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2024-09-11 22:30

【今日のボクとGPT】「地主」はいつから地主?〜地主への2つの道

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▼Xポスト▼
https://x.com/chikara_ctd/status/1833481839098663230?s=46&t=Rxu58jqNGGrPyK03Zn1TiQ

※Xは次の5つの連続ポストになっているので、最後までぜひお楽しみください😊
①地主はいつから地主?
②「地主」は農地だけ?
③都市拡張とかに「都市地主」は絡んでいったんじゃない?
④農地解放の時「農地地主」→「都市地主」の転身あった?
⑤「農地地主 兼 都市地主」はいた?いつ頃から?


▼リブラ先生の放送▼
知らず知らずの社会主義国家 - 日本の意外な真実
https://stand.fm/episodes/66db51a19b0de2dfc6bc0e35

[BGM: MusMus]
#地主

#今日のボクとGPT
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#AI
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00:05
チカラチャージ💪ラジオ
おはようございます、チカラです。
今日はね
また
ボクとチャットGPTの話になるんですけど
いや、すっごくね
ボクは面白かった
話があって、これまた
俺流
人宇宙的にちょっと
何シリーズかになっちゃうかもしれないんですけど
いや、ほんとにね
面白かった。何かというと
地主さんと
日本の商家さんというね
名前は聞くでしょ?
時代劇とかでも出てくるし
そのお話が
この間のリブラ先生の
放送会の
日本の
社会主義的な
行動だったり
そこに影響を与えていたのが
なんだっけ
昔の
農地制度の
JHQの
やったことだったり
あの辺りも関連するんじゃないかみたいな
そんなお話から
三宅さんとリブラ先生の
コメントで
商家と地主って確かに
どういう違いなんだろうみたいな
三宅さんの
コメントもあったりしたんで
確かにボクも
なんか曖昧だけど
全然その辺理解してないな
と思ったんで
またそうです
チャットGPTに聞いてみたんです
そこから派生して
今日はちょっと大枠の話なんだけど
まずは地主と商家って
何が違うのか
っていう話も確認をとったんだけど
そこからさらに
地主ってそもそも
なんで土地持ってたんだろうって
思ったんです
不思議じゃないですか
実はね
GPTに商家と地主の話を
していたときに
その当時
資能交渉っていうね
役割制度があったとき
江戸時代ですよ
江戸時代って実質
物理的な土地の
所有者って誰だったって
皆さんわかります?
歴史の教科書に載ってるのかな
でもボクはちょっとね
言われるまで
言われたら確かにと思ったんですけど
その辺知らなくて
そうなんですよね
実質の
実質じゃないや
物理的に土地は
誰の所有だったか
所有権は誰にあったかというと
その
土地を治めている班
もしくは国の政治を
治めている幕府
どちらかが持っていた
っていうことだそうです
これもGPTが
教えてくれました
物理的な土地の
所有者は
03:01
幕府にあった
ただし
その中でどうやって
地主と呼ばれるものが
生まれたのか
とてもボクは不思議だったんです
その辺を
GPTに聞きながら
そしたらね
地主さんの中にも
二つの道があったと
いうことが分かってきて
一つは農地
米を耕す農地を
持っている地主さん
そっちの系列で
地主になっていた方と
もう一個は
大阪だったり
都市と呼ばれるね
よく宿場町みたいにも
言ったりするのかな
時代劇とかでも出てくるんじゃないですか
お団子屋さんやってたり
包丁
作ったりとか
品工商の
工と商ですよね
職人さん
物を作る職人さんだったり
宿屋をやったり
お団子屋さんやったり
商売をしている品工商の
工商ね
商売人さんと工芸人さん
職人さん
ワイワイやってる町ですよ
そこの
町の中の
地主さん
二つの系列がありました
聞いていくと
どっちも地主になって
いった成り立ちっていうのは
ほぼほぼ同じような成り立ちだったんです
でもこの辺面白くないですか
だって実際の
土地の所有
者は
藩屋幕府なんですよ
でもその中で
実質的に
