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スピーカー 2
こんばんは、ユーチューバーのカグアです。リスナーの皆さん、今日も一日お疲れ様でした。
スピーカー 1
はい、今日は久しぶりにテレビの収録にスタジオに行ってきたんですけど、その話はね、またいつかしたいと思います。
スピーカー 2
今日は、レターが久しぶりに届きましたので、そちらを読ませさせていただきたいと思います。
スピーカー 1
はい、今日はですね、ちょっと自分と向き合う言葉、吹き覚えてなので、もう早速ね、レターの方行きたいと思います。それでは読みます。
こんばんは、さかなくんです。前回送らせていただいた時は、ちょうど100回目のラジオでしたね。ありがとうございました。いやーこちらこそ本当、いつも聞いていただいてありがとうございます。
早速なんですが、僕は今年、高校受験ということもあって、勉強に忙しくなると思うのですが、あまり勉強できないし、頭も悪いので、
受験が不安です。まだ受験勉強も始めてなくて、いつから始めるのがいいのかも分かりません。こんな生活でいいのかも不安です。
かぐわさんは学生の時、どのような生活や勉強をしていましたか?長文失礼しました。
いやいや、全然大丈夫ですよ。でね、私の学生の頃ってほら、SNSもないし、スマホもないし、やっぱり環境が全然違うので、僕自身はね、受験の頃は塾に行っていて、
塾のみんなが受験するから、俺も受験するんだぐらいにしか考えてなくて、もう流れだったので、なんかね、これに共感できる答えがちょっとできなそうだなと思いました。
ただ、受験とかその進路、進路に関して不安を感じていた時があったので、その時の僕の話をしようと思います。
なので、さかなくんはね、僕の話を、体験を聞いて、その上で自分自身に置き換えて、合うところがあれば参考にしてもらえればと思いますので、そんな感じで聞いてもらえればと思います。
そう、僕はね、受験、もともと教員を目指すべく大学に入ったんですね。
スピーカー 2
で、大学4年間で教職の免許を取る、まあだいたい1.5倍ぐらいですかね、その通常の授業のプラスアルファの科目をね、教員用の科目を取らなくちゃいけなかったんですよ、教職課程っていうね。
スピーカー 1
でね、僕はサークルとかに明け暮れていて、教員免許を取得する目的で入ったのに取れてなかったんですよね、卒業までに。
さあ、4年生の時どうしようかと。
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スピーカー 1
今でもね、当時同じ学年の友人が、そんなので大丈夫なのかって心配してくれた顔をね、今でも思い出せますよ。
もうだから4年生、卒業を控えた半年前で教職の免許が取れないことは分かりましたと。
で、就職活動も一応してたんですね。ただそこも、その時期まではまだ受かってなかったんですよ。
スピーカー 2
だからどうしようかと。まあ就職氷河期の手前だったのかな、ギリギリ手前だったので、受かっている子はもうみんな受かっていて、でどうしようかなと。
でね、それをね、今振り返った時に、
スピーカー 1
僕自身はやっぱり勉強がね、あまり好きじゃなかったんだなってね、今では思います。
だから、やっぱりちょっとね、サークルは面白かったんだけど、一方でサークルに逃げていたのかなっていう気もします。
そう、やっぱりその勉強の大変さにちゃんと向き合わなかったんだろうね。
弱かったんだろうね。
で、僕はどうしたかというと、まあ意地もあって、教職課程を取るためだけに、まあ科目通り修正っていう制度があって、大学院じゃないんですけど、学校に残れるっていう制度があったんですね。留年とかではなくて。
それを知って、じゃあその分は自分で学費を稼いで、学校に残ってちゃんと免許は取ろうというふうに思ったんですよ。
スピーカー 2
でね、新聞配達をしながら学費を稼いで、何とか2年間でその免許は一応取れました。
スピーカー 1
ただその新聞配達をした時に新聞屋さんの寮に入ったんですね。だから家からまあ出ることになったんですよ。
でね、社会人になってから5、6年経った時にある時、母親が
あの時相談してくれれば、家出ていかなくてもよかったのに、ってなんかポツリと寂しそうに言ったんですよね。
あの時の顔も忘れられないですね。ああ、もっとちゃんと相談すればよかったな、自分の弱さを。
スピーカー 2
母親とか親には打ち明けて、向き合ってもよかったなっていうふうに今では思います。自分も親になったから余計わかるんですけど。
スピーカー 1
で、2年間で教職の免許を取って、何とか、ただそう教職の受験って地方自治体によってもだいたい回数が決まってるんですよ。
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スピーカー 1
