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おはようございます、Chikaraです。
今日もスタイルを撮らせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
ちょっと、ミンミンゼミがかなりうるさいかもしれませんが、ご容赦ください。
都内ではミンミンゼミが鳴いております。たくさん。
今日は何の話かというと、ちょっと前に三宅さんとの毎週のライブの中ではもうだいぶお話をしたんだけれども、
僕のスタイル自体でも、この話は自分のこととしてお話をちょっと残しておこうかなと思ったので撮らせていただいております。
何のことかというと、僕がどういうときに議論をしたくなるのか、何のために議論をするのかということを自分でちょっとわかってきたことがあったので、
ちょっとそれを整理してお話ししたいと思います。よろしくお願いします。
いきなり本題なんだけど、僕がわかってきたのが、ちょっと普通の人よりも議論をめんどくさい感じにしがちなような気がしてきておりまして、
それにちょっと疲れてしまったり嫌になる方がいらっしゃるということで、ちょっと反省をしておりますが、
まあね、難しいですね。ここは自分でもよくわからないところなので、ちょっと反省して気をつけないとと思った部分ではあるんですけれども、
ちょっと一個だけ言い訳じゃないけど、わかってほしいなと思ったのは、僕が議論をするときには、意識して議論をしているときには論破をしたいわけじゃ一切なく、これは一切ないんです。
ただ途中経過として、もしかしたらパッと見ると、僕が論破をしようとしている、もしくは僕の持論に導こうとしているというかね、
そういう意図を持ってそっちに導こうとしているんじゃないの?みたいなふうに捉えられやすいんだなと思ったんです。
だからそこはね、そういう意図じゃ本当にないんですということをお伝えしたいという話が今日の趣旨になるかもしれません。
なぜ僕が議論をするのか。
議論という場になったときに、僕がどういうことを考えて議論をしているのかということをちょっとお伝えしたいんですけど、
議論をしている場では、僕は何を目的に議論をするのかというと、自分が持っている認識とずれがあることに出会ったときに、そのずれが何でずれているのかを理解したい。
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ずれがあることを、僕はギャップがあるから理解をしたいんです。
その理解をした上で、それは僕にとって、今までなかったイレギュラーなサンプルを僕は受け入れて、
僕の認識を書き換える、改める、アップデートする必要があるのかないのかを、僕は見極めたい。
これは僕の主観として、僕の欲求として、見極めたいから議論をするというのが僕の大前提にあります。
ここまではちょっとわからないかもしれないけど、そういうものです、僕にとっては、ということで聞いてください。
そうすると、僕の前提で思っている認識というのは、僕の中では今、
言うならば99.9999%こっちだねって思っているものに対して、イレギュラーなサンプルが来ているわけです。
そうすると何が起こるかというと、僕がそれをイレギュラーなものを受け入れて書き換える、前提を書き換えるとしたら、
その僕が今まで思っていた99.9999%こうであるということと、
そのイレギュラーなサンプルがどこがずれているのかずれていないのか、
僕自身が認識が誤っていたのか、僕の前提になかった新しいサンプルが出てきたのかどうかを見極めるというのは、
かなり僕の中では真剣に突き詰めないといけないことなんですね。
そしてこれを演劇法・機能法という話で言うと、
僕は機能法的に、自分にとってのイレギュラーなサンプルが出てきたら、
僕の前提を書き換えるべきかどうかを判断していくということだと思います。
それが僕の思考法なんだと思います。
本当にイレギュラーだけど、前提を書き換えるほどじゃないっていう。
イレギュラーはイレギュラーというより、本当にもう捨てていいイレギュラーだったら捨てたらいいし、
やっぱり僕の前提を書き換えるほどのものだった。新しいサンプルが見つかったんだなって。
僕が納得すれば、納得感10割で、納得すれば僕は自分の前提自体を書き換えに行きます。
これは実際の事例で僕も思うのは、例えばですけど、
去年は僕の中では、99.99999%スピリチュアルとか悟りとか宗教でいう神様とかの存在はないって思っていたわけです。
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あるかないかどっちでもいいって言っていたわけです。
でもそれを電磁石っていうサンプルを僕が見つけたときに、
全くないわけじゃないかもしれないって思って、僕は自分の前提を書き換えたわけです。本当に書き換えました。
