1. 営農とサブカル
  2. 農村怪談 第五集
2023-08-19 1:10:08

農村怪談 第五集

当番組、年に一度のお楽しみ。農村であった怖い話を話す農村怪談です。 残すところわずかになってきた農村であった怖い話。 今回で最終回となるかはわかりませんが、最終回近辺にふさわしい「話すと障りがある話」と「聞くと障りがあるかもしれない話」を加えてお話ししております。 ご感想は、概要欄にあるGoogleフォームよりお寄せください。 もしくは、SpotifyのQ&Aページでも承っておりますので、なにかございましたらご連絡くださいませ。


チャプター情報

第一話「カメラのおじさん」

第二話「蛍のいる水田」

第三話「鏡」


キーワード

#農村怪談 / #怪談 / #怖い話 / #オリジナル怪談

サマリー

農村怪談の第五集では、農家の小林匠さんの葬儀の際に起こる怪奇な体験や、彼の親戚のがっちゃんから聞いた卓美さんの自殺未遂の話が紹介されています。たくみさんとカメラのおじさんという人物による写真の思い出が語られます。北海道の農家、大瀧さんと西口さんがインチキストーンの効果を試し、水田でホタルの個体数が爆発的に増えます。宇宙の光や鏡などの不思議な現象が農家さんたちの間で起きています。その中で、Aさんは鏡の中から自分が出てきて触れられ、Bさんは時間が遅れる鏡を使って遊んでいましたが、鏡の中の自分に負け続け、体の特徴が変わってしまいました。354消防団の施設に忍び込み、鏡の中から出てきた何かと体験を共有しました。Aさん、Bさん、私の3人が体験した事件について話し合っています。これは農村会談を撮るための準備中に起こった出来事について話しています。体の特徴が反転したり、記憶が曖昧になるなどの怖い話が続いています。

00:01
皆さん、こんにちは。この番組を配信しております、北海道在住の米農家にして、ここのポッドキャスター、ジョンと申します。よろしくお願いします。
今回は年に一回だけのお楽しみ、農村怪談の回となっております。
私はライフワークとして、農村であった怖い話というふうなものをですね、農村に住んでいる皆さんからいろいろと収集してまいりまして、
それを年に一回だけ排出するというふうなことをですね、かれこれ5度ほど、今回を含めて5度ほどやっております。
私のやっている農村怪談はですね、一応実話風怪談と名乗らせてもらっております。
というのも、私が作っている怪談はですね、基本的にはAさんの体験談、Bさんの体験談というふうなのを合わせて、Cさんの体験談としてお話をするというふうな形式を主にとっております。
なんでこんなことをしているのかというとですね、私が話す話っていうふうなのは、基本的には狭いコミュニティで伝わっているようなお話となっておりますので、
聞く人が聞いたらそのディテールから、これってどこどこの誰々さんのことでしょっていうふうなのがわかってしまうような代物になっているんですよね。
そういうふうなのもありまして、話してくれた人の名誉やら何やらを守るために、基本的には私の方でファンタジーと嘘をちょっとだけ加えるような形をして、
ディテールだけ本物というふうな形の会談を今回はお話をさせていただこうと思っております。
私、今回第5週となっておりまして、本当はですね、今回で最終回というふうな形を取らせていただこうかなと思うぐらいにはストックが切れかかっているような状況となっております。
一応今回はですね、3話話す予定となっておりますけども、この3話を話してしまったら残り2話しかないというふうな状況になっているんですよね。
まあ当たり前ですよね。1話用意するのに何話会話役団が犠牲になっているかというふうなのを考えたらですね、まあそのぐらいの本数になろうなというふうに思っております。
一応今回3話だけお話をしますけれどもね、残り2話については来年になるか近々配信になるか、ちょっとそればっかりはどうしようかなというふうなのは悩み中なんですけれども、そんなような状況となっております。
で、この最後の方に残っている会談がどんなようなものが残っているかというとですね、話して差し障りがある、聞いて差し障りがあるというふうな話がですね、主に残っているような状況となっております。
今回はですね、そのうち話して差し障りがありそうな話と聞いて差し障りがあるような話というふうなのをですね、後半2つほどお話をさせていただく予定となっております。
まあ皆さんが聞いたところでそんなに危ないことはないだろうなって私は考えているんですけどね、まあ自己責任で今回もお付き合いいただきますようお願いいたします。
というわけで今回も参りましょう。
小林匠さんの死とカメラのおじさん
Aノート サブカル
第1話 カメラのおじさん
このお話が起こったのは2000年代の話となっております。
当時40歳で若くして脳梗塞で亡くなられた小林匠さんという農家のおじさんの葬儀の際に会った時のお話となっております。
ちなみにこの小林匠さんというふうなお名前はですね、当然のことながら仮名となっておりますのであらかじめご了承いただきますようお願いします。
この小林匠さんどんなような方だったのかといいますと、もともとは同地域、私が住んでおります札幌近郊の北海道の中心部に位置しているようなどこかで農業をされていたおじさんとなっております。
もともと独身で結婚歴もなく1960年代に生まれてからずっとそんな感じで生きてきたおじさんとなっております。
農家の生まれで親元に収納して、そしてそのまま農業をしながら最終的には脳梗塞で亡くなってしまったりはしてたんですけどね。
この人、特徴的な部分というふうなのがキャラが立っている方となっておりましたね。
どんなようなキャラだったのかというと、性格的にはおとなしい方というふうに言われておりました。
飲み会の席で騒ぐこともなければ、表立って何かするというふうなこともなかったりはするんですけれども、
けれどもこの方ですね、例えば着ている服が毎日同じものだったそうなんですね。
これね、こだわりがあるかというふうに言われるとそうではなくてですね、今現在でいうところのミニマリストのような方だったんですね。
だから服とかそういうふうな自分の興味ないもので時間を取られるのが嫌だからというふうな理由でですね、
例えば同じつなぎを5着持っていたりですとか、同じポロシャツ同じジーンズを何着も持っていたりですとか、
毎日毎日同じ格好をしているような感じがするんだけれども、けれどもそれはちゃんと洗濯をされているものとなっておりまして、
それなりに清潔感はあるんだけども、いつも同じ格好だよね、あのおじさんというふうな感じの見た目だったそうなんですね。
この方そんな感じですね、趣味の方も結構尖っていたというか、こだわりがあったようなものとなっておりまして、
この方ずいぶんカメラにはまっておりましてね、というのもこの小林拓実さん、若くしてお父様を亡くされております。
このお父様がですね、若くして亡くされた時にもともとやっていた趣味というふうなのがカメラだったので、
そのカメラを受け継ぐ形で子供の頃から結構カメラでいろいろバシバシ写真を撮ったりですとかね、
大人になってからはですね、それこそフィルムカメラとのお高いレンズを買い集めたりですとか、
その古いカメラを収集したりデジタルカメラを買ったりとか、
あとはね、その当時出始めたばっかりのフォトショップとかの写真の、今現在だったらスマホでいくらでも加工ができてしまいますけどね、
そのレタッチをやらないにやらするようなソフトをやらないにやらも買い集めたりというふうなところで、
結構このカメラとかそういうふうなものにこだわりを持っていたおじさんとなっております。
でね、どのぐらいハマってたかというとですね、これ今の若い子にはあまり伝わらないかもしれないんですけども、
フィルムカメラ用の暗室を自宅に作ってたりするぐらいカメラがお好きだったりしてたんですね。
このフィルムカメラの暗室、今現在はデジカメとかはですね、写真で撮ったらいくらでも確認ができますし、
ほぼ無人像に写真を撮るというふうなことができるんですけども、
フィルム屋さんに持って行って印刷をしてもらうというふうなことをやってたりしてた、
印刷じゃなくて原造でございますね、というふうなのをやってたそうなんですけどね。
この小林さんはですね、その原造を自分でできるような施設というふうなのを自宅に作るぐらいには、
結構カメラとかの方に入れ込んでいた方となっております。
この小林卓美さんの葬儀とかその辺にまつわるお話なので、
当然のことながら話しては別の方となっております。
このお話をしてくれたのは小林さんのご親戚でもありますし、幼馴染ともなっております。
小林卓也さんというご近所に住んでおります農家のおじさんでございますね。
この小林卓美さん、小林卓也さん、別々の家に生まれてたんですけどね、
名前がちょっと似ている感じとなっておりましたのでややこしいので、
