとうございます