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2024-12-02 45:35

#2-23 アルコール依存&人格障害からの大変容!ケアの連鎖を作る!|ゲスト:GADHA代表 中川瑛さん

モラハラ・DV加害者のための当事者会GADHA代表 中川瑛さんをゲストに迎え、中川さんご自身の変容を詳しくうかがいます。


◾️ゲスト:中川瑛さん

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サマリー

このエピソードでは、GADHA代表の中川瑛さんが自身の加害者体験やアルコール依存症、人格障害について語ります。彼はケアの連鎖を創出し、過去の加害者としての自己を認識し、他者へのサポートの重要性について深く考察します。アルコール依存と人格障害を克服した中川瑛さんは、自身の変容プロセスや家庭での経験について述べます。彼は、自身の傷や外部からの圧力を理解し、そこから生じる期待を手放すことで、人生の不完全さを受け入れることに成功しています。特に、愛着のパターンや人間関係の学びを通じての成長の重要性が強調されています。加えて、中川瑛さんは加害者と被害者の関係性を理解し、改善するためのコミュニティ活動を通じて、社会をより良くする方法を模索します。また、地域資源との連携の重要性についても話し合われています。

中川さんの背景と自覚
こんにちは、夫婦関係学ラジオパーソナリティのアツです。このポッドキャストでは、多数のゲストを招きし、家事・育児・キャリア・設計・スプリンリコフなど、様々な夫婦の葛藤をサーバリするためのノレッジをお伝えしていきます。
今回もですね、前回に引き続き、加害者変容の会GADHA代表の中川さんにお越しいただいています。中川さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、前回は加害とは何かですとか、加害者の変容のプロセスについてお話をお伺いしたんですけど、中川さん自身のことをお聞きしたいなと思っていて、何でそもそもこんな大変なことを始められたんですか?
ありがとうございます。始めた理由は、自分が加害者だと自覚して学び変わっていく中ですぐ思ったのが、これ自分が加害者なら世の中にめちゃくちゃいるなって思った。
自分と同じような人っていっぱいいるので、それでこう、多くの無自覚な加害者が人を傷つけているだろうし、それが被害だということもわからないで苦しんでいる人もいっぱいいるだろうしと思ったときに、何かできることあるかもなということで始めたっていうのが最初です。
なるほど。中川さん自身が自分がやっていることは加害だって気づかれたので、どういう時だったんですか?
いくつか場面があるんですけども、よく思い出すのは、僕振り返ってみると暴力が何種類かあったなと思っているんですけど、そのうちの一つはやっぱりわかりやすくアルコールを飲んで酔っ払って妻に絡み、妻が嫌がるとなんで嫌がるんだみたいな。楽しく喋りたいみたいな。
そうですそうです。妻が本とか読んでても何か作業とかをしてても話しかけて嫌がられると、せっかく楽しく喋ろうと思ったのにそんな冷たい反応してくるなんておかしいみたいな感じの絡みづけがあり、しかも記憶が飛ぶので次の日には忘れてて。
厄介ですね。忘れてしまう。
っていうのがあったり。酔ってない状態でいうと、一緒に買い物とか行くときにご飯を食べに行くときに道を僕が勝手に渡って、妻がついてこなかったんですね。別に道はわかってるわけだから店で合流したらいいと思ったって後から妻に言われたんですけど、僕も妻がついてこなかったことに激怒。
道があって横断歩道を渡りました。
横断歩道じゃないですね。道路の途中を適当にすると渡っていって。
前を歩いてたわけですね、高川さん。
そうですそうです。
奥さんがちょっと歩くの遅かったので後ろ歩いてた?
いや一緒に歩いてたんですけどついてこなかったんです。渡るタイミングで。
道を渡るタイミングで。
今から道を渡ろうと僕が言ったわけではなく、じゃあ渡るかって一人で渡ったら妻がついてこなかったので。
おかしいみたいな。
なんで怒っちゃったんですか、せいが。
自分が渡ったらついてくるもんだと思っていた。ついてこないとおかしいみたいな。
別にいつも渡ったっていいんだから、渡ったタイミングでついてくればいいのであって、ついてこないなんて失礼、なめてるみたいなそういう考え方。
そういう風に感じてたんですね。
それで連絡をついてこなかったからそのまま一緒に向かっていた店にも行かずに連絡を立ち別の場所に行き、ついてこなかったらおかしいみたいな感じで後で責めて。
説教ですよね。説教ってこれは正しがきつきな説教ですけど、普通当たり前に片方が渡れば、別にどのタイミングで渡ってもいいんだから、どっちかが渡ったらついてこないのがおかしくないみたいな。
意味がわからない。その後だって別に一緒に歩けなくなる、しゃべれなくなるんだからついてきたほうがいいに決まっている。ついてこないなんておかしいっていう感じで怒っていた。
それで奥さんはなんて言ったんですか。
別に急に渡られたし、横断歩道でもなかったし、店は同じところに行くってわかってるから別にそのお店で合流すればいいかと思ったみたいな感じです。
それ聞いてもいやいやおかしいってなる。
なぜならば一緒に道を歩いている方が一緒にしゃべれるわけで、道を歩く時間あたりの良さが高まるはずなのだから離れて同じ道に進むということには合理性がなく、一緒に歩いたほうがよかったにもかかわらずそれをしないなんていうのはおかしい。
今言いながらこいつ何言ってるんだと思いながら言ってるわけなんですけど、本当にそう思ってましたね。
これは酔っぱれてない、アルコールを飲まずにやっているパターンです。
3つ目が気づいたときなんですけど、酔っかれと思ったパターンというのがあって、
妻が本当にクリエイティブな才能がめちゃくちゃあってですね。
妻がうつ、適応障害で仕事を休んでいるときに、そういう仕事じゃなくてあなたの才能を生かした仕事をした方がいいみたいな形で、
妻との関係と気づき
ホームページを作り、SNSのチャンネルを作り、工場に連絡をして、サンプルを作って、全部やって。
それを中川さんがやったんですか?