このお話ではですね、卓美さんが卓也さんに向かって呼んでいた呼び名でありますがっちゃんというふうな呼び方をね、
これからこの卓也さんについてはがっちゃんと呼ぶような形をとっていこうと思います。
ちなみにこのがっちゃんというふうなお名前はですね、
子供の頃からいろんなものを接続するたびにがっちゃんがっちゃん言い続けておかげでですね、
がっちゃんというふうな名前が定着したよとかっていうふうな話がありまして、
今現在もこの方がっちゃんと呼ばれてたりするんですけどね、
今ちょっと本人の名前につながる部分がバレちゃったかなというふうな部分はするんですけどね、
まあ気にしないでこのままお話をさせてもらおうと思います。
このがっちゃんから聞いた話で卓美さんについての話なんですけれども、
この卓美さんに関しての奇妙な話というふうなのがですね、
最初の起こりは卓美さんの自殺未遂からとなっております。
卓美さんの自殺未遂
これは卓美さんが亡くなる5年ほど前、ですから卓美さんが35歳の時の話なんですけれどもね、
卓美さんこの性格的な部分分かる通りですね、かなり毎日決まった行動をしなければならないという、
脅迫的に同じような行動を繰り返すような人だったそうなんです。
だから朝6時から始めて仕事をいろいろやった後でお昼休み1時間かっきりとって、
その後6時まで農作業をして、その後地域の集まりやら何やらがあるようだったらそっちの方に出て、
それがないようだったら必ず6時には自宅に帰っているというふうなルーチンをとっている方だったそうなんですね。
その5年前のある日、いつものルーチンと外れて、卓美さんが一向に帰ってこないというふうなことがあったそうなんですね。
お母さんがそれを心配してですね、もしかしたら自分が知らないだけでどこか会議体とかそういうふうに呼ばれてるんじゃないかとか
というふうなところで連絡をかけたりするものもありますし、
あと当然のことながら当時もありました携帯電話にお電話をしたりとかというふうなのをやったんですけれども、
電話がつながらなかったそうなんですね。それで心配に思いまして、いつまでも帰ってこないなというふうなところで、
晩御飯が冷めちゃうのでそれを守りつつずっと帰ってくるのを待っていたそうなんですけれども、
帰ってきたのが夜の10時ぐらいだったそうなんですけどね。帰ってきた卓美さん、びしょびしょに濡れた状態で家に帰ってきたそうなんですね。
どうしたんだいというふうな形でお母さんが話を聞きますと、死のうと思って川に入ったんだけれど、
死にきれなかったから帰ってきたっていうふうな話をされたそうなんですね。
この自殺未遂の一件に関してはとりあえずそれっきりとなっております。
卓美さんが当時何を考えて死のうと思っていたのかというふうなのは、今現在に至ってはもう亡くなっているので、
どうしてそんなことになってしまったのかというのはさっぱりわかっておりません。
卓美さんの行方不明
そんなようなことが5年前にありまして、卓美さんが亡くなる1年ほど前の夏頃からですね、
卓美さんがまた同じように家に決まった時間に帰ってこないというふうなことがあったんですね。
今度はこのいなくなり方というふうなのがちょっと奇妙だったりしてたんですね。
まず自宅に卓美さんが運転する、普段乗っているような自動車もあるし、軽トラックですとかトラックですとか、
作業用の車とかそういうふうなものも全て家にあるような状態となっております。
そして家の中に携帯電話もあるんだけれども、家に一向に帰ってこないというふうなことが起こっていたんですよね。
なんでこんなことが、どこか行ってしまったのかなというふうにお母さんは考えられたんですけれども、
一向に帰ってこないというふうなことを考えると、またもしかしたら5年前のあの日のように自殺未遂をしているのではないかとかね、
そんなようなことになって不安になったお母さんはですね、ほぼに電話をかけます。
まず会議帯がないかどうかというふうなのを調べるのに農協に電話をかけたりですとか、
あとはお隣のがっちゃんに電話をかけて、どんなふうな理由でどこかに行ってるか知らないかというふうなのを聞いたりとか、
あと実際に車を出して周りの方を調べてみたりというふうなことをやるんですけれども、一向に見つからないんですね。
それで本当に一度自殺未遂があってしまったからというふうなのもありまして、周りの近所の人に声をかけて近隣の方を捜索してもらって、
川ですとか首をつりやすそうな木ですとか、そういうふうなところを色々と探してしまったんですけれども、
けれども夜になってもたくみさんが一向に見つからなかったんですね。
心配になって夜が明けて眠れない夜を皆さん過ごしたような状況だったんですけれども、
その明る朝ひょっこりと自宅からたくみさんが出てきたんですよね。
それも自分の部屋から出てきて、今までどこに行っていたんだというふうに聞くと、
ずっと家にいたというふうなことを話されてたそうなんです。
ずっと家にいた割には携帯電話とかもその辺もありますし、
あとお母さん当然のことだから家の中も当然探してるんですけどね。
けれどもそれでも見つからなかったから本当にどこに行ってたのっていうふうに聞くんですけれども、
けれどもたくみさんはとりあえず変わらずに家にいたというふうなことを言うようになるんですよ。
そんなことがその後何回も続くことになります。
さすがに創作騒ぎというふうなのは2回目で打ちのめになってしまうんですけどね。
たくみさんの失踪と発覚
この打ちのめになった天末というふうなのはがっちゃんから聞いております。
このがっちゃんが2回目たくみさんがまたいなくなって、
どこか行ってしまったのかというふうなところで探すんですけれども、
けれども車は止まっているし携帯電話は家にあるしというふうなのもあったのと、
がっちゃんがここで気づいたのがですね、
たくみさんが普段いつも履き回しているスニーカーが玄関の軒先にあることに気づいたんですよね。
その後気づいた後で軒先にある靴の数を数えたりとか、
持っている靴というふうなのが、
たくみさん本当に同じ靴を3足揃えていたりとかいうのがあるんですけども、
それが欠けることなく置いてあったんですね。
それこそスーツとか着る際の観光操作用の革靴とかそういうふうなものまで、
すべて玄関先に残っているような状況になっているというふうなことが分かりまして、
たくみさんがこの家からいないというふうなことは裸足で出歩いていることになるのかというふうなことになりましたね。
当然のことながら田舎の自宅の周りとかというふうになりますと、
都内の人とかは分からないかもしれませんけど、
基本的にはアスファルトとかそういう舗装道路ではなくて砂利と泥だったりするわけなんですね。
そういうふうなところを歩くというふうなのが素足なのか、
いかに危険かというふうなことを考えると、
やっぱり家の中にいるんじゃないだろうかというふうな話になってくるんですね。
家の中、古い木造建築ですから、
言うたって隠し部屋があるようなものではなかったりするわけなんですけれども、
けれどもちゃんとどこかにいるんじゃないだろうかというね、
心配だと思うけれども一日の様子を見てみたら、
また翌朝ひょっこり戻ってくるんじゃないというふうなところで、
がっちゃんとお母さんのほうで話をしまして、
それで翌朝まで待ってみるとですね、
やっぱり翌朝たくみさんがひょっこりと出てきて、
やっぱり自宅にずっといたというふうな話をしていたそうなんですね。
そんなような失踪というふうなのはですね、
この夏の間にたくみさんは何度も何度も繰り返して、
秋になる頃には急にそういうふうなのが収まって、
冬のある朝、たくみさんはそのまま自宅のベッドで眠っているところを目を覚ますことなく、
亡くなっているのが発見されたそうなんですね。
亡くなっていた理由というふうなのが、
脳梗塞だろうなというね、そんなふうなことを言われておりまして、
カメラのおじさんの思い出
年齢で40歳ですごく若い年齢での脳梗塞ではあるんですけどね、
ある話だなというふうなところで、
受験生もないだろうねというふうなところで、
その後は葬儀やら何やらの準備に入らなければならないねというふうなところになっていきますと、
この葬儀に関する天末やら何やらというふうなパートの部分がですね、
お話としては本当に長い部分類を割いてもらって私は聞いていたんですけども、
この辺の部分はお話に関係がないのでちょっと割愛をさせていただきます。
たくみさんというかがっちゃんがたくみさんの親戚とはいえ、葬儀にどのような形で巻き込まれていったかというかね、
やるような形になっていたかというと、
北海道の田舎だけかどうかはちょっと分からないんですけどね、
葬儀というふうなシステムがございます。
それこそ遺族の皆さん、基本的にやることがいっぱいあるんですよ。
一番悲しくて大変なはずの人が一番大変な思いをするという不可思議なシステムであるところのお葬式というふうなのがですね、
なかなか大変だったそうなんですね。
そういうふうな感じで大変になってしまうというふうなのもありますので、
近隣に住んでいる人方が葬儀人といって葬儀の取り計らいとかお手伝いをするというふうなことをよく農村の方では行われていたそうなんですね。
がっちゃんも親戚だったというふうなのもありますしね、
あとは近所付き合いがあって信仰も大変ありましたというふうなのがありますので、
それこそお葬式やら何やらの準備というふうなのはなかなか手伝うことになりましたと。
そうやって手伝いをいろいろやった後、おつやの方にもがっちゃんは出席するようなことになりましてね、
おつやの方で参列者の皆さんを送り出した後、親族一同だけで残って、
近親者だけでつやのろうそくやら何やらを守るというふうなのをやるというふうなことで、
ご飯やら何やらを食べ始めた時にですね、個人の遺物というか思い出やら何やらを振り返っていくというふうなのもありまして、
たくみさんが残していた大量の写真のアルバムというふうなのを葬儀の会場の方に持ってきてありましたので、
それを見ながらちょっと個人についての話をしましょうねというふうなところで、
アルバムをペラペラペラペラめくっていくというふうな時間があったそうなんですね。
酒も入っているしね、ご飯も食べているしというふうな状況で、見ながらこんなことあったよねとかね、こんな写真まで撮ってたのねというふうなので、
そういったいっぱいアルバムの写真やら何やらを見ていたそうなんですね。
このね、たくみさんが撮っていた写真というふうなのは、なんかあの性格的に鉄道とか好きそうじゃないかなというふうな偏見が私はあったんですけどね。
結局のところたくみさんが撮っていた写真というふうなのは、その辺の農村の風景ですとか野生動物、特に鳥の写真が多かったとかって言ってたかな。
そういうふうな写真をいっぱい撮っているというふうなのがありまして、結構見ながらね、周りの人方がこれ懐かしいねとかね、
そうそうここはね道路になる前こういうような木が生えていたねとかね、そんなようなことを話しながらアルバムを一冊一冊ここ最近あったところから昔の方に
さかのぼるような形で一枚一枚めくっていったそうなんですね。それでたくみさんが見ていたアルバムの中にですね、一番古いアルバムというふうなのがありまして、それでペラペラペラペラめくっているとですね、
そのペラペラペラペラめくっている写真の中にたくみさんとがっちゃんの子供の頃の写真というふうなのが残ってたそうなんですね。
それでその写真というふうなのがどうも結構一番古いようなアルバムとなっておりまして、そのアルバムをがっちゃんが見ている際にですね、このたくみさんのお母さんがそのことに気づいてね、
そうそうあの子、お父さんが残したカメラを自分で修理して、それで自分で写真を撮るようになったようなねっていうふうな話をされたそうなんですね。
このたくみさんのお父さんが持っていた写真というふうなのが、写真というかカメラ、フィルムカメラというふうなのがですね、当時ようやっと大衆化されたばっかりの、結構お高いというかようやっと手頃な値段になってきたようなフィルムカメラだったそうなんですね。
なんですけれどもちょっとどこがどういうような壊れ方をしてたのかわからないけれども、写真が撮れないような状態になってたそうなんですね。
それを幼い子供のたくみさんが自力で直したっていうふうな話をお母さんはされてたんですけれども、それを聞いたがっちゃんはですね、違うっていうふうなのを思い出すんですね。
そこからその写真で写されたときの古い夏の記憶っていうふうなのが頭にバーッとよみがえてきて、そしてそこでカメラを直したのはたくみさんではなくて、カメラのおじさんだったっていうふうなのを思い出していくんですよね。
このカメラのおじさんっていうふうなのを、ひと夏だけいたおじさんっていうふうなのをですね、がっちゃんは思い出していくんですけれども、たくみさんの家族構成、最初の方にも話しましたけれども、お父さんがいなくてお母さんとおじいちゃんとおばあちゃんの3人で農業をしているっていうふうな状況が長らく続いていたんですよね。
それで当時、それこそ子どもの頃ですから70年代とか80年代の話になると思うんですけれども、当然のことながら学童保育なんてものはなかったような状況となっておりますのでね。
子どもって基本的にほったらかしのような状況になってたそうなんですね。
それで年の近いがっちゃんとたくみさんっていうふうなのは、とりあえず学校がない夏休みとかになりますと、基本的にはどっちかの家に遊びに行くっていうふうなところをやってたそうなんですね。
お昼ご飯の時間まで遊んで、お昼ご飯を食べたらまた別の人の家に行くみたいな感じで。
よくしょっちゅういろいろな遊びをしてたそうなんですけれども、そのある夏の日にですね、昼下がりご飯を食べた後でたくみさんの家にがっちゃんがやっていくとですね、カメラの修理をしているおじさんがいたんですね。
このおじさんがですね、見たこともないような工具やら何やらを広げてこのカメラの修理をずっとしているそうで。
その修理をしているところをですね、たくみさんがずっとそれを見ているというふうなのがあったそうなんですね。
このおじさん誰なんだろうなっていうふうに思ってて、そういうふうに思ってたくみさんに聞いたところですね、カメラのおじさんだよっていうふうに話をしてくれたそうなんです。
それで、そのカメラのおじさんというふうなのはですね、その夏のある日から結構な頻度でたくみさん家に遊びに行くたびに家の中にいて、そしてずっとそのカメラをいじってカメラが直るような形でいろいろと触ってたというふうな話を思い出していたそうなんですね。
それで、このカメラのおじさんとの思い出の中にですね、そういえば写真を撮らせてもらったなというふうなのをがっちゃん思い出していくんですね。
当時ね、フィルムカメラって枚数が今のデジカメと違って制限がありますから、子どもってなかなか撮らせてもらえなかったんですね。
けれどもこのカメラのおじさんはですね、自分で持ってきたのかどうかわからないですけど、そういって持ってきたカメラのフィルムとかっていうふうなのを入れて、それで子どもたちに写真を撮らせてくれてたそうなんですね。
実際に視写をして写るかどうかの確認だったのかもしれないんですけれども、そうやって自分で写真を撮った写真っていうふうなのが、たくみさんとがっちゃんが写っている写真だったりしますし。
それで、たくみさん自身が写真をパシャパシャ撮ったっていうふうなのもありまして、がっちゃんが写っている写真もありますしっていうふうなのもありまして。
そういえば俺も撮ったなっていうふうなのを思い出していって、ぺらぺらめくっていくとですね、そのカメラのおじさんとたくみさんが写っている写真っていうふうなのがあったんですね。
これはがっちゃんが写真を撮らせてもらって、2人の写真を記念撮影として撮ったっていうふうな写真となっておりまして、そうそうそうカメラのおじさんこんな顔だったなって思ったと同時にですね、たくみさんギョッとするんですよね。
カメラのおじさんの正体
どうしてギョッとするかというとですね、このカメラのおじさんの姿というか顔というかですね、今おつやで送り出そうとしている看護家の中で眠っているたくみさんにそっくりなんですよね。
着ている服もいつも見ていたようなポロシャツにジーンズの姿で、写っている柄とかそういうふうなものまで同じような形で写っているんですよね。
たくみさん家のご家庭はですね、お父さんに別に男の兄弟っていうふうなのはいなかったそうなんですね。
ってなると親族のうちの誰かでもないというふうなことになってしまうと、この人は一体誰なんだろうねっていうふうに思い始めてですね、たくみさんその周りにいるご親戚の方にこの人誰かわかりますっていうふうなことを聞いてもらうんですけども、
これたくみでしょっていうふうなのを親戚一同お話をするんですけども、けれども子供の頃のたくみと一緒に写っている、じゃあこの人は誰っていうふうな話になってくるんですよね。
当然のことながら夏場の忙しい農家の家にいる大人なんてのは基本的におりませんから、一体誰がこんなような形のことをやっていたのかっていうのが今となってもさっぱりわからなかったそうなんですね。
ただガッチャンはですね、このカメラのおじさんたくみさんだったんじゃないかっていうふうに考えてたそうなんですね。
っていうふうなのもこのカメラのおじさんはですね、このたくやさんのことをですねたくみさんと同じようにガッチャンと呼んでいたそうなんです。
実際にそんなようなことがあったのかどうかというのはさっぱりわからないですけどね。
まあ今となってはよくわからないねというふうなお話となっておりますね。
一応この当時にはですね、レタッチのソフトとかがありましてね。
なんかいろいろとコラ画像とかそういうふうなのを作るというふうなこともできたとは思うんですけどね。
インチキストーンの効果
まあできたとしても子供の頃の自分の写真にそれを乗っける神聖というふうなのはちょっとよくわかんねえなっていうふうなところで今回のお話は締めさせていただきたいと思います。
第2話 蛍のいる水田
このお話の舞台となっておりますのは2000年代の北海道の中心部のどこかとなっております。
まあ同地域ってさっきも言ったんだから同地域でいいですね。
この同地域のどこかに住んでいる、とりあえずあの名前は大瀧さんとしておきましょうか。
当時大瀧さんは40代で今現在60代だとなっておりましてね。
今現在も元気に農業をされているおじさんとなっております。
それとこの大瀧さんに感化されて非常にカルトチックな農法をすることになった西口さんという同年代のおじさんにまつわるお話をこれからさせていただこうと思います。
これから話す話はですね、話して差し障りのあるお話となっております。
差し障りがあるのは誰かというと、そう私でございますね。
これから話すインチキ農法というふうに私が話そうと思っている農法についてはですね、今現在も実在しておりまして、それで買おうと思えば買うこともできるし導入もできるよというふうな資材となっております。
ただこの資材を売っている団体もそうですし、あとその団体と関係のある政党があるというふうなのも気なくさいしというふうなところでですね。
私はそこと関わりがあるようなことを話したりなんだりするというふうなのがとても嫌だなというふうに思ってたりはするんですよね。
なのでこれから話す内容というふうなのはですね、たくさんフェイクを入れていこうと思います。
で皆さんの方でですね、ジョンさんが話している資材ってこれでしょ。
そしてあの政党ってこの政党のことでしょっていうふうなのをね、上げていただくことは可能だとは思うんですけども、私それに対してイエスともノーとも言わないでいこうと思っておりますので。
その辺だけあらかじめご了承いただけるとありがたいです。
で、まかに間違ってもそうかもしれないねというふうな団体の皆さんにご迷惑のかかるような行為だけはね、控えていただけるとありがたいなというふうに思っておりますね。
で、これからお話をする資材にまつわる変な話というふうなのを話す過程でですね、私のオリジナルの資材をちょっとね、デッチ上げてこれからそれを作って話をしていこうと思うんですけども。
このお話に出てくる資材はですね、奇跡の石インチキストーンというふうなものとなっております。
資材名がインチキストーンでございますね。
どんなようなものなのかというと、見た目はホームセンターとかでキロ五六百円とかで売られてるんじゃねえかなって感じの玉砂利なんですよね。
ただこの玉砂利にですね、修正ペンのホワイトでインチキってカタカナで書いてるように見える文様が浮き上がっている石なんですね。
で、これね四国の霊山で取れている奇跡の石となっておりまして、これを畑の四隅に置いておくことで数比術とあと量子力学のなんかが関係してですね。
そこからの波動やら何やらがいっぱい出ることによって、宇宙大小僧様ですとか暗黒大御元様のお力によってですね、この資材の効果が出て、そして作物が健全に育つし、そしてたくさん収量が取れる上にですね、農薬を無害化することもできて、病害虫も寄ってこないというふうな、そんなような代物となっております。
使い方に関してはとっても簡単です。畑の四隅に陰知きストーンを置いて、その陰知きストーンに付属となっております清水、これも霊山の方から取れた霊源新たかなお水となっているんですけども、これをふりかけて、そして所定のノリとを何度か唱えてあげるとですね、それで効果が発現して、効果の発現期間というふうなのは1年間持つそうですね。
それで1年間持たせることによって健全育成された作物が栽培できますよという、そういうような資材となっております。
この資材を売っている会社さんはですね、実在しておりましてね、これを売ることによって、いろいろと制作提言とかそういうふうなこともやっていこうかなというふうなのが、妄想的な部分のものがですね、ホームページに書かれてたり書かれてなかったりというふうな、そんなような資材となっております。
ちなみにこちらの資材はですね、有機ジャス認定も取られているそうなのでね、そういうふうな自然栽培とかやられている方とかにとってみたら、とてもいい資材なんじゃないでしょうかね。
どうもこのインチキストーンを粉砕して、その粉砕したものを室封印させることによって、種子とかそういうふうなものを、漁師力学とかそういうふうなもので守ってあげることができるとかっていうね、そんなような効果、効能があるというふうに言われておりますね。
今まで話してきた内容でですね、深夜のバカ時からのイニシエのリスナーがニコニコしていたらいいなというふうに思いながら話はしてるんですけどね。
まあそんなような特徴を持っているものとなっております。こんなような奇跡の石なんですけれども、お値段いくらだと思います。
1つ30万円でございます。ただ30万円と言ってもですね、4つセットで購入することで90万円でお買い上げという、大変のお値引き価格がね、お値打ち価格となっておりますので、是非というふうな形でですね、売られているような、そんなような商品となってたりするそうなんですね。
で、品がなんでこんなような形に売られるようになって、そしてあとこの大瀧さんと西口さんが買うようになってしまったかというふうな話になってくるんですけども、もともとこの近辺のほうにですね、農薬やら農業資材やらを売って歩く商社さんというふうなのがおりましてね、そこの営業マンさんでとりあえずこの方の名前は長屋さんとしておきましょうか。
この長屋さんというふうな人はですね、もともとは普通に農業資材を売ってくれるような方だったりはしてたんですけれども、ある日、このどこかで見つけたインチキストーンをですね、自分の家で、とりあえず家庭遷園レベルから試してみたりですとか、あと自宅に置いてみたりしたところですね、例えば家庭内の不安が解決するですとか、あとは長年悩まされていた尿路血跡が落ちることができたとかね。
そしてあと家庭遷園レベルであったとしてもものすごく収量よくいろんなものが育てることができたというふうなところから、これは本物だと考えるようになりまして、それで一番最初に大瀧さんの方にこちらの資材を持ち込んでいてお話をさせてもらってたそうなんですね。
その際の売り文句っていうふうなのが、1年間だけ補助で試させてくださいっていう。効果が出なかったらお題やら何やらは一切いりませんので、絶対に効果がありますので試してくださいっていうふうなところで、当時婚姻されておりました大瀧さんのところに長屋さんがこの資材を持っていくところから話が始まっていきます。
この大瀧さんというふうな農家さんも、もともとご結婚されておりまして、農家さんやら何やらをずっとやってたりしてたんですけども、ここのご家庭っていうふうなのが有機栽培とか自然栽培とかを頑張ってやってるような農家さんだったりしてたんですよね。
それもこの大瀧さんの奥様というふうなのが、どうも化学物質過敏症と言いまして、農薬とかそういうふうなものに触れてしまうとアレルギーとかそういうふうなものが出てしまうというふうな体質だったそうなんですね。
そういうふうな体質があるというふうなところから、大瀧さん、奥様に負担をかけられないというふうなところから、自然と農薬やら何やらを使わないで済むような栽培方式っていうふうなのをいっぱい試してたそうなんです。
そういうのを試していたところから、長屋さんに声をかけられまして、大瀧さんがやっていた、ほぼ当時は有機栽培だった水田のほうで、このインチキストーンの効果というふうなのを試してみることになったそうなんですよね。
このインチキストーンの効果がどのような形で出たかというふうなのは、記録が本当なのかどうかは分からないんですけれども、有機栽培の水田で一旦あたり10票を取れたというふうな話がされていたりそうなんですよね。
自然栽培とか有機栽培の米って今はどのぐらいが平均なのかというふうなのは分からないんですけれども、観光栽培並みに取れているというふうなことを考えると、結構な収量を取れているというふうなことになりまして。
それで、この資材は本物だというふうに大瀧さんは思うようになりまして、その翌年からこのインチキストーンを導入した農法とかそういうふうなのをどんどん試していくことになるそうなんですね。
そういうふうに試していく過程で、大瀧さんのご家庭で例えば奥様が元気になられたりとか、本当にそういうふうな不可思議なことを感じているというふうなのが、どうも徐々に徐々に起きていったとされております。
話しているのが一気区分、とりあえず大瀧さんの審判の西口さんの話なので、それが本当なのかどうかというのがどこまで本当なのか分からないんですけれども、けれどもそんなふうに話されるような資材だったよというふうに言われております。
