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おはようございます、アスカです。
アスカの毎日がHAPPYBIRTHDAY!!!
今日も始めていきたいと思います。
はい、みなさん、近頃いかがお過ごしでしょうか?
えーと、そうですね、12月に入り、もうそろそろクリスマスとか年末年始とか、M1とか有馬記念とか言い出して、
あー、やばいなーと、なぜか勝手に焦っている私ですが、
でも、最近のことといえば、台湾から日本に帰ってきて、日本がコロナ禍じゃなくなってたんですね。
コロナの患者さんとかいらっしゃいますけど、コロナ禍の暗い雰囲気じゃなくなってて、
大学に行ったら、こんなにうちの大学って人おったんやっていうくらい学生がいたりとか、
大学までの道のお店が空いてたりとかして、
なんかこう、浦島太郎的な気持ちに最近はなっております。
はい、でもたくさん人と話す機会とか、いろんな交流がまた広がってて、すごい嬉しいなぁとは思っております。
寒い中、いっぱい厚着して毎日を過ごしております。
はい、ということで、ということでなのかわかんないですけど、
今日は、今回はですね、前回、なんで台湾なんってことで、
私がなぜ台湾留学に行ったのかっていうのをお話ししたと思うんですけど、
今回は、私の台湾での生活、台湾でどう過ごしてたのか、どんなことしてたのか、
台湾留学って何?っていうところをお話ししていけたらなと思っております。
はい、ではまずはじめに、簡単にですね、私の留学の形態というか形を簡単にお話ししたいと思います。
私が台湾に行ったのは、自分の日本の大学と台湾の大学の協定が結ばれている学校で、
交換留学で約1年間だけ台湾で生活をしておりました。
なのでですね、4年間台湾の大学に通ったわけでもないですし、
住んだのも経ったのも本当に1年弱なので、
またこう、台湾に長いこと住んでいらっしゃる方とか、台湾の大学に進学した方とかとはまた全然違った見え方?
全然違った台湾留学の形かな?とは思うんですが、
その私の台湾留学についてお話ししたいと思います。
そうですね、まず一言で言うと、
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私は台湾留学に行って、本当に良かったなと思うことしかないです。
っていうのも、それは生活していく中で日々辛いことだったりとか、しんどいこととか、
メンタルダウンすることとかもよくあるんですけど、
それも含めて良かったなって思ってるっていうことで、
なんでこう思えるんだろうって思った時に、
一番、人生、私まだ22歳なので22年しか生きてないんですけど、
22年間の中で自分100%で入れたのが台湾だなと思っております。
この自分100%っていう言葉も、
私が台湾にいた時にできた日本人のとても仲良い友達が言ってた言葉で、
もうそれや!と思ってちょっと釈養しております。
本当にでもその通りで、自分純度100で折れたのが台湾だなと思っています。
じゃあ、なんでその純度100で折れたんやろうっていうのを流れに沿って、
台湾留学生活の始めから終わりまで流れに沿ってお話したいなと思います。
とは言っても、全部話すと、
えげつない、たぶん40分、30分、1時間、2時間、1日中喋ってられるくらいになってしまうので、
自分なりに台湾生活の流れから、
その中で一番自分にとって大きなイベントだったな、大きな出来事だったなっていうことを2つ話させてもらって、
最後に総括、すごいですね、プレゼンみたいですけど、最後にまた結局何?っていう話をしたいと思います。
はい、ではまず台湾生活の流れですね。
まず私は2022年の9月の末に、やっとビザとかの関係で渡航することが叶いまして、
そこから8日間のホテル隔離生活が始まり、これは前回のポッドキャストの最後の方でも喋ったんですけど、
同じ朝、昼、晩、同じご飯が提供され、どんどんどんどん、ちょっと気持ち的に8日間落ち込んでいき、
ずっと外見て、みんな外歩けんねんな、とかっていう生活を送っておりました。
そんな感じでスタートした台湾留学なんですが、台湾は9月始まりで、
9月が日本の4月みたいな感じで、2学期制なので、9月から1月の初めまでが前期で、
2月の末から6月の初めまで後期でした。
で、私が行ってた台湾の大学っていうのが、台湾大学で日本の東大と言われる本当に秀才、
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リアル秀才しか集まっていないような大学へ派遣させていただきまして、
そこでですね、私は日本では中国文学とか中国語について学んでたんですけど、
私は何を間違えたのか何を思ったのか、日本文学科?台湾大学日本文学科に所属することとなりました。
これは私今でも自分でもわかってたんですけど、何か申請の時に間違えたか何かしたかで、
日本文学科に行ってしまったんですけど、最初それに気づいた時は失敗した。
だよねって思いましたけど、結局それも良かったなと思ってます。
っていうのも、日本語に興味がある台湾人の子たちとすごくたくさん交流が取れて、
本当に秀才の集まりなので、言い方、秀才の集まりなので、
日本近代文学演習みたいな授業がありまして、
そこでは夏目漱石の小説、みんなが知っている文とかそれからとかを日本語で読むんですよ。
日本語で読んで、日本語で議論するんです。
え、飛鳥さんって中国語を勉強しに行ったんじゃない?って思いますよね。
で、私も最初そこでちょっと慣れたんですけど、
やっぱりこう議論する時に相手は台湾の方なので、
中国語でこれってこうこうこうってバーって喋られるんですね。
え、でもそれってこういう、日本語で言ったらこういうニュアンスじゃない?とか、
中国語と日本語の本当に言語交換をその授業の中でできたので、
もちろん日本の文学を読むの?って思われる方もいるかと思うんですけど、
日本に興味ある、台湾に興味ある、この2つの立場の人が一緒に議論でき、
夏目漱石について議論できたので、私はすごくとてもいい時間だったなと思います。
え、こう、なんて言うんですかね、
日本の今のスラングとか台湾の今のスラングみたいなのも交流できたのですごく楽しかったです。
はい、で、まあそんな感じですね。
あと他にはもちろん中国語の授業を取ったりとか、
あと私は体を動かせば友達ができると思ってたので、
エアロビーの授業とか、モダンダンス?