妻はアイディアと文章を作ってくれて、それをやったら1ヶ月で1万円のぬいぐるみが売れるみたいな。
本当に天才。妻は僕が出会った中で最もクリエイティブな才能がある人の一人だと思ってるんですけど、
しかし妻は別にそれを対して望んでない、別にそれで生きていきたいとか言ってない。
ただ僕だけが酔っかれと思って、この仕事だったら世界中どこにいてもできるし、最高じゃんみたいな。
毎月だからノルマを勝手に設定してた。
迷惑。
迷惑極まりない。でも僕はそれで生きていけるなんてすごいと思ってやってたんですよ。
やってて妻が毎月だからノルマを与えられるから泣いてて、やりたくないみたいな。
でもやったほうがいい。なだめすかしい。説得しい。
こんなサポート受けられないよ。みんな才能があるって思ってる人も作れないのに、
この才能があるって人に認められて、マネジメントからマーケティングからプロダクトとか全部できる人が夫でいて、
お金も出すし、やらない理由がないみたいな。
なんて恵まれてるんだ。
それは結局後で気づくんですけど、それは僕がやってほしかったことだったんですよね。
子供の時とかに大人にそういうふうに才能を認められたりサポートされたりしたかった。
そういうのなかったので、その辺の話は今日発射しちゃいますけど。
どうして自分にもっと恵まれた環境がなかったんだろうっていう苦しみがずっとあって。
それの代償行為ですよね。人のためになるとかって言って、結局それは自分を救うためにやってたってことに気づくんですけど。
それで次の日がクリスマスのディナーの日もそのノルマで詰めて泣かれて、そこでようやくあれ?
僕この人を幸せにしたくて、この人のためになると思ってやってることなのに、全然この人幸せそうじゃないって。
これは何がどうなってるんだろうと思って。
その時初めて雷が落ちたような感じがして、もしかしてこれって俺なんか根本的に間違ってるかもというのが一番のきっかけですね。
そこから夫婦喧嘩理由とかでいろいろ調べていって、愛着障害とか依存症とかアタシ障害とかパーソナリティ障害とかモラハラDVってことを知っていく中で、
これは完全に自分だとなりましたって感じですね。気づいたエピソードとしては。
ケアの連鎖の重要性
いろいろ調べられるのが好きじゃないですか。知識とかガンガン吸収されていくタイプだと思うんですけど、
そういったいろんな発達障害だとか愛着障害だとかいろいろ調べていくうちに、だから自分こういう行動してるんだなって理解できるようになった。
おっしゃるとおりですね。
どうやって中川さんご自身は変わっていったんですか。
自分自身の変容自体は、自分自身の変容がどうだったか。そういう意味でいくと、まずは大量に学習をしていって、
一番最初に触れたのはモラハラというよりはどちらかというと発達障害ですね。
発達障害の情報とかに触れ、アルコール依存症みたいにもなってたのでアルコール依存症の問題もあって、そのような知識を調べて発達障害を調べて、
発達障害というよりはどちらかというと人格障害、いわゆる自己愛性パーソナリティ障害みたいなのが自分は全部は保てたので、
妻から振り返ってもう完璧にこれ全部チェックです、全部チェックですみたいな感じ。
今は全部外れてるんですけど、そういうこととかもいろいろ調べていって、これが課題だということがまず分かりましたと。
これが暴力だというのが分かって今度はケアについて調べていきますと。
そうするといわゆるコミュニケーション技法、アサルトビューコミュニケーションとかノンバイオレントコミュニケーションとかアテデュリーナルヒーリングとか、
いくつかそういう著名な技法というものがあるので、そういうものを学習していき、そうすると今度はいいやり方というのは分かったと。
でもあとあれですね、DV加害者向けのプログラムの教科書とかもあるので、そういうものも読んだり、いろんなDV関係のものも読んでいって学んでいきましたと。
その先にやっぱり自分が分からなかったのは、いいコミュニケーションというのが分かったとしても、もう相手を傷つけてしまっている加害者としての自分がどう関わるのかというのはちょっと別のことだと思うんですよね。
じゃあ私は今まで間違ってました、じゃあ今度はノンバイオレントコミュニケーションします、よろしくみたいな、そんないきなりフラットな関係にはならない。
相手を今まで傷つけてしまった過去、相手がフラッシュバックするような痛みを抱えながら一緒にいるということ、そういったものに非常に自覚的にならないといけないと思ったときに、ここまでで学んだことだけでは足りなかったんですね、僕の中では。
そこからさらにもう一回遡ったのが、償うとはどういうことなのか、罪を引き受けるとはどのようなことなのか、どちらかというと倫理学とか哲学の領域の知見はもともとやっていたというのもあって、責任を引き受けるとは何かということを考えていきましたね。
その中で先ほど申し上げてきたような、そもそも人間存在というものが痛みや傷つきを最も最初に自覚する生き物としての人間とその中で解釈しながら自分の痛みをコントロールするような形で世界と関わっていくという営み、でもそれはその人本人だけでなくて他者、それは人間もそうだし環境もあるし制度や文化というのは人工的な外的な要因も含めて、
そういう複雑なものをみんなで人類が相互に解釈し合いながらこの世界を作っていくという営みがある。生きるということはそのような営みだということを考えたときに加害はゼロにはならないなと思ったんですよね。なぜならみんな違うから。みんな異なる感覚を持ってこの世界を解釈して、だから解釈のずれがあって傷つく。