こんな感じで大瀧さんはうまくいってるよというふうなところで、いろいろと販売やら何やらをしていって、次第にこの販売先というふうなのが今までは直売所とか農協とかに出していたんですけれども、
このインチキストーンの栽培方法にハマるようになってから、この農作物の売り先というふうなのもインチキストーンの販売元のほうに下ろすようになっていったそうなんですね。
だから地元で農家をしているんだけれども、けれども農作物を買っている人とか様子を見ている人が地元にいないという不可思議な状態というふうなのがどうも起こっていたそうなんですよね。
そんな感じで近隣の人からどんなような農業をしているのかというふうなので、怪しげな農業をしているよねというふうなのもいっぱいいろいろと言われていたそうなんですけれども、
大瀧さんは自分はうまくいっているんだからこれをやっているんだというふうなところで、元として曲げなかったそうなんですね。
それでいろいろと周りの農家さんにもインチキストーンを長谷さんと一緒に広めようというふうに考えていた時期が、大瀧さんはどうもあったらしくてですね。
それでこれを試すことによって水田にホタルが戻ってきたよというふうなお話を、ある一時期から始めていったそうなんですね。
ホタルの復活
ホタル、一応北海道もホタルっているんですよね。
ご存じない方もいらっしゃると思うんですけれども、それこそ水田とかがね、水源のある地域にホタルというふうなのがちょこちょこ飛んではいるんですけれども、
ただ水田に使っている農薬というのはとりあえずホタルにも影響のあるような農薬となっておりますので、かけると当然のことながらホタルの個体数とかそういうのって減っていくんですよね。
で、ホタルの個体数を戻すために有機栽培の方に切り替えていくなんていうふうなプロジェクトとかがですね、北海道の農家さんちょこちょこやられてたりするっていうふうなぐらいにはですね、
ちょっと農薬とホタルの関係というのはちょこちょこあるようなものだったりしております。
で、大瀧さん、もともと無農薬に近いような農法もされておりましたので、普通にホタルぐらい出るよねっていうふうな状況にはなってたそうなんですけれども、
インチキストーンを使った農法をするようになってから、ホタルの個体数が爆発的に増えてるっていうふうな話をしてたそうなんですね。
で、一応その証拠の写真とかっていうふうなのをね、何枚か載っけてたりするわけなんですけどもね、
当然のことながらね、普通の当時のデジカメとかフィルムカメラとかでホタルを録音して写真を撮るのは難しいだろうなというふうな感じなんですけれども、
けれどもフォトショーでどうにかしたのかっていうふうなぐらいのホタルが写っていた写真っていうふうなのがチラシの方に載ってたりするそうなんですね。
で、これを実際に見たことがあるよっていうふうなのが、ちょこちょこ名前が出ている西口さんだったりしております。
この西口さん、このホタルを見たことをきっかけにインチキストーンの栽培に目覚めてしまって、大瀧さんと一緒にインチキストーンの販売やら何やらっていうのをずっと続けていくことになるんですけれども、
けれどもですね、この後ホタルを見た人というふうなのは一人もいないような状況となっております。
でね、西口さんが見て影響を受けたようなホタルっていうのがどういうふうなものだったのかというと、これはね本人の言葉を借りてそのまま話をしますけれども、
水田の上にですね、まるでずっと発光している魚がぐるぐるぐるぐる泳いでいるような形で、光が舞っているところを見たんだっていうふうな話をされてたそうなんですね。
で、明らかにホタルって基本的に明滅したり止まったりっていうふうなことをやるような生き物なので、ホタルじゃないよねっていうふうな光だったそうなんですね。
宇宙の光とインチキストーン
で、実際にそういうふうなすごい光景を目撃してしまったときにですね、その翌日西口さんが大瀧さんに話を聞きに行ったらですね、あれホタルっていうふうに話をしてたけど本当は宇宙の光なんだよっていうふうな話をされたそうなんですね。
この宇宙の光っていうふうなのが何を指すのかというのは私はさっぱりわからないんですけれども、けれどもとにかくそういう超神秘的なものがインチキストーンの力によって呼び寄せられて、
それが俺の水田で待っていたのだっていうふうな説明をされたそうなんですね。
その光景を見ちゃったがばっかりにですね、西口さん、そのインチキストーンを使った農法っていうふうなのをその翌年から始めるようになりまして、
次第にですね、地域のコミュニティからどんどんどんどん2人揃って浮いていくというふうな状況になっていたそうなんです。
この後この2人、今現在も元気に農家さんはされてらっしゃるんですけども、
でも販売先っていうふうなのがですね、この怪しげな団体の方にずっと農作物やら何やらというふうなのをずっと卸し続けているそうです。
うまくいってるのかどうかっていうふうなのを近隣の農家さんに聞いたところなんですけれども、とりあえず草が多いらしいんですよね。
有機栽培とか自然栽培で草が多いっていうふうなのは致命的なんじゃねえのって私は思うんですけどね。
どうなんでしょうね。
ちょっとこの辺は詳しくないので何とも言えないんですけれども。
でもとりあえず作物とかそういうふうなものが埋まるぐらいには草が覆われているような状況にはなっているんですけれども、
けれども本人たちはものすごく良い作物が自然な状態で作れているからこれでいいんだっていうふうなところで、
言い張って未だにそこと付き合いがあってずっと農業されているような話をされておりますね。
そんなようなことをされている団体というか農業資材を売っているところがあるよっていうふうな話ですね。
そういうふうな奇跡体験があるよっていうふうな話を私はなかなかしゃべりたくないなというふうに思ってはいたりはするんですけどね。
農業関係に関してはこんなような感じでオカルト資材っていうふうなのはいっぱいございますね。
なので皆さんもこうかこうのがちゃんとあるかどうかっていうふうなのを確認した上でいろいろとやったほうがいいんじゃないでしょうかね。
ただそのうちの中に何かしら奇跡を巻き起こすようなものがあったかもしれないというふうなことを考えるとですね。
階段を集める側としては面白いんですけども、そんなようなものを見せるようなものがあって、
そしてそれが本当に効果出ているのかどうかがわからないというふうなところがですね、なんだか怪しい話だなというふうに私は思ってたりしておりますね。
ちなみにこの変な光の話っていうふうなのはですね、この近隣の農家さんの間でもちょこちょこ伝わってはいるんですよね。
それね、正体っていうふうなのがはっきりとはわからないんですけれども、水田だけじゃなくて畑とか川ですとか、
そういうふうなところで強い発光体みたいなものがぐるぐるぐるぐる周遊してるっていうふうなところが、この近隣の農家さんというか住んでる方の間に目撃されることがあるんですよね。
だからあれはインチキストーンの仕業というふうなことになってるけど、土着のなんか別の不思議なやつなんじゃねえかなって私は思ってはいるんですけどね。
けれどもどういうふうなことなのかというのは私にはさっぱりわかりませんねっていうふうなところで今回のお話は締めさせていただきたいと思います。
鏡の中の自分
第3話 鏡
これから話すお話は私が持っている階段の中で唯一聞いた人に影響を与える可能性のある階段となっております。
私がこれからしたいのはこの階段を聞いた結果どんなことが起こっているのかっていうふうな話をしたいので、
これを話すかどうかというふうなのはすごく悩んではいたんですけどね。
ここ最近言語生成AIのChatGPTをはじめとしたGPT3.5とか4.0とかそういうようなお話を作ってくれるAIというふうなのが出てきておりましたので、
私このAIに元の映る階段の方を加わせまして、リライトにリライトを重ねてほぼ原型を留めていないよねというふうな形にまで変形をしております。
おそらくここまで変形をすればですね、映ることはないんじゃないかなって私は考えてはいるんですけれどもね。
ただ安全性を試したことっていうふうなのがありませんので、万に一つも映る可能性があるよというふうなのだけあらかじめご理解いただいた上で、これからお話の方お付き合いいただけるとありがたいです。
ちなみにね、私も感染している一人ではあったりするわけなんですけれども、こうやってお話ができている通り大したことは起こりません。
ただ起こることといえばですね、よくわからない記憶が体の中に捏造されるのと、よくわからない行動を念に数回するようになるのと、
あと体の特徴がちょっとだけ変わってしまうよっていうふうなのがね、そういうふうなのがありますのであらかじめご理解いただいた上でお聞きいただけるとありがたいです。
とりあえずご体満足で健康に過ごせておりますのでね、そこだけは安心してもらえるとありがたいなと思うんですけどね。
では最初にですね、私のちょっと年上の先輩でありますAさんという人の会談からちょっとお話をしていこうと思います。