地主さんという方たちが生まれてくる
これ
農業の方の話から説明すると
ちょっとイメージつきやすいかもしれないですけど
もともと
農業
農民
畑を耕してお米を作る方たち
が農村部に
住んでいて
その人たちは
藩屋幕府から
耕しましょう
その耕したところで
出来た米から
年貢を税金として
納めなさいということで
このエリアは
あなたの耕すべき
土地
こっちはあなた
こっちはBさんCさんDさんEさん
で割り当てをされました
これをGPTが言うには
土地の所有権
土地自体は藩屋幕府のものですが
土地を
そこの割り当てられた
土地区画を耕す
権利を
農民が与えられていました
だから
まずはその
段階では地主さんなんか
一人もいないですね
それぞれが割り当てられた
06:01
土地がありましたと
いうことだそうです
その中で自分の
割り当てられた土地を耕す権利を
自分が持っていて
それは摂取制だったそうです
摂取制というのは
自分から子供から孫
自分の代々の
地のつながっている
人たちに
耕す権利を
引き継いでいっていいですよ
というものでした
でもまだ人類資産出てこないですよね
でもここから
どういうことが
広がっていったかって
言うには
ちょっと待ってくださいよ
今見ますね
今GPTの場所を見つけました
ちょっと読んでみますよ
地主産というのは
言うならば
富裕農民だと
少し豊かになった農民のことが
農地の地主産
という
形になっていったと
どうして
そこの貧富の産みたいなものが
出てくるんだと
一応
土地自体は
幕府や藩のものだし
法令として土地自体の売買は
禁止はされていました
幕府や藩からね
土地を売ったり買ったりしちゃだめですよ
ただ実際には
村の
農村地の中では
自分の
土地を
耕していいよの権利を
貸し借りしたり
その権利自体を
実質売買されるケースが
やっぱりありましたってことだった
そうなんですよ
だから要は
藩や幕府からしたら
土地から逃げられたら困るけど
誰かが耕して
誰かが税金を納めてくれてさえいれば
多少のことは
何か実質実行支配
みたいな
いろいろ売買やったとしても
目をつぶるというか
口は出さなかった
そうなんです
そうするとこれ1年2年の話だったら
分かんないかもしれないですけど
これが100年200年300年
って思ってください
そのぐらいの長い期間でしょ江戸時代って
その中で子供かな
孫ひ孫だって
徳川幕府の将軍でさえ
十何代までいくんだから
その間ずーっとその土地を
あなたは耕す権利を
あなたは持っていますという区画を
持った中で
集落で動いているわけですよ
中には体調が悪い隣の
なんとかさんね
Bさんは本当に生まれた時から体調悪くて
耕しきれないでしょ
あの人は
でも僕はめっちゃくちゃ2人分ぐらい
働けますよ
じゃあちょっと手助けしてあげましょうか
っていうことからスタートするケースも
あったんじゃないかと
僕は思いました
自分の時代では
それをそういう背景もあったから
09:01
助けてあげていって
実質は僕が2つ分の畑を耕すってことを
やっていたとして
その子供や孫の世代に
言ったとしますよ
土地の権利は
世襲制ですから
生まれた時から
僕の家の目の前の土地と
その隣の土地を耕している僕を見て育った子供は
いつの頃からか
両方の土地を
耕す権利を
自分が持っているように感じる子供も
いたかもしれません
さらにその孫
いやもうずっと生まれた時から
おじいちゃんの代から両方とも
うちの家で耕してるじゃないの
っていう風になっていったかもしれません
実際に
助けられた側からすると
助けてもらっている手前
強く言えないこともあったかもしれません
土地を
私は自分で耕しますから
もう返してくださいよ
って言い切れなかった
上下関係みたいなものが
無意識的にその300年間で
生まれたこともあったかもしれません
その中で
少しずつ
パワーバランスが
出来上がっていって
上下関係的になっていったり
強いリーダーシップを発揮する人も
出てきたかもしれません
300年ですから
その中で実際に
じゃああなたのところの
土地の権利を買って
私のところで管理しましょうか
っていう役割を担っていく
ような人がジョディに生まれていった
っていうのは僕は当たり前に
発生したんだろうなという風に
その時に思いました
その中でももう一回ですけど
藩や幕府は
実際の土地を
権利を持っている中でも
別に
その農村からの全体の
税金として納められる米が
減らなければ別に文句はないんですよ