で、受けられる一応最大の回数3回かな、僕は受けたんですけどどこも受かんなくて、なかなか倍率20倍とかすごい高いんで、やっぱりもうこんな2年間プラスアルファでかかってるようなやつは受かるはずがないんですね。
スピーカー 2
とは言えば、どうしようかなと。ただまあ幸いそこは粘った逆、結果1月ギリギリに専門学校の教員の募集があって私立なんですけど、そこにはたまたま受かったと。
スピーカー 1
まあだから結果オーライといえば結果オーライなんですけど、今、僕がタイムマシンに乗っていけるものならば、
スピーカー 2
当時の自分にこう言いたい。自分の未来を作るんだ。
辛い時があっても、勉強から逃げたい時があっても、思い出してほしい。自分で未来を作るんだ。
スピーカー 1
人生って選択なんですよね。逆に言えば、選択しない時でも選択をしなかったっていう選択をしたことになっちゃうんですよ。
なぜかというと時間は常に迫ってくるから。だから僕は卒業っていう時間が迫ってくる中で、例えばその最低限の就職口を確保するとか、
もう最悪自分がその教職取れなかったらこうするっていう就職口をちゃんと見つけておくとかっていう、その一番最悪のシナリオに対して僕は未来を作ることから逃げてたんだよね、当時。
やっぱり自分の夢とか意地とかあったり、変なプライドとかがあったり、そういう弱さを認められなかったり、向き合ってこなかったんだよね。
スピーカー 2
もっとだから今だったら自分の未来を作れるのは自分だけしかいないっていうことを本人に言ってあげたい。
頑張れって言いたいんじゃないんですよ。とにかくちゃんと納得できる形でちゃんと前向きに選ぼうぜってことなんですよね。
スピーカー 1
だから受験とかで言えば、自分の実力を測るためにまずは何かの模擬試験を受ける、このぐらいの実力でとりあえずこのぐらいの学校は受かるっていう一番
ボーダーのラインが分かればそこで保険がかかるわけじゃないですか。そしたらプラスアルファはどんどん上を目指していけばいいっていう戦術が取れるわけですよ。
スピーカー 2
でも僕は自分のプライドはプライドや弱さからそういうことさえもしてこなくて逃げてたなって当時の僕を振り返ると思います。
スピーカー 1
国によってはね、自分の未来を自分で決められない国がこの現代にもあるんだよね。
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スピーカー 1
それを思えばね、本当、当時の僕はなんて情けない奴だったんだなって今でも思うし、
スピーカー 2
結果オライでたまたまそういう道に入れたから良かったようなものの、もののっていうことですよ。
スピーカー 1
まあだから努力とかもがきはしてたから最悪神様が拾ってくれたんだろうなっていう気はしますけど、
それでもね、なんか
自分で未来を作るっていうほどのちゃんと向き合い方はしてなかった気がする。
スピーカー 2
だからタイムマシンがあったら当時の僕にはそう言いたいね。
スピーカー 1
やっぱり連休嫌いだったと思うんだよね。だから逃げたいっていうのはね、今でもわかる。今でもね、嫌な仕事があるので。
なんかね、ついついネット見ちゃうし。でもいいんだよ。その弱さは弱さでいいんだよ。
だけど弱さを認めた上で自分がどれを選択するのかっていうことはちゃんと決めようぜ。
スピーカー 2
自分の未来を作るのは自分だけだから。 幸い日本はそれができるから。
っていうふうに僕は当時の僕に、なんか不安、将来に不安に思ってた当時の僕に言いたい。
スピーカー 1
なので、さかなくんの状況とか親御さんとの関係とか、いろんな環境をわかんないながらで、アドバイスはね、ちょっとね、多分僕の時と当時とは違うので、
できないなと思ったので、僕の体験談をお話ししました。少しでも参考になれば嬉しいし、
リスナーの皆さんも、さかなくん、いやこんなふうな考え方あるよ。 こう思うよ。いやこういう考え方がいいんじゃないとか。リスナーのみんなもぜひ、
さかなくんさんにメッセージ送ってほしい。 もう僕のレッターかツイッターかでもいいので、
スピーカー 2
みんなで励まして、一人じゃないんだよ。俺も不安だよって、その一言でもいいから。
スピーカー 1
みんなで、そう、頑張るって言うとなんかちょっと違うんだけど、一人じゃないってことよ。
手を取って、 とにかく前に進もうぜってことよ。
なので、 顔文字でね、ブワーってあの泣いてる顔文字あんのよ、これ。
レッターの中に。だからみんな、 声かけようぜ。
というわけで、今日はレターに答えました。 時間がちょっと来ちゃいましたけど、終わりますけども、
はい、今日も聞いてくださってありがとうございました。 止まない雨はない。明日が皆さんにとって良い1日でありますように。
スピーカー 2
そして、さかなくん頑張れ。 おやすみなさい。