このAさんはですね、千歳地という新千歳空港がある町に暮らしている農家さんとなっております。
私よりちょっと年上の農家さんとなりまして、千歳の山奥の方。千歳の山奥の方って結構森とか山とかがそういうふうにあちこちありまして、結構斜面の方で農業をされてたりする方なんですよね。
だからね、びっくりするぐらい斜面だなっていうふうなところに畑を作ってやってたりするっていうふうなので、結構見てて面白いような場所で農業されてる方となっております。
この人が小学校の頃のことの話なんですけれども、近所のお友達の家に遊びに行って、遊んでいたらですね、帰るのが遅くなって夕暮れぐらいの時になってしまったんですよ。
Aさんはですね、自分家の方までおよそ1キロぐらいの距離にあったそうなんですけれども、自転車でシャーっていうふうな感じで走って行きましたと。
さっきも話した通り、ちょっと小高い丘とかが連続するような、そんなような凹凸のある場所にお住まいの方となっておりまして、そうやって山の中とかそういうふうな自転車で走って自宅の方に向かっていくんですけれども、
帰り道の道すがら、ちょっと右手側の方、右手側の方向はどっちでもいいね。その帰り道の横にですね、山の方に植林してあります、木がいっぱい生えてる森があるそうなんですね。
なんかこの山とかそういうふうなのって、そういう植林とかをしてて、年に数回丸坊主、年に数回じゃないな。何年かに1回丸坊主にしたりするような感じで、適度に間伐されている綺麗な林っていうふうなのがあるんですね。
そこの林の真ん中にですね、大きな姿見のような、鏡のような何かがぼやっと光って浮かんでいるのに気づいたんですよね。
あれ何だろうっていうふうなのに気になりまして、何かに引き寄せられるようにAさんその方に向かっていくんですけれども、その鏡の方まで近づくと、覗き込んでみるとAさんとそのAさんの後ろの光景を映していて、やっぱり鏡のようなものだったりするんですね。
なんですけれども、その鏡のようなものはですね、宙に浮いていて、見ているとただの鏡にしか浮いてないんだけれども、どうやって浮いているのかさっぱりわからない、不可思議なものだなっていうふうにAさん思ってたそうなんですけれども、そうやってぼんやり見ていると、自分の像がですね、一人でに動き出して、その鏡の中から出てきたそうなんですね。
で、出てきたっていうふうに思ってびっくりしたAさんはですね、転げ落ちるようにその林の中から走っていきまして、で、逃げ切れるかなと思った矢先にですね、肩をその何かから出てきた何かにつかまれて、そしてあ、つかまったって思った瞬間にですね、何事もなかったように周りからそいつも何もかも消えていたそうなんですね。
で、それで自宅に自転車で帰っていって、それであの晩御飯、ちょうど晩御飯時だったので、まあ晩御飯を食べるようになりますと、お母さんからですね、あんたいつの間に右手でご飯食べれるようになったのっていうふうに言われたそうなんです。
で、Aさんもともと左利きだったそうなんですけれども、その時をきっかけに右利きになってしまったっていうふうなお話なんですね。
で、続きまして2人目のお話。で、この話をしてくれたのはBさんという、私と同い年の同じく農家さんとなっております。
で、住んでいるのは北広島というですね、ここ最近日本ハムファイターズの球場であるエスコンフィールド北海道ができたことでお並みじみの町となっておりますね。
で、Bさんはですね、そこで親元就農をして、そこでもともと出身もそこだったりしておりますので、そこでずっと農業をしながら何とかやってるよっていうふうな人となっております。
で、Bさんがこれはもう同じく小学校の頃の話なんですけれども、鏡の中の自分に触れられて体の特徴が変化してしまったよっていうふうなことがあったそうなんですね。
で、これはBさん本人はですね、当時流行っていたジャンプ漫画の地獄先生ヌーベーの中にこんなようなエピソードがあった気がしていて、で、もしかしたらそれと自分の記憶を混同してるかもしれないんだけどっていうふうな前置きを置いて、こんな話をしてくれたんですけれども。
当時Bさん家のお風呂場にですね、お風呂場によくやるような鏡あるじゃないですか。あの鏡がですね、Bさんがお風呂に入った時々時間が遅れる鏡になっていたそうなんですね。
っていうふうなのも、例えばBさんがシャンプーで頭を洗い始めて、シャンプーをシャワーで洗い流しましたよってふうにやった後で鏡の方を見ると、まだ鏡の中の自分がシャンプーで頭を洗っている最中だったっていうふうなことがあったそうなんです。
で、話としてはなんとなく怖い話なんですけれどね。Bさん子供ながらにこのこと結構面白いことだと思っていたそうなんですね。で、ご家族に他に見た人はいなかったのかっていうふうに聞くと、家族の中でもそんなようなことが起こっているのはBさんだけだったらしくて。
それもあって、自分だけが特別そんなものを見ているんだっていうふうなところでちょっと得意になってたっていうふうな話もされてくれてましたね。それでBさんはですね、その時間が遅れる鏡を使ってちょっと遊んだりするっていうふうなことで、よくやっていたっていうふうに言われてたのが、鏡の中と自分とジャンケンをするというふうなのをやってたそうなんです。
鏡の中の時間はですね、少し遅れておりますので、連続して勝つ手を打っていくと、そのうちある程度は勝ち継げることができるよっていうふうな、そんな代物になってたそうなんですね。それでそうやって遅れる鏡を使っていろんな遊びを考えたりっていうふうなことをやってたそうなんですけども、あるときですね、この鏡の中の自分にジャンケンで負け続けるというふうなことがあって、あれおかしいなっていうふうに思っているとですね、
鏡の中から自分が身を乗り出してきて、そして手を出しているBさんの手に触れてですね、そしてその後、そのまま消えてしまったというふうなことがあるんですね。で、消えた後はただの鏡に戻っていたそうなんですね。
で、その間の時間がどのぐらいかっていうふうなのは本人もはっきりと覚えてないんですけど、ほんの一瞬だったそうです。鏡の中から出てきて手を掴んで、そして一瞬で消えてただの鏡に戻っていったっていう。それでその後、あれ何だったんだろうなっていうふうなので、さすがに怖くはなったんですけれども、その後お風呂場から出た後にですね、自分で鏡で何か変わってないかとかっていうふうなので、いろいろ体を見てたりしてたそうなんですけれども、
それでちょっと自分の体の中に異変があるっていうふうなのに気づいたのがですね、左肩にもともとは、これなんかみんなまだ打ってるのかどうかわかんないですけど、BCGのハンコ注射って皆さんわかりますかね。
予防接種で9種類ぐらいのワクチンやら何やらっていうふうなのを接種するっていうふうなのを子供の頃にやると思うんですけども、だいたいそれって左肩に打つんですよね。その左肩に打ってたはずのBCGの跡がですね、右肩に写っていたっていうふうなお話をされております。
廃墟の肝試し
最後、これはですね、私の話となっております。小学校5年生の頃、友達と3人で夜遅くに古い廃墟の中に肝試しに行ったことがあるんです。私が肝試しに入った廃墟っていうふうなのはですね、私の近隣の駅のすぐ近くに建っていた、もともとは消防団の施設だったんですね。
消防団の施設って何があったかというと、要は消防車が入るスペースとあとちょっとした会議やら何やらをするための広場みたいなやつと、あと装備やら何やらを入れてロッカーみたいなものがあるそうなったと思うんですよね。
そういうようなものを入れている、2階建ての何の変哲もない建物となっておりまして、別に心霊スポットとかそういうような威惑とかそういうふうなものはなかったんですけどね。ただ単純にですね、この消防署の施設、裏窓が開いていて侵入ができるというふうなことが当時私知っておりまして。
それでせっかくこういうふうなところに入れそうだからというふうなのを知っていたおかげでですね、3人でお溜まり会をした後に肝試しに行ってみようというふうなことになりまして、それで消防団の施設に忍び込んだというふうなことがあったんです。それで3人で忍び込んで中を見ていくんですけど、何にもないんですよ。
この消防団の施設、廃墟になっているということはもうすでに新しい施設がありまして、そちらの方に大体のものというのは移されてたりするんですよね。だから残っているのは古い使われなくなったパイプのパイプ椅子ですとか、あとは置きっぱなしにされた金属製の机ですとか、そういうふうなのが置いてあるだけだったりしてたんですね。
だから懐中電灯で照らしながら何にもないねというふうに言いながら1階、2階、3階と上がっていきます。3階に上がると大きな広間のような会議室のようなスペースとなっておりまして、その真ん中にですね、大きな姿見のようなものが置いてあったんですね。