誰かが管理してくれる
自分たちの代わりに管理するんだったら
やっておけよっていうことだったんじゃないか
っていうのも想像に
固くないと思いましたね
そうすると
その中で徐々に
実効支配をしていく
人の役割の人が
出てきたんだろうと
言い方悪いかもしれないけど
滝島みたいなもんでしょ
実効支配実力支配している人が
実際の所有者みたいな風に
どんどんもう何年も
経っていったらなるわけですよ
50年100年200年
300年ですから江戸時代
その中で
そうは言っても国としてはまだ
土地自体の所有は
藩や幕府のものですよ
っていうの変わらないまま
江戸時代が終わったタイミングで
明治になった時に
ちゃんと
ちゃんと
地租改正という法律かな
これで
その実効支配していた
人たちの
土地の所有権を認めます
ということをしたようです
だから農地は農地として
12:01
実質その権利を持って
管理している人が
あなたの土地あなたの所有する
エリアそこまで全部含めて
あなたの土地と認めますということをね
地租改正ということで
やったそうですなので
江戸時代までは
実質の土地の所有者ではなかった
地主が明治の
地租改正によって
実際の所有権を持った
実質の地主になった
ということでその後に
農地改正があって
その地主として
全て所有していた農地を
解放しなさいと
安く
買い取られてしまった
というのが発生したそうです
これが農村部の地主
で都市部の地主も
同じような状況だったそうです
都市部は実際
誰が開発していく
場所だったかというと
冒頭に言った市農工廠の
工廠ね
職人さんと商売人さんです
で実際に
一番最初の
都市計画この場所に
こういう区画で
都市を街を作りましょう
という企画自体は
藩や幕府が線引きを
図面を引いたそうです
その中で
どの区画を誰が
責任を持って商売をしたり
その街を発展するのに
貢献していくか
それを募ったんじゃ
みたいですね
細かいところは分からないけど募ったと
そこで
また同じ理屈ですよ
土地自体の所有権は
藩や幕府にあるけれども
その土地のその区画を
使って商売を
していいよと
その土地を
使って商売何をする
権利を
与えますということをしたそうですね
でその中で
自分は宿屋をやろうとか
自分は団子屋をやろうとか
自分は
わら細工作ろうとか
そういうことをやって
街の発展に貢献をしてくださいと
いうふうに権利を
幕府や藩から渡された
ところからスタートしたそうです
だからこれも農村と同じで
最初はそれだけ
だったんだけれども
その中で
農民は年貢を米としてね
税金を収めるけれども
都市部は
今度は地代土地の代金
賃貸している土地の
金額みたいなものを
使っている間中は
地代という税金で
藩や幕府に納めなさいという
お約束の下
自分はそこの
土地を使っていいよという権利を
もらっていたそうなんですが
ここもまたね
1年2年の話での約
50年100年200年300年の期間です
その土地を
そこを使って商売何を
15:01
していいような権利は
また農民と農村と一緒で
接収制だったそうです
だから自分から子供
子供から孫
代々十何代続いていくことになる
わけです
その中でやっぱり一緒でしょ
お隣のなんとかさんBさんが
いやちょっとやっぱり体調悪いわと
もしくは
うまくいくと思ったんだけど
うまく商売いかんわと
でもその人は権利は持っているわけです
じゃあ
僕はもうめちゃくちゃ元気だし
うちの商売ちょっとまあまあ
うまくいってるから
ちょっとじゃあその土地の権利を
僕が
いくらかで買わせてもらって
そっち使っていいかなと
1号店
ちょっとお客さんいっぱいだから
2号店僕ちょうど作ろうと思ってたんだ
実際土地の所有権の売買は
ダメだけど
でも土地を使っていいような権利は
いくらでさ僕買いますよ
いくらかこれ足しにしてくださいよ
実際そこで働いてもらってもいいし
お給金出しますから
みたいなことが
50年100年200年300年の中で
実際に
貧富の差もあり
商売がうまい人と
下手な人もいたろうし
健康上の問題もあったろうし
いろんな状況を含めると
その街の中で
実質的に
たくさんの土地
実際は土地じゃないけれども
その土地を使っていいような権利を
たくさん持っている人
とそこから
お借りして商売を
させてもらう人みたいな
権限の権力の上下関係が
生まれていったということは
想像に固くないなと
GPTもね
もう一個聞いたんです
これ街って
やっぱり大きくなって