これは逆で言うと、神様がいると思っている人がいないかもしれないって思うぐらいの大前提を書き換えているわけです。
でも僕は普通にそれができる人なんだと思います。
僕のそれまでの思い込んでいる大前提を、違うサンプルに出会って、僕が納得できれば、納得感10割で納得できれば、僕は自分の前提を書き換えられる人なんだと僕は自分で理解してきました。
だからと言って簡単に、自分の前提間違ってたってすぐに納得できる人ではないので、ものすごく真剣に時間と労力をかけながら、
時間はわからないけど、確認作業をしながら納得していかないと僕は書き換えられない人なんです。
もう一回だけど、議論という場では、僕がずれていると思っているから議論をするんじゃなくて、その目的はもう一回ですけど、
僕自身の納得感10割でどっちなのかを判別したいというのが僕の欲求として出ているんです。議論の中では。
だからその欲求を満たすためには、本当にそこまで真剣に突き詰めて、
神がいるがいないになったり、いないがいるかもしれないに変わるぐらいの本当の納得感を持って書き換えていくということを、
僕はそれぞれの議論で普通にやっているんだと思います。
もしその僕の議論に付き合っていただくとすると、多分超めんどくさいんだと思います。
それはだいぶわかってきました。
今日の三宅さんとのライブでも、三宅さんとは喋りで2時間かかりましたからね。
でも三宅さんとはお互いに、ああこういうことかもねっていう納得感をそれぞれに持ったと結論に至ったということはあったので、
有意義な時間で、三宅さんもそう思ってくれてると思うんだけど、とても有意義な時間になったと思うんだけど、
でもそれを突き合うことはめんどくさいとは思うんですよ。
本当にこれめんどくさいと思うから、いやそこまでしなくていいんだよ、もういいじゃん、曖昧な感じでこれでっていう方は、
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多分僕とは議論しないほうがいいというか、ご迷惑をかけてしまうという、本気で思いました。
これはちょっと思ってたんです。
だから、それをちょっとご迷惑をかけてしまった皆さん、申し訳ございませんでしたということをお伝えしたいと思います。
だからこれは議論じゃないという前提であれば、僕は普通に対話をするだけ、僕のサンプルとして受け入れなきゃいいだけなので、
参考程度にするだけで済みますけれども、
議論になった場合は僕はそこまで本気で真剣に行くということです。
途中経過としてもう一回だけど、その途中でいろんな質問をしていく意図は、
僕にとってはここがずれていると思っていますが、そちらから見るとどうですかを突き詰めていくので、
途中経過はずっと僕が質問しながら、僕がAと思っていることとA以外と思っていることをずっと質問していくので、
もしかしたら力は全員の答えをAに寄せようとしていないかみたいに思うんだろうとは思いますね。
ただ僕にとってはそれは単に整理をつけていっているだけ。
いや、Aじゃないんだって最終的になれば、僕はAじゃなかったんだっていうことで結論づける人です。
もう一回そこですね。だから論破をしたいわけじゃないんです。
で、一個分かってきたのと、これはちょっとそういうことだなと思ったのは、今の論破っていう話で言うとね、
僕はもう一回だけど、僕の前提を書き換えることができますという話を前提に言うと、
前提自体がそもそもないよねっていう、こうだからこうだよねっていう考え方が演劇法だっていうことでね、
新田も教えてくれたけど、要は演劇法的に考えている方たちは、
その自分が思っていること、自分の思考の元になっているものは書き換わらないだろうと、僕の中ではそう思ってますね。
僕は書き換わる人で、その演劇的に考える人は書き換わらないっていうところなので、
ここで議論をもししたとしたら、僕から見るとどうなるかというと、
要は書き換わらない人と僕の中でギャップ、ずれがあるから僕は議論をするんだけど、
その相手が書き換わらないとしたら、僕にとっては何が起こっているかというと、
たぶんその人たちは意図はしてないと思うんだけど、僕にとっては僕を論発するっていう一方向でしか話が終わらないんですよね。
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わかります?
だから議論はお互いの意見を持ち合って、ずれを認識を調整しながら、
ああこういうことかって理解していくのが僕は議論だと思うんだけど、
一方が絶対に変わりませんっていう前提、まあ前提と言っちゃうけど、絶対にこうですっていう立ち位置の人との話だったら、
僕がそれを受け入れるか、結局僕との認識がずれがあるまま、それがずれが縮まらないかどっちかしかないんです。
論破されるか、何の解決にも一歩も進まないかどっちかなので、
要は僕にとってそういう方たちともし議論をするとしたら、何の生産性もないっていうことですね。
これわかります?