加害が問題なのではなくて、加害をしてしまった後に私たちはどうそれを引き受けて生きていけるかってことこそがわからないとすぐ今度は正しい人間になっちゃって人を傷つけるなと思ったんですよね。これが加害です。これがケアです。じゃあこのケアをやりましょう。あなたはケアできてますか。できてないですね。じゃああなたはダメですみたいな。それを繰り返したら結局それは正義の殴り合いになっちゃうので。
そうではなくて間違いや傷を前提として生きていくっていうことを考えていく中で自分の加害者編用理論とかそもそもガダハを作る理由っていうのも自分が過去に傷つけてきてしまった人たちに対してケアをすることはやっぱりできないんですね。
傷つけてきてしまった人に対してケアができない。
もう関わることができなかったり遠く離れていたりして償うことができないという時にでも傷はそこにあるはずじゃあ何ができるだろうと思った時にケアの連鎖をしていく社会を作るしかない。自分も被害を受けてきて加害者になってきている。加害は連鎖する。一方でそれに気づいて学び変わってケアを始めていくことができればケアもまた連鎖していく。
自分はケアをする側を始めよう。自分だけじゃなくて同じように加害者になってしまった人たち。その人たちがケアをお互いにできるように。そしてその人たちがガダハの外部の人たちに対してケアから始めていけるように。
うまくいかなかった時にはガダハに戻ってきてまたケアし合えるような場所を作っていくっていうことが僕が加害者ということを認めた上で生きていくために必要な償いのシステムっていうかそれをやっていくこと自体が僕が生きる一つの理由、責任を引き受けるということになると思ってやっているっていうことでガダハはやってるんですけど。
ちょっと別の話になっちゃいましたけど。
中川瑛の変容プロセス
まさにその今やっていること自体が妻への食材じゃないけどにも近しいってことですよね。
そうですね。妻はもう本当に今すごい幸せって人生で今が一番幸せって言ってくれていて僕の活動はすごい大賛成っていう感じで。
世の中本当にいっぱい無自覚に加害している人っている。だからそういう人たちが少しでも減っていくことってすごい意味があることだっていうふうにおっしゃってくれてるんですけど。
じゃあその中川さん自身の話もうちょっと聞きたいんですけど。
いろんな知識を手に入れました知りました。
いろんな障害が自分にもあることを気がつきました。
そこから行ったことは前回お話しいただいたような変容のプロセスを自分自身で行っていったってことなんですか。
そうですね。そうとも言えると思います。ただやっぱりその時はコミュニティはないので僕の場合はちょっとそこは微妙に抜けている部分もあると思うんですけど。
どっちかというと僕はすごく理屈っぽい人間なので理屈によってある程度そのプロセスを達成したと言えると思うんですが。
そうですね気づいてまずは自分の傷つきに気づきましたね。
これが加害なら自分もめっちゃ被害を受けてきた。
親からもそうだしいろんな友人関係もそうだし。
その時に傷ついてきたなって思った時にまずそこの呪縛が結構溶けてきて。
僕もちょっとアルコール依存症っていうくらいお酒を飲んでたんですけどお酒必要なくなってたんですよ。
それは何でかというともともとやっぱりべきとか当然こうあるべきとか普通こうだとかもっと上にならなくてはいけないとかっていう呪縛を結構受けてきてきたんです。
内面化しても生きてもきもきたんですけど。
それが緩くなってくるとお酒って何のために飲んでたのかなって振り返るともっと頑張れとかこんなもんでいいのかとか中途半端だなとかそういう心の声が常に一日中ずっと回ってるような感じなので。
お酒飲んでる時だけに緩むんです。
忘れられるんですね。
そうです。
でもそういうべきとか普通とかっていうのが結局かかりにつながって呪縛を傷つけてきたわけでこれ手放さないといけないなとか気づいて手放していく中でお酒は必要なくなって飲まなくなったりしたりとか。
その中でいろんなプロセスを経て自分自身の不完全さとか世界の不条理みたいなものを生まれてきてしまったことそのものの不条理。
家族との関係の影響
完全性がありえない人生を生きるっていうことの不条理を引き受けようと思うと完璧ってないから。
自分も完璧じゃないし他者もまた完璧ではない。
制度も社会も完璧ではない。
中でなんとかかんとか生きていくしかないって思えるとなんかそういうのがあると思ったんですよ。
完璧な何かとか優れた何かみたいなのがあってその正解にたどり着けば人生は良くなるみたいな。
ない。なんとそれがないんだって思うと期待値と現実のギャップに傷つかなくなったんですよ。
ずっとギャップがあったから傷ついたんです。
期待値はめっちゃ高くてそこに絶対あるんだって思ったんですよ。
そうですそうです。
で頑張り続ければ到達できるんだって思った。
あるいはもうそうであってそうじゃない自分ではないと思っている。
もうそうじゃなくて今の自分が到達したあるべき姿になっているんだって。
そうです。理想の存在のはずなのに理想の存在じゃない自分に傷つく。
例えば仕事がうまくいかないと完璧なはずなのに完璧じゃないっていう現実があるときにそのギャップに傷つくみたいな。
おかしい。
そうです。なんでこんなことになってるんだみたいな。
冷静に考えたら現実が先にあるので何でこうなってるんだも何もなくてそこから始めるしかない。
けどギャップで傷ついてるみたいな状態がなくなると。
そうすると他者のこともそのギャップでずっと見てきたってことも分かる。
妻とはこうあるもので。
そのモーターショーを当てはめてきた。