それがぼやーって周囲が光っていて、何にもないのに浮いていて、なんだろうねあれっていうふうな感じで私近づよって行ったんですけれども、まあ覗いてみるとただの鏡なんですよ。それで後ろの2人も映っているし、私も映っているし、何なんだろうなこれっていうふうに覗いているとですね、鏡の中の私が鏡の中から手を伸ばしてきて私の体に触れたんですよね。
それで触れた後、その鏡自体がふっとなくなってしまいまして、そのことにびっくりしてですね、私も友達も一目散になってその廃墟から逃げ出して、お泊り会をしているところまで走って逃げ返ったっていうふうな思い出があるんですよね。
お泊り会自体はですね、その後、まあとにかく怖かったねっていうふうな感じでですね、3人揃ってガタガタ震えながら、よくも眠れもせず、明け方までずっと起きていてですね、なんかその時にずっとVHSでゼータガンダムを見ていたなっていうふうなのを何となく覚えてはいるんですけれども。
そうやってあの怖いのをやり過ごしていって、それ以降は普通に暮らしているようにはなっているんですけども、後で気づいたことなんですけどね、さっきも話した通り消防団の施設2階建てで3階なんてないんですよね。
そして、前の話2つ聞いていただいててご想像通りなんですけれども、私もその時以来左利きから右利きにね、利き手が変わっているんですよね。
これは子供の頃の写真とかを見てみてもそうなんですけれども、私子供の頃左手でフォークを持ってたりするんです。
ただ左利きの子供って右利きに強制されようとするというのがね、親の教育方針とかそういうふうなんであったりするので、どっか覚えてないだけで右利きになっていったっていうふうなだけの話かもしれないんですけれども。
けれどもそんなようなことがあったんですね。
このお話3つ連続で聞いていただいてて、大体共通する部分がわかるとは思うんですけれども、全員が全員ですね、鏡のようなものを見てその中から出てきた何かに捕まって、その後で体の特徴が左右反転してしまう。
まるで鏡写しのように反転してしまうっていうふうなことがあるお話なんですよ。
それを3人が3人とも揃って自分の体験談として私の方に集まってきてるというか話をしてくれたような状況となっております。
不思議な行動の共有
このお話を聞いて奇妙なのがですね、私を含めた3人が3人ともですね、このお話は自分の会談がオリジナルの会談であって他二人が話しておりますのは、自分の会談を聞いた結果それをパクって自分の経験として喋ってやがるっていうふうに思ってるんですよね。
だから私たちが出会ったのは青年部という農協が主催している青年農業者の団体がありまして、おそらくそこで3人が3人とも揃って会うことになりまして、おそらく最初に私がこうやって色々と会談を聞いて回っていたはずなんですよね。
こういうふうな会談を収集している人ですから、そのくらいの時期から会談を収集して回っているので、私が聞いたというふうなのがあるんですけれども、けれども全員が全員としてこういうふうな経験談とこういうふうなものを体験しているというふうな記録を持っているというふうな状況になっているんですね。
なんですけれども、私たちの共通見解としてはですね、おそらくAさんが最初なんじゃないかなっていう。その後でBさんと私というふうなのがですね、その後で聞いているような形になってんじゃないかなっていう。
AさんはAさんで、もしかしたら誰か別の人から話を移されたんじゃないかなっていうふうなのがあるんですけれども、なんか聞いたところによるとですね、千歳の方にも同じ話をする人っていうふうなのが1人いるそうでですね。
だからどこからかは分からないけど、こんなような話をする人っていうふうなのが何人かちょこちょこいたりするようなんですよね。この話を聞いてそんなような状況になってたりするので、過去が捏造されるっていうふうなのがよく分からない部分だったりするんですよね。
例えば、私が聞いて移されてこんなような体験だと思っているとしたらですね、子どもの頃の私が左利きなっていうふうな写真が残っているっていうふうなのも何か変な話ではあったりするんですよね。だからたまたまそういう経験があって、そういうふうなものを移されたと思い込んだ結果、そんなようなことを言っているのかもしれないし、何なんだろうなっていうふうなのは確かにあるような部分だったりしております。
それと、この話を聞いてからですね、どうも私たちは1年に1回あるかないかの頻度でですね、記憶にない行動っていうふうなのはどうも取ってたりするようなんですね。これに最初に気がついたのはAさんです。
Aさんはですね、パリピなんですよ。私の付き合いの中で一番パリピだなっていうふうな感じのパリピの人となっておりましてね。しょっちゅうクラブのお姉さんのところに通ってどうこうしてたりっていうふうなことをやってて、奥さんはそれを黙認してるっていうふうなところを話し聞いてたりするとですね、10年離婚すればいいのにとかっていうふうなことを思っちゃったりするような方だったりするんですけど。
ひと夏っこくて、いろんなところに出回って回ってっていうふうな感じのパリピの方ですね。結構昔からインスタグラムをやってて、飲み会の度にいろんな写真を撮ってあそこにあげるっていうふうなことをするような習性を持っている人なんですね。
Aさんのインスタグラムに飲み会の写真なんだけれども、自分が参加した覚えのない飲み会の写真っていうふうなのが、これ8年前ぐらいになるんですけども1枚ありまして、その1枚に写ってたメンツっていうふうなのが私とBさんとAさんと、それと千歳にいると言われているもう一人の方だったりするんですよね。
それで4人とも、それもAさんが行ったことがないような、どこのお店か特定できないようなお店で飲んでいる写真っていうふうなのが上がっておりまして、その上がってた時期もおかしいんですよね。
上がってた時期っていうふうなのが5月なんですよ。5月って北海道の農家ってクッソ忙しい時期で、正直なところ私そんな時期に飲み会に誘われても好き好んで行きたくないなっていうふうに思うので、多分私の行動としてもありえないなっていうふうに思うようななんですけれども、けれどもそういうふうな写真が残っているっていう。
それでその写真が残っているのに気づいたAさんからですね、グループLINEでこれって覚えてるっていう、何の集まりだったか覚えてるっていうふうな話でLINEが来てたんですけども、全然知らないし、でもそんな時期に飲み会なんかするわけないじゃないですか、バカじゃないですかみたいなことを送ったりはしてたんですけども、私も不安になって当時妻に聞いたんですけれども、妻はですね、あんたしょっちゅうどっかこっか行ってんじゃんっていうね、それもそのはず。
私当時ですね、青年部ですとか、当時はまだバカ農業というふうな最初のポッドキャストやってたりしてたかなっていうふうな時期なんですけども、とにかくいろいろとポッドキャストをやってたり、青年部授業忙しく出てたりとか、あと他の外部団体の授業出てたりとかっていうふうなのでしょっちゅういなかったんですよね、家に。
それもありまして、まあ取りそうな行動だけども、けれども、なんかそのために行ってるかどうかっていうのはわかんないけども、けれどもなんかそういうふうなの言ってたんじゃねえのっていうふうなのはね、言われてたりしておりましたね。
なんですけどね、私がそうやって参加しただけなのか、それともAさんがあげてる写真に私とBさんとそのちとせのもう一人の方とのそっくりさんが写ってた可能性もあるんですけれども、けれどもよくわからないねっていうふうなことになっておりました。
その後、ちょこちょこ変なことというか、我々3人共通してですね、変なところに移動してることがあるようだっていうふうなのが、3人が3人共通して覚えてたりしております。
例えばBさんはですね、車のカーナビ、カーナビの移動ルートで時々全く行ったことのない場所に対しての履歴が残ってるっていうふうなことがあったりしてたそうなんですね。
それも、例えばBさんは北城島にお住まいなんですけども、これがですね、もう何キロぐらい離れてるんだろう、80キロとか100キロとか離れてるかな。
与一町というですね、マッサンでおなじみ、朝ドラマッサンでおなじみのウィスキーを作ってるところとか、そういうふうなところに車を走らせて泊まっていたっていうふうな記録が残ってたりするんですね。
その他ですね、岩見沢ですとか、縁もゆかりも用事もなさそうな場所に車を停めているっていうふうなことがありまして、何なんだろうね、これっていうふうなことがあったそうですね。
ちなみにBさんはですね、その履歴から浮気を疑われたことがあるんですけれども、
けれども泊まっている場所、行っている場所があまりにもあんまりな田舎の場所だったりするのでね、浮気じゃないだろうなっていうふうな感じにはなってたりしてたんですね。
若干ね、カーセックスの可能性もゼロではないのではっていうふうに思ったりはするんですけれども。