そうですね、コンテンポラリーダンスか、コンテンポラリーダンスの授業を取っていました。
もちろん日本人学生は一人とかで、台湾人の学生さんは皆さん必修なので絶対いるんですけど、
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なんでおるんやろみたいな存在だったんですけど、
本当に台湾人学生さんたちも本当に優しくて、
私が中国語も最初は全然ままならなかったんですけど、
これはこういう意味だよって英語とか知ってる日本語とか、
もちろん中国語でも簡単な中国語にして教えてくれて、
身振り手振りで教えてくれて、本当にそこでも人の温かさを感じたというか、
ありがとう、ほんまに、ほんまにシーシーシーシーって思いながら生活をしておりました。
そんな感じでですね、いろんな授業を取りつつ、
美味しいものも食べつつ生活を送ってたんですけど、
ここからですね、私が台湾留学生活約1年間の中で大きなイベントだったなと思うことを2つ、
お話ししたいと思います。
まず1つ目がですね、引っ越しです。
引っ越しって思われると思うんですけど、
まず私が台湾に留学した当初住んでたのは寮だったんですね。
寮の4人部屋で共同生活を送っておりました。
なんですが、その寮っていうのが台湾大学の寮じゃなくて、
台湾大学の寮はもう留学生がいっぱいすぎて入れないっていう抽選で私は落ちてしまって、
台湾大学まで1時間くらい電車とか歩き、
全部込みで1時間くらいかかる別の寮に住むこととなりました。
私はですね、人と生活するというのがとてもネックというか、
私、知らない人と一緒に生活できるやろうかみたいな気持ちで台湾に渡航して、
その寮がしんどかったら絶対一人暮らししよう。
とりあえず台湾に渡ろうっていう思いで、まず最初から言ってたんですけど、
でもですね、この一番最初に配属された寮も引っ越してるんで、
しんどかったんやなって思われると思うんですけど、
もちろん朝8時から授業なので、7時には出なきゃいけないとかすごくつらかったんですけど、
この寮でも本当に本当にいろんな出会いがあって、
っていうのも隔離があったって言ったじゃないですか、
その隔離を終えて入寮なので、
入寮する人みんな、その隔離を終えてきてるわけですよ。
その隔離を終えて、じゃあ私今日からこの寮に住むんやと思ってタクシーに乗ってですね、
行ったところ、私のルームメイトの子がちょうどその時にコロナウイルスにかかってしまって、
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無菌状態であるその日入寮の子たちはその部屋には入れれないみたいな。
隔離だってなって、その日入寮、私と同じ日に入寮だった日本人、私含め3人、女の子で同室になったんですね。
1人は前日だったかな、とかそんな感じで、とりあえずその近い日に入寮だった子たちで集められて、
日本人、それも奇跡的に全員日本人で3人で生活してたんですけど、
そのこの、なんて言うんですか、私含めた3人がとても気があって、とっても楽しかったですね、めっちゃ。
2週間くらいだけだったんですけど、実際そのメンバーで生活したのは、
まず1人目は、私と飛行機も一緒で、まさかの飛行機も一緒で、今も連絡もちろん取ってるんですけど、
その子ともう1人は大学がすごく近所というか近くて、出身は全然遠いんですけど、
すごい私が出会ったことのないタイプの子たち2人で、毎日こういうしんどいことがあったとか、
共有もしつつ、すごい深く2人とも自分の人生とか自分のこれからについて考えている子だったので、
私もそういう機会を得ることができて、なんかすごい3人で深い話とか、
よなよな、よなよななのか、日中もですけど、してましたね。
その2人に出会えたとか、それ以外にもですね、日本人学生の子、ドイツ人とかスペイン人のお友達もいたので、
そういう子たちと知り合えたのは本当に良かったなって思います。
なんですけど、やっぱり大学に通学するのに1時間かかってしまうとか、
これから1年間生活するって考えた時に、私はやっぱり大学の近くに住みたいと思って、
自分でですね、日本の不動産業者、日本人がやってらっしゃる不動産業者さんとかに頼りながら、
自分で部屋を見つけて、とっても台北って家賃は高いんですけど、1人暮らしを始めました。
で、その時に、その引っ越しの時って、日本だったら引っ越し業者さんとか頼むと思うんですけど、
そんなんないですし、そんなお金もないので、
それこそですね、元寮で同じだった2人とか、
あとは中国語のクラスでできたお友達、
すっごいそのね、中国語のクラスでできた友達、それも全員日本人なんですけど、
その友達もすっごい楽しくて面白くて、とっても私が素晴らしいなと思う人たちばっかりで、
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その子たちが助けに来てくれて、
私が住んでたアパートが本当に日本で言ったらこんなとこに住むっていうような感じの階段で登った4階だったんですけど、
4階まで重い重いトランクとかを一緒に運んでくれて、
引っ越し祝いとかいっぱいくれたりとかしてですね、
もう本当にそこでは、そこで来てよかったなじゃないですけど、
こうやって留学って助