そうですそうです。なんで妻はこうあるべきなのにこうしないのだ。傷ついたみたいな。おかしいみたいな。
この傷つきがなくなるってことは生のままの妻を見るっていうこと。
例えばこうしてほしいけどこうしないって時にただこうしないっていうその人がいるだけであってそこにギャップがないから
傷つかないみたいな。そういう風になっていくと怒りや悲しみの感情もすごい減って
すごい生きやすくなりましたね。僕自身が。
それがじゃあ結構大きな要因ですね。
そう思いますね。
その完璧な世界なんかないんだって思えたのは何であったんですか。
自分自身がいろいろ傷つきの体験をしてきたことで自分に優しさを向けられたから。
いやというよりもそのいろんなことを知識として学習していく中でそもそも正しい何かが存在する。
哲学的に言うと本質論。つまり何々とは何々だっていう風に説明できるような本質が世界にはあるという考え方がどうやら成り立たなそうだってことがわかったから。
僕も本当は本質主義的な立場だったので。
例えば正義とか平等とか自由っていう概念があってそれにたどり着けるはずだと思ってたんですよ。理性的な議論を通して。
それがもともと哲学をやってた時の信念だったんですけど。
研究を結構深めていくとそもそも人間とは何か。
さっき傷つき加害や暴力の定義がなぜ広がるのかって言うとそれは人間間の捉え直しがあるからだって言ったんですけど。
あれをもうちょっと具体例で述べると。
例えば奴隷ってもともと黒人って人間として見なされずに動く家具とかって言われた時代があって。
いやいや普通に人間でしょってなると人間という観念が広がる。
人間という観念が広がると差別や暴力それは良くないですよねってなるじゃないですか。
それってあくまでそれがやっぱり人間化するから。
もともと人間なわけですけど。
っていうことがあって。
女性の権利とかってもともと女性っていうのはそういう意味では人間的に見なされてこなかった。
とか子供が子供人間として見なされてこなかったっていう経緯から人類は多分どんどんちゃんとこう
なんていうのかな。
みんな人間であるっていうことを広げてきた中でその権利というのが拡張されてきたっていう風に考えているんですけど。
そういうことをこう思っていくと。
つまり僕たちっていうのは。
じゃあ何を人間と捉えるのかって。
例えば今ジェノサイドとかあると普通にもうめちゃくちゃ殺すわけですよね。
武器で。
散々人権とか言ってきたのに何だったんだろうってくらい。
人って何か条件を作って簡単に人間を人間じゃないと捉えたりすることができたり。
正義とか悪とかってされるものも時代や文脈や文化によって変わり続けていく。
対話によってその時その時生成され続ける。
つまりさっき言う共同解釈ですよね。
共同解釈ってものだけがあって。
私たちはその中でその一緒に生きていく人たちとの良さを作り続けていくしかないんだなって気づいたんですよ。
ってことはそれはこの世界が不完全だってことなんです。
正しさとか正解があってそこにたどり着けるってことなんじゃなくて。
それらしいものを私たちは作り続けていく。
そして人と生きていくんだって。
それがその世界のある種の不条理ってことに気付けた背景。
人間が不完全になり続けるってことの理解とつながってると思います。
となるとあるべき姿とかあるべき思考とかあるべき思想っていうのは存在しなくて。
自分はこうあるべき。
お妻は自分の後をついてくるべき。
同じ店に行くんだったら隣で一緒に歩いてた方が効率的だろう。
そうあるべきだろうって思ってた。
だけどそうじゃなかったんだ。
いろんな考え方がそれぞれあったんだっていうところに
そういったいろんな手掛け的な思考を元に当てはめることで
枠から外れることができたんですね。
まさにそのような立ち上がりです。
フレームからガコンと外れたわけですね。中川さん自身が。
おっしゃるとおりです。
なるほど。
ちょっとお聞きしたいのが
中川さんご自身の
親との付き合いっていうのが傷つきがあったとおっしゃったと思うんですけど
どういったとこがあったのかってお話いただけたりとかできます?
そうですね。
大きく2つあったかなと思っていて
わかりやすくしゃべると。
1つは
例えば僕が部活とかスポーツとかで失敗した時とか
試合に負けた時に僕より悔しがっていたなって思います。
それは結構今振り返ってみると良くない関わりだったなと思うんですけど
それって
なんていうのかな
親が喜んだり親が悲しんだりすることのために頑張るという風になるんですよ。
確かに。
僕の悔しさとか僕の悲しさとか僕の嬉しさとかよりも
親の嬉しさとか
勝って偉いとか優れているとか
あそこで失敗して恥ずかしかったとかっていう言葉って
その子供の感覚や感性を
さっき言ったような情動調律っていうものがなされずに
その親自身のニーズ
その感じる考えることとかその恥を感じたくないっていうニーズを子供に当てて
コントロールしようとしている行為だと思うんですけど
それが今振り返ってかなり嫌だった
なーって思うのが1つ
だからもうスポーツとかの応援とかしに来ないでほしい
下手くそーとかって言って大きい声出してくるので
それきついですね
めちゃくちゃきついですね
全然普通に起きてましたけどね
でも来ないで応援とか来ないでほしいんだけどって言ったら
何言ってんの誰がこの部活とか習い事やってると思ってんの
それに言わさるのよみたいな
言わさるっていうのはつまり言ってしまう
私の意思ではなく言ってしまうみたいなこと言われたんですけど
深井・勝手に言っちゃうんだ
深井・そうですそうです
今何言ってんだろうって感じなんですけど
そういうことがあったりとか
あとはもう1個が
特に学業面で能力が高いということが