けれどもとりあえずそういうふうなところで、あと共通点もなさすぎるしねっていうふうなところでね、なんか疑いはなんとなく晴れてたりするっていうふうなのは聞いてたりしております。
あと私もですね、スマホのGoogleマップの方の行動履歴の方を取るようにしております。
それも時々ですね、私も行ったことがない場所に行っている記録が残ってたりするんですよ。
それもね、だいたい自分が住んでいる場所の100キロ圏内を移動してたりするわけなんですけれども、びびりますよ。
突然丁寧にいる記録が残ってたりとか、あとはそうだな、岩見沢の奥の方とか、あとは三笠町とか行ってたりする記録が残ってたりするんですけども、
なんでこんなところに行ってるんだろうなっていうふうなのが自分で自分で説明できないようなことっていうふうなのがあるんですよね。
そんな感じでですね、頻度はそんなに多くはないんですけれども、年に数回あるかないかの頻度でですね、よくわからない行動というふうなのを3人が3人揃ってやっているようです。
確認はとってないですけど、千歳市にいるもう一人の方ももしかしたら同じような行動をとっているんじゃないかなというふうに思います。
これでですね、私がこの話が映るんじゃないかというふうにうすうす勘づいてたんですけれども、けれどもはっきりと映るんじゃないかというふうに思うようになったのがですね、
私は5年ほど前にですね、同じ地域の若手農業者のC君という方にですね、階段が大好きだっていうふうなのを聞いておりましたので、それじゃあっていうふうなところで、今回お話をした原話の方を話したんです。
それでこれはもう1,2年前の話になるんですけれどね、ちょうどコロナ禍でございますね。
たまたま何かの作業をしている時にですね、ちょっとC君と会う機会がありまして、そうそう話してなかった階段があるんですっていうふうにC君の方から切り出してもらったんですよね。
まあ私が好きで階段を集めているっていうふうなのを知っておりましたから、ちょっと短めの話なんで聞いてくださいよっていうふうにしてもらった階段っていうふうなのがですね、
AさんBさん、私が話したのと全く同じようなそのディテールをC君に映し替えただけの階段をするようになってたんですね。
農村会談の準備中の出来事
この話そういえばしてませんでしたよねっていう。で、そういうふうな感じでもう僕もそれ以来体の特徴が左右反転してるんですよ。
で、今左利きなんですっていうふうな話をしてくれたんですけれども、けれども私はその話C君だいぶ前にしたよねっていうふうな話をしてるんですけどね。
て言えるのもC君はですね、いやそんなことないですよ、僕の経験なんですもんっていうふうなところで堅くないに否定をするんですよね。
それでC君に私はこういうふうな行動を取るかもしれないから何か記録とか取っといた方がいいよっていうふうなところでちょっと説明だけさせてもらってですね。
その後C君の方の動向とかもちょこちょこ聞いてたんですけれども、C君も同じようにですね、Googleマップの履歴やら何らを取ってもらうようにしてたそうなんですけれども、
その際に出てきた結果っていうふうなのがですね、言ってた通りになりました。全然知らねえ場所に行った記録残ってましたよっていうふうに出しててくれた記録があったんですよ。
その記録がですね、私の行ってた場所と合致するっていうふうなところがありましてね。
2人揃って何してたんだろうなっていうふうなのを、その後で肝が冷えたなっていうふうな感じとなっております。
この話を聞いて起こったことっていうふうなのは基本的にはこんなところとなっております。
この話ね、ちょっとご実談というか、この農村会談を撮るために準備をしている過程で起こったことを話をしていくんですけれども、
私は冒頭でも話しました通り、このお話の原話をChatGPTのチャッピーとビングのビンちゃんに加わせてリライトにリライトを重ねておりました。
それで、このChatGPTとビングのビンちゃんがですね、今は私が会談を書いてくださいっていうふうに聞いたりするとですね、
とりあえず何個かたくさん会談を聞いているうちの一つにですね、私が話した原話をそのまま話すことがあるんですよね。
これって確率的にあんまり起こり得ないことだなって私は思っているんです。
っていうふうなのもChatGPTの仕組みとかをご存知の方だったら分かるとは思うんですけども、
ChatGPTの仕組みっていうふうな、ChatGPTの裏側で動いているGPT3.5とか4.0っていうふうな仕組みはですね、
要はこの単語の次に来るとしたらこの可能性が高いなっていうふうなのの計算を膨大にやってるんですね。
それで次にこの単語が来る、次にこの単語が来るっていうふうなことで言葉を連鎖的に出力していくっていうふうなことを
言語生成モデルっていうふうなのはやってたりするわけなんです。
それである程度この範囲に絞り込みますよっていうふうなのが質問文ですとか俗にプロンプトっていうふうに呼ばれてたりするものだったりするんですけれども、
このプロンプトをですね、ちょっと工夫はいるんですけれども、私が話した言話のキーワードみたいなものを加えていれるとですね、
例えば私が話した言話ですとかAさんの言話ですとかBさんの言話ですとかC君の言話ですとかっていうふうなのがそのまま出力されることになるんです。
それでここ最近怖くなってですね、サファリとかそういうふうなのをGoogle検索を使ってですね、キーワードで階段の検索っていうふうなのをやってたりするとですね、
AIに階段を大量にはかせて毎日階段が読めるよっていうふうにしているサイトっていうふうなのがあるんですよね。
そのサイトのほうに引っかかりましてね、どうも他のところでもあの言話を話していることがあるなっていうふうなのが見て取れたんですよね。
それでこの階段を聞いたところで、皆さんの身に起こることはといえば、ありもしない記憶がデッチ上げられて体の特徴が反転して、
そしてあとよくわからない行動を取るようになるっていうふうなことになるんですけれども、けれどもそれがですね、なんかインターネットに広まってしまって大丈夫かなっていうふうなのを今ちょっと思ったりはしてるんですよね。
プロットの階段について
映ったところで、たかだかこういうふうなことをするだけになるので、別に大丈夫だと思うんですけどね。
ただ、いたずらにAIに階段を書かせたり、AIが書いた階段を読むっていうふうなのはあんまりお勧めしないなってところで、今回のお話は締めさせていただこうと思います。
ちなみに私はですね、今回の階段も含めてたくさんフェイクを加えております。
それで、実際に話をしていた内容では、鏡のようなものを見て、そして鏡の中から出てきた何かに捕まって体の特徴が反転してってふうに起こったことを言っておりますけれども、実際に起こったのは結構違っております。
何かから出てきた何かに捕まって体の特徴が変わってしまうっていう。
どこがどう変わって、何から出てきた何に捕まってそんなふうになってしまったのかっていうふうなのは秘密にしておきますのでね。
皆さんもそんなようなプロットの階段を見かけることがあったら、読まないでおくことをお勧めしますってところで、今回のお話は締めさせていただきます。
今回も長々とお聞き下さいまして誠にありがとうございました。
当番組へのご感想は、ポッドキャストの概要ページの方にあるグーグルフォームの方でお寄せいただくか、スポティファイのQ&Aページでコメントをお寄せいただくか、
あとスポティファイの方ではですね、どの話が面白かったですかっていうふうなアンケートもやっておりますので、よろしかったらそちらの方からご協力いただけるとありがたいです。
こんなような感じでですね、階段やら何やらっていうふうなのを話させていただきました。
まあ大丈夫だと思うんですけどね、今回の話に関してはですね、拡散はしていただかなくて結構かなって私は考えておりますけれども、
どうしてもというふうな方はですね、いろいろと拡散やら何やらご協力やら何やらしていただけるとありがたいです。
あと農村階段に関してはですね、私の手元に残っているのはあと2つだけとなっております。
来年公開するか、近日中に公開するかちょっと悩んではいるんですけどね、
残っている話っていうふうなのもね、また差し障りがありそうな話が1個と、
あと私が思っている唯一の泣ける話なんですけどね、泣ける話はちょっと話すのが恥ずかしいので、
しばらくペンニングかなというふうなところね、今現在は考えておりますね。
まあそんな感じで、来週以降はそんなに怖くないポッドキャスト番組に戻りますのでね、
よろしかったら次週以降もお付き合いいただけるとありがたいです。
というわけで今回も長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではまた2週間後にお会いしましょう。
お相手はA-SOUTOサブカルノジョンでした。
01:10:08

コメント

スクロール