自分の商売もうまくなっていったら
その街自体を
広げていきたくなりませんか
なるでしょ
東京都だって小さい集落が
やっぱり人が集まってきて
商売うまくなっていくと
東京は実際大きくなっていくでしょ
同じように
自分が僕がそこでうまく
商売をいっていたとしたら
いやこの街の開発を
もうちょっと広げて
広いエリアで土地開拓しませんか
って言いたくなりますよね
だからちょっと聞いてみたんですよGPTに
実際そういう例ってありませんでしたかと
本来はその周りの土地も
含めてすべて土地を
所有しているのは藩屋
もしくは幕府であると
だから勝手に自分が
ウラニアみたいな場所
ちょっと草ぼうぼうだから
そこを草買って家建てちゃいたいな
って思ったとしても勝手に
建てられないわけですよね
これはそれは国のものだぞ
国の土地に勝手に物を建てるんじゃない
って言われるでしょうから
だからやっぱり
少し自分が権力を
持ってきた時には
もう少し手広くエリアを広げたい
18:01
と思ったらやることは
一つですよね
その土地を持っている藩屋
幕府に働きかけて
都市計画を
もう少しこういう風に広げてみませんか
っていう計画を
僕だったら打診しに行くなと思ったんです
でその中で
実際自分が計画を
したものでこの土地は
僕が権利を
使わせていただく権利をもらいたい
もしくは買い取りたいみたいな
話も交渉ごとでは
出てくるでしょうね
しかもそれ都市開発が
どんどん進んで広がっていって
そこから出てくる地代が
増えれば藩屋幕府としては
オッケーなわけですから
ウィンウィンな関係が
出来上がっていくなと思ったんです
そうすると
少し最初はフラットで
平等に分け与えられた
チャンスをもらった人だったんだけど
少しずつ拡大していって
力を貯めていった
暁には実際にもっと
自分で手を広げて
自分でプランをしてね
ビジネスを大きくしていこうみたいな
動きをする方もたくさん出てきたんだろうと
この50年100年
200年300年の中ですから
と思うと
そういうことだったんだろうなと
そして大地主と呼ばれるような
人も都市部の中で
出てきて
上手い商売をされていって
手広く自分の土地を広げていった方も
出てきたんだろうと
才能のある方はそういうことをやっていったんだろうなと
それが代々接収されていくと
いうのが
江戸時代の頃の農村で
育っていた地主さんと
都市部で育っていた地主さんの
ルートだったんだということが
GPTとの会話でもよく分かりました
で、農地開放
っていうのは農地を開放しなさい
で、都市は開放じゃなかったんで
農地の方で育った地主さんは
その農地開放GHQで
はい、農地を
回収します。安く買い取ります。
売りなさい。もう強制ですって
言われて買い取られた時に
自分がせっかくここまで
300年もね、おじいちゃんの
代、もっと非おじいちゃん、もっと
十何代前からの受け継いできた
土地がなくなるわけですけど
その中でやっぱり
土地を持っている価値
っていうのを知っている方たちは
都市部の土地を
今度は買いに行くとか
そういう風な方に動いていった
方もいましたっていうことは
GPTは言ってましたね
いや、この人資産になっていく
というね、過程が
そういうものだったんだっていうのは
すごく勉強になりました
この後
実際に僕は
チャットGPTに
この人資産の
成功事例、成功プロセスを
今の現代の
SNS時代
インターネット時代
インフルエンサー時代に
21:01
置き換えて
どう
だんだん学びが
ありますかということを
聞いてみましたが
今日はちょっと長くなってしまったので
それはまた後日お話し
できればと思いますが
もう一度ですが、今日のまとめは
人資産は
もともと人資産では
なかった
ただし、与えられた
チャンスを
しっかりと
積み上げて
長い期間を
使って
少しずつ自分の
影響力を
広げていった
すごい方達だった
ということで
僕は理解をしました
今の
これから僕たちが
どうやって
何をやっていかなきゃいけないのか
何か通じるものがあるなと
いうふうに思いましたので
その辺の新しい
学びについてはまた
次回お話しできればと思います
それでは今日は以上になります
ちょっと長くなりましたが聞いていただき
ここまで聞いていただいた皆さんありがとうございました
それでは行きます
力チャーンジ
今日も力あふれる
一日を
22:30

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