条件的な愛情とつながっていたなということも思いますね
勉強ができる優れているということが重要だっていうことを
愛される要素になるってこと
そうですね
例えばそういうことですね
認めるということとつながっている
存在を認めるために必要な条件としての能力
勝ち負けで言うと勝ち上下で言うと上であることが大事っていうようなところ
大きくはその2つ
でも一番大きいのは結局謝られなかったってことが一番大きいんですけど
例えばどういったこと
それはさっきの話でも
下手くそって応援しないでほしいって言った時に
本質は解釈教養なんですよね
情動調律がない
嫌だって言ったことに対して
その嫌だを受け止めてもらってなかったかなと思います
そういうもんなんだって思うと
愛するってことはそういうもの
優しさっていうのはそういうもの
だから僕も妻に対してそのように関わりながら
愛してると思ってましたからね
大切にしてると思ってましたからね
同じことをしちゃってたわけなんですね
そうですそうです
まさに暴力の連鎖
そうですね
それに気づけた時にもう本当
ガラガラガラっと足元から崩れるような感じですね
愛と優しさの理解
でもきつくなかったですか
だってその加害とはいえ
親からの加害が
中川さんにとっては愛情だったわけじゃないですか
愛されているって感覚にもなったと思うんですけど
それを加害だって認めた瞬間に
親からの愛がなかったのかって思ったりとか
苦しくなったりしませんでしたか
そうですね
気づきの段階ではどっちかというと僕は
嬉しかったんです
なんで嬉しかったかっていうと
親との関係と気づき
これでやっつも大切にできると思えたからですね
自分なりに愛してるとか
大切にしてると思ってたのにできてなかった
目の前で泣かせてしまっているけど
そうなんだ
じゃあなんとかなるかもみたいな
問題がわかったので
それが解決できるかもって思えたのは嬉しかったです
親との絡みに関しては
僕そもそも18歳くらいで家出してるんですよ
年単位で関わってなかったので
そこも含めてですけど
そっちはある意味
どうでもよかったというか
そこは自分にとって大きな論点ではなかったんだと思います
関わりがないし
自分の中ではスパンと切ってた
ある程度の意味で切ってたので
そうか
なるほど
親との関係は関係ないし
産こされているのは妻との関係であって
そこに対して
親から連鎖されてきた
暴力の連鎖に
自分で気が付くことができて
これによってやっと妻を大事にできるんだ
という感覚が嬉しかった 喜びだった
加藤の活動とサポートの重要性
そういうことですね
あとやっぱり学べば学ぶほど
親もいわゆる悪人というわけではないなと
本当に思いますね
円切ってるんですけど
誰も
愛そうとするプロセスの中に
傷つけてしまうことが含まれているんだと思う?
そういうことがいっぱいあって
親から与えられた愛とか
何を手放すのか
誰もがみんなやりながら生きていくという中で
僕の親の場合は
僕が加害者返養のど真ん中の活動をしているのも相まって
相手が自分の加害を認めないで
返養しないということが
僕にとってかなりショックだったんですよね
だって本当に好きで大切にしたいと思うんだったら
できるはずなのにやらないんだこの人は
っていうがっかりが
普通の人よりも大きかった
ヤンヤンさん 親に対して
そうですね
と思います
それもあってなんか
ですけど
愛してる
愛情があるってことが本当だとしても
人を傷つけることがあるっていうこと
だから愛がなかったって理解の仕方をしちゃうと
愛があると思っている人が他人ごとになっちゃうので
愛しながら人を傷つけてしまうことって
全然あるっていうことをむしろ
どちらでも強調したいという感じですね
確かにそうですね
そのお父さんのお母さんは
なんでそんな愛し方だったんですかね
それは正確なところは分からないですけど
やはりそのように愛されてきたところが
大きいんじゃないかなと思うんですけどね
同じように
なるほど
なるほど
そういった体験があって
自分の返養もあって
加藤さんを立ち上げられた
これは
他の仕事もやりながら
これやられてたんですか
そうですね
僕は学生時代から会社をやっていて
本業ってあまりなくてですね
いろんなプロジェクトとか授業を
ずっと作ってきた人生だったので
加藤さんもその一つという位の位置づけでした
別にもともと全然
お金のためにやったわけでもなかったんですけど
本当にこんなに広がると思ってなかったんですよ
別に3,50人ぐらいで
相談し合う会でもやるかぐらいのテンションだったんですけど
あれよあれよというのに
すごいことになってきたみたいな感じで
いいですね
加藤さん ニーズ絶対ありますもんね
悩んでいる
本人もそうだし
パートナーでも悩んでいる人多いと思うし
それをサポートできる場所
カウンセラーとか
二所親さんのカウンセラーとか
あったりするけど
当事者団体というとあまりパッと浮かばないし
ここまで体系だった知識にしている人もいないと思うし
すごいなんか
珍しい存在ですよね
そうですね
もともと地域ごとに事情会とかはあったり
するみたいなんです
するんですけれど
オンラインでここまで大規模にやったケースは
多分ないんじゃないかと思います
それが良かったのかなと思いますね
なるほど
あとさっきおっしゃってた
発達障害とか愛着障害とか
もうピンクだったとおっしゃったじゃないですか
でも全部外れてるとおっしゃいましたよね
それって変わるものなんですか
その愛着のパターンも
ありがとうございます
そうですねそもそも前提として
そういうラベリングって何なのかってことでしたよ