ネガティブに聞こえていたら申し訳ないんだけど、そういうことなんですよ。
と僕は思います。いいですか?
論破をしようとしてないとしても、僕にとってはずれがある前提なんだけどずれが縮まらない。
縮まるとしたら僕がそっちの意見に寄らなきゃいけないっていうことは、まあ要は論破ですよねっていうことですよね。
だからそれって僕にとっては生産性がないので、そういう前提であれば議論自体をしないほうがいいっていうのは間違いないと思います。
僕はもう一回だけど、真剣に突き詰めて自分の認識を改めるか改めないかを真剣に考えているので、ということですね。
わかりますかね。
だから逆に演劇的に考えているっていう前提の人であれば、もう議論をする必要がないというふうに僕は最初から議論には入らないので、
僕も無駄な議論でお互い消耗したくはないというふうには思うので、
演劇的なんですよっていうことであれば、ぜひ演劇的ですとおっしゃっていただきたい。
宮剣さんは2時間しゃべった上でお互いに理解できるところに住んでたっていう感覚はあるので、まあ議論はできる方だな。
僕と議論をちゃんとしても途中で嫌にならない方なんだなとは思いますけど。
そうそう、そういうふうに思います。
だから僕は消耗させたいわけでもないし論破したいわけでも全くなく、自分の主観として僕が納得感を10割持って、
僕の前提を書き換えるべきか書き換えなくていいのかを見極めたいという、僕の勝手な主観的な欲求を持って僕はズレを見つけたときに議論をしてしまうので、
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もし議論を僕から仕掛けられたと思ったときに、「いや、もう議論は不要です。議論しないと思ったら言ってください。これ議論ですか?」
「いや議論じゃないです。議論じゃないですか?」みたいなね。
ちょっとそういう確認を、僕もするししていただければなというふうに思います。
ご迷惑はかけたくないなというふうに思いますので。
その上で、新しい意見や情報、提案みたいなものを、
審査も言ってくれたけどね、新しい提案みたいなものだったらもういつでもウェルカムなんです。
あとはそれを議論する前提じゃなく、こういう提案はどうですかみたいなことだったら、
あとは僕はそれを受けてどう処理するかは僕の中で考えればいいだけなので、議論するものじゃないんだろうというふうに思います。
何を言ってるのかちょっとわかりますかね。どうだろう。
なかなか難しいですけれども、あんまり議論っていうのは良くないかもなとは思いましたけど。
なので、僕が何か言ったときに、これってこう思いますけどっていうときは、
これは議論をしたいわけじゃなくて、単にそう感じますよとか言ってもらうと、ああそうですねって言ってもいいかもしれない。
いやーでもどうだろうな、議論、どうなんだろう、みんなどうなんでしょうね。
議論をしながら新しいことを発見したいっていう欲求はあんまりないんですかね、皆さん。
どうなんだろう、これはちょっとね、僕は新しい発見、
そういう考え方、見方があるんだっていうのを発見することは、僕は嬉しいと思っちゃうから。
だから議論をしたいなと思うんだけどね。と思います。
いろいろ話しましたけど、人は選んでいかないといけないなとは思います。
あまりご迷惑にかからない方。
リブラ先生とかは全然議論していただける方だなと思っているので、ぜひこれからもよろしくお願いします。
新しい築きとかが整理できたりするのはすごく嬉しいですし、
リブラ先生との議論は新しいことをしっかりお互いに書き換えていける、会話議論ができる方だなと思っているので、ぜひよろしくお願いします。
ということで、以上です。
こんな放送を聞いていただける方が本当にいるんでしょうか。
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でも最近はもう僕はスタイフは、自分が言いたいことをやっぱり言いたいタイミングで言おうというふうに思うので、
ちょっとこの会話また上げてみたいと思います。
どんな皆さんの反応があるかはわかりませんが、
一旦これは本当の僕の正直な思い、考えをお話しさせていただきました。
それでは、今日も聞いていただきありがとうございました。
それでは行きます。
力チャージ!
今日も力あふれる一日を!