僕の研究対象でもあったので
あんまりその
何々障害とか
っていうことを僕は
なんて言ったらいいんだろうな
そのようなものの見方もあるっていうものの一つ
っていう理解なんです今
ASDとかADHDに関しても
もう含めてはい
そのように理解することもできるし
どんな時にそうした方が良いかっていうと
多分それが
その人の学習資源になるとき
なのかなと思います
それらの言葉を
人を責めたり
攻撃したりすることに使うこともできると思うんですよね
お前はこれだからもうダメ
障害者だからもう終わりみたいな
とも言うこともできるし
それを知ることから
学習に繋がることもあると思うんです
例えば自分ってこういう人間だから
こういうことを学んだほうがいいんだなとか
こういうことに気を付けたらいいんだなとか
同じような仲間と出会って
みんなこういうことに悩んでるんだな
わかるわかるとかって言って
そういう自分と生きていくために
使えるならいいんですけど
モラハラDVとかも
もともとやっぱり
すごいスティグマが強い言葉で
変われないモンスター
やばいやつ
生まれついて性格がいっちゃってるみたいですね
僕からすると
それって
結局見てるのってどこまでいっても
言動に過ぎない
人の性格とか特性っていうのは
全部言動なので
その言動が前回申し上げた通り
中長期的にあらゆる局面で変わると
人の信念が変わったと
人が捉えてるに過ぎないと思うと
人って学び変わるんですけど
そういうふうに書かれてなかったりするので
一方で発達特性とかっていうのがあって
一定の
それが得意不得意っていうのがある
パターンももちろんあると思うんですけど
何が言いたいかというと
そういうことを学んでいくことの中で
そういうラベルっていうのは
役に立つ時もあるし
役に立たない時もある
役に立って学んでいくことで
変わっていくこともある
変わるものとして理解することもできるし
変わらないものとして理解することもできる
中で僕は比較的
変わることができるものとして理解した上で
学び変わっていくことによって
現にいわゆる
特に自己愛性パーソナリティ障害とかの
ラベルっていうのは割と外れていく
ということがあって
それはその自己愛性パーソナリティ障害って
その
基準みたいのがあると思うんですよ
こういう人こういう人こういう人
この子もこの子もこの子も
それが当てはまらなくなっていくんです
そういうことですね
自己判断というよりは妻の判断でですけど
あと例えばASDもそうなんですか
ASDってこういうタイプだよね
例えば共感できないよねとか
いろいろ項目があると思うんですけど
それも外れていくんですか
診断基準に関しては難しいですよね
そもそも診断基準が
その人が著しく社会生活で困っているかどうか
みたいな基準が入っていた時に
働けてるんだったら一応外していいんじゃないとか
働けてるけど自分周りも困ってるから
チェックつくんじゃないのとかって
そういうことがいろいろあるので
難しいですねそれに関しては
能力によってなんとかなる部分もあるので
ラベリングの役割と変容
そっかそっかそっか
生まれ持った既出性格っていうのは
変容は難しいかもしれないけど
トレーニングによって
能力を得ることができて
能力を変えることができて
手に入れることができて
それによって行動が変わっていくから
それって変わったって言えるよね
みたいな
一方で持って生まれた既出自体は変わってない
その人は努力してやっと
そうやってるわけであって
その人の真の部分は
変容していないとも言える
とも言えちゃうわけですよね
そうですねそのように理解することもできる
どう捉えるかによって変わってくる
もしじゃあ行動について見るならば
自分のパートナーから
暴力を受けていたけど
それがなくなってすごいハッピー
ってなったとしたら
それいいことじゃないですか
行動って変わりましたよね
言えるっていうのは確かにそうだなって
すごい思うんですよね
あと会議制の
愛着のパターンが多いと
おっしゃってたじゃないですか
愛着のパターンってなかなか
変わらないと思ってたんですけど
そこもそういった
項目から外れていくんですか
そういうことも全然あると思いますね
愛着のパターンっていうのが
ある種の結果なんだとすると
学習の結果なんだとすると
新たな学習をすることを通して変わっていく
そういうケースがいろいろあって
特に大人になると発達障害なのか
トラウマの影響なのか判断がかなり難しくなってくるんですけど
最近のガザハの方で
言ってて面白かったのが
自分は他人に興味がないと思って生きてきたんだけれども
これってよく考えてみると
他人に興味がないと思ってるんだけど
一方で他者より優れなきゃいけないと思っていて
両立してると
なんでなんだろうって矛盾を遡っていくと
それってつまり人といると
上がりされることとか
恥ずかしめられることが多いから
一人でいるの方が
楽だって思うようになって
他者は必要ないとか
一人で生きたいって思うようになったのかもしれないって
言ってた人がいたんですよ
そういう話が始まってくると
ニワトリ卵みたいな感じで
それってつまり大事なのは
障害とかラベルも全部そうだと思うんですけど
それを
自分ごと化することによって
その人が生きやすくなるかどうか
っていうのが
一番大事なのかなって思うんですよね
それが一番大事で
そうじゃないんだったら
それは単に人を傷つけるための
ラベルになっちゃうよな
みたいなことは思いますね
なるほど
その変容によって
世界でラベリングされている
あった障害とか
愛着のパターンだとか
回避性だとかっていうのが変わり得るっていうのは
なんとなく理解ができましたね
そして同時に
ラベリングによって
自分たちが学習しやすくなっている
っていうのがすごく分かったので
いいとこ悪いとこありますね
ラベリングに関してはね
ラベリングは本当に難しいですね
カテゴリー論とかって
言うんですけど社会学とかの議論で言うと
カテゴライズすることとか
世の中に必要なコミュニティ
アイデンティファイすること
の交際が
どっちもどんな時にもあるので
難しいですね
それによって救われる人も
確かにいるわけで
こんな科学の活動で言うなら
モラハラとかDVとか
っていう風に
ある行動が定義されているから
こそ
加害者も被害者も
これはモラハラなんだって
認識することができて
それを何とかするために
どうしたらいいんだろうといったら
ラベリングされているからこそ
サポートしている団体も
あるし
どうしたらいいかっていう風に学習も進むし
そういう面では
いいとこですよね
それはもう決めてて
ドクオヤのためのコミュニティとかも
わざとドクオヤって言葉を使っていて
ドクオヤって言われたときに
親からすれば何言ってんだよ
自然に思うと思うんですよ
一応ドクオヤって何とか調べたときに
変わらないクソやべえやつとか
自己愛性ですとか書かれていると
これじゃないみたいに思っちゃうじゃないですか
その中でドクオヤのための
コミュニティって書いてみてみると
ドクオヤって言われてる人も
大切にしてるつもりで傷つけてしまうこととか
すごいいっぱいありますよね
みたいなスタンスの
パトカーっていうそういうコミュニティなんですけど
そういうものが必要だと思うんですよ世の中に
そのラベルを逆利用することで
スティグマじゃなくて学びのスイッチにする
っていうことがしたい
だから結構人から
これってもっと良い夫婦関係改善とかのやつに
したほうがいいんじゃないですかって言われるんですよガダガダの活動って
ガダガダ言ってる人って別に
加害者のためのものとして理解しなくても
自分の意識なのでなんでそうするんですか
って言われた時にやっぱり
夫婦関係改善とか
良くしようみたいなのは別に世の中にいっぱいあって
パートナーシップのことっていっぱいあるしすごい大事な
いろんな人が論点にしてるから
洗練されていくと思うんですけど
こっち側で全然されてない
加害の話が
加害者が学ぶことができるってものをやってるから意味がある
そっから先のことはもっと他のもの
それこそアスさんとかやってらっしゃることもそうだと思うんですけど
っていうのがあって
そういうことをやってるんですよね
があるその講座を理解した上で
かつちゃんと自分のスタンスを決めて
使うっていうことを選んでるってことですね
その一方で
加害っていうのをテーマにして
加害者のサポートっていう括りでやると
攻撃されたりしませんか
ありましたね
昔は結構あったんですけど最近あんまりなくなったんですけど
最初の頃はもう
加害者同士が
集まってキスの舐め合いですか
早く死んでくださいみたいな
全然ありました
その気持ちは僕はめっちゃわかるので
全然
そう思うよねって思ってます
つまりそうやって他者に
攻撃するほどの
怒りってどこからくるかっていうと
100%傷つきなので
本当に多分
自分のパートナーとかもしかしたら親とかが
加害者で
何回も学び変わるかなと思って
信じて
でも裏切られてまた傷つけられて
何度も繰り返されてる中で
というすごく深い悲しみや
絶望を味わっているはず
そういう人がガタガタみたいな活動が
最も許しがたいものだと思うんですけど
その痛みはもう
自然なことなので
なんていうか
そういうこと言ってくる人は
それも加害者じゃないですかみたいな話があるんですね
あるんですけど
でもそういうことですよね
言ってる人自身も
加害者と被害者の関係
傷つきの体験があって
だからこそ攻撃的な態度を取ってしまう
連鎖ですよね
そうです
その連鎖を
自分たちは
続けるのか止めるのかといえば
我々は止めるという選択をするために
ここにいるので
その人たちに反撃はうちにしない
けど傷つくは傷つくので
みんなで愚痴をこぼすと
加害者は変わらないって言われるのやだよね
分かる分かるみたいな
それがあるってことが多分この社会において
本当に大事だと思いますね
親とかも子供に毒をやられていると
普通にめっちゃ傷つくと思うんですよ
それを子供に当てなきゃいいんですね
親同士で
時代も時代だしあのくらい普通じゃなかった
みたいなめっちゃ分かるとかって
言われて
子供に対してはごめんねって
言えるかどうかって
パワハラ上司の会みたいな
昔はこんな普通だったのになぁ
殴られて育ったのによ
ヌカなんて蹴り飛ばして真っ直ぐに住むのは
どうだろうみたいな
言いながら部下にちょっと優しく
頑張っていこうかみたいな感じで
そうですやっぱり僕
暴力の定義が変わり続けていくってことは
そういうことが起き続けるって思うんですよ
つまり加害じゃないと思ってた
しつけだと思ってた普通の大人だと思ってたことが
大人になってから問題になって
お前がやったことは加害だった
って言われた時にきついと思うんですけど
そのきつさを分からせようと思った時に
第2第3の加害が生じる
これも加害になっちゃったんだなぁ
でも今から変わっていかなきゃいけないんだな
やだなぁしんどいなぁと思いながら
それを誰かと愚痴をこぼしながら
やっていくことができれば
この社会はもっともっと
生きやすくなっていくと思います
だからこそ加害者になっちゃうことを
スティグマにしないようにしないといけないと思うんですよ
それは
犯罪者みたいな扱いしないってこと?
そうですもはや犯罪者すらも
スティグマ化しないことが大事だと僕は思ってはいるんですけど
そうです
例えば毒親とか虐待する人っていうのを
クセヤバい人っていう風に
捉えるのではなくて
学びかえることが可能な人である
とか
そういう風に理解することで
そういう風に理解するからこそ
自分もそうかもって思った時に
学習次元にアクセスができるようになるので
確かに確かに
僕が夫婦の相談を持っていても
その
母親からの連鎖というか
親からこう受け継がれてきた
育て方だったり
愛され方っていうパターンが
自分の代の時にまた
再生産されてる
っていうケースが結構多いんですよ
それを
自分たち夫婦がそうしてる
子どもに対してもまたしてる
その夫の連鎖が
どんどん再生産されてる
っていう話をよく当事者から聞いてて
それは
まさに中川さんが
おっしゃってたような
ケアだったり
ケアが連鎖してないケアが発生してない
その
代を重ねる中で
その暴力的なものだけが
再生産され続けて
ケアというものがその中のどこかに
生まれていれば変わったんじゃないかな
どこかの代で自分の
親でもしくは自分の祖父母の代で
ケアという概念が生まれて
彼らがそれを大事にしたならば
自分はこんな苦しみも
持てなかったかもしれない
自分に対してそういった声をしなかったかもしれない
というのがあるなぁ
ってすごい感じてて
すごい
体感できました
悲しいですよね
どっかで止められていけない
そのストッパーとなる
存在ってことですよね
そういうことになると思いますね
ちなみにこれからはどういった
その活動内容というか
方針なんですか
そうですね大きく
3つ方向性があって
一つは
どこかでやっぱりやってると
自分が加害しないことを自覚して学び変わっていくと
その後の関係もちろんそうなんですけど
親子関係と職場関係に問題を
見つける人が結構いるんです
職場においても自分加害やっちゃってますとか
職場だと自分被害を受けてますとか
って人が結構いる中で
職場のハラスメント
に対する取り組み
ケアする職場を作っていくっていう風な
企業向けの取り組みっていうのが
イメージめっちゃありそうですね
そうですね難しいんですよね
ハラスメント加害者みたいな言葉をどこまで
使うかっていうのがあって
職場だと加害者ってことは
きつすぎて
確かに反対者っぽい感じ
そうですよねその辺の言葉遣いをどのくらい
チューニングするかみたいな問題がありつつ
実はもうほんと一部上場企業
今だとプライムですかプライム上場企業の
全社研修とかやらせてもらってるんですけど
そんな形で僕もともと
組織会社のコンサルとかもやってたので
そういうことをやっているっていう
企業向けのこと
会社でパラハラの被害を受けて
家では加害者になることって
めっちゃあるんですよストレスが
溜まって攻撃されてどこかで自分の
プライドや尊厳を取り戻そうとして
上から目線で関わることによって
加害者になって何なら孤独になる
みたいなことがあるのでこのラインを
緩めていくために職場については取り組んでいきたい
っていうのが一つで二つ目が
親子関係の話があって
あの
先ほど申し上げた通り
自分が加害者だったことに気づくと
子供に対しても加害してしまっていることが気づくケースと
親からも傷つけられてきたことに気づくケースがあるので
この親子間の連鎖っていうものを
どうにかするためのパトカーっていう場所もあるので
こっちも広げていこうという風に
思ってて
実は僕漫画今第3巻の原作を書き終わって
そうなんですか
これ言っちゃダメなのかな
かといえば親子関係系の
コミックも出しているので
親子関係のことについては取り組んでいきたいなと思ってます
やっぱりこの連鎖をどれだけ早い段階で止められるか
でも早くなくても止められるんですよ
最近ほんと60歳とか70歳の方で
だいぶ年齢いってますね
そうですそうです
子供と妻から関係も別居をやられて
孫とも会わせないと言われてた人が
学び変わっていく中で
今孫とも話せて会えてて
60歳になったって70歳になったって
人を学び変わるタイミング
知識仲間さえいれば変わるんだなって
すごいことだなって思いました僕
それは相手の家族もすごいですよね
子供とかが受け入れてくれた
アクセプトしてくれたのもすごいですね
企業向けの取り組み
もちろんそれもかなびっくりで
まだまだ白票を渡るような
ものではあるんだけれども
関係が良くなっていくというケースがあるので
この親子関係というものは
決して子育てフェーズの人だけじゃないですね
子供が大人になって
20歳30歳になって
その子供からこうやって言われた
つまり50歳とか60歳とか70歳の人も
全然学び変わると思います
その時ねやはり
ケアの連鎖の創造
自分の親より全然マシな子育てをしたはずなのに
なんでこんなこと言われなきゃいけないんだ
っていう苦しみを誰かと分かち合わなきゃいけないので
そういうことをする場所があるので
これは2つ目
3つ目が行政自治体の方々との繋がりですね
ガザカって今完全オンラインでやっているので
いるんですけど
一方で全国にいろんなリソースがあるので
カウンセラーの方とかもそうですし
弁護士の方とかもそうですし
地元ごとのプログラムとか
事情会みたいなものもあるので
そういったものと繋がっていって
全国にネットでガザカを見つけた人たちが
自分たちの地元で
何かのリソースにアクセスできるようになること
とその人たちが
ガザカを紹介してくれて
地元だとできないオンラインのサポートみたいなものを
ガザカが補完的に機能する
みたいな形の雑組ができると
もっと世の中に
変容資源
学び変わる資源を実装していけるかなと思っているので
自治体からの案内とか
入れていくってことですか
例えばそういうことですね
ガザカの方ありますよみたいな
うちの町やってますよみたいな
そういうことができるといいのかなと思っていますね
なので職場向けと
親子関係とそして行政自治体
などとのより深い
より深いというか連携をしていく
ということがこれからのガザカでやっていこう
と思っていることになりますね
ゲストの紹介と次回予告
全部押さえている感じですね
いやもっといっぱいあるはずなんですよね
なるほど
分かりましたありがとうございます
楽しみにしています
ということで
2回にわたって
加藤派の中川さんにお話を伺いました
気になる方は
概要欄の方に中川さんの
5月のリンクを貼ってありますので
ぜひチェックしてみてください
ということで今回の
放送がいいなと思った方は
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特命コメントの
yoshibaよりお手本もお使いください
あと中川さんに対して
ちょっと聞いてみたいなとか
うちの夫こうなんだけどとか
うちの妻こうなんだけどとか
もしあればまた
お手本送ってもらってもいいですか
中川さんに質問が
もしよろしかったら
お送りください
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お送りしていますこちらもチェックしてみてください
ではまた次回お会いしましょう
中川さんありがとうございました
ありがとうございました
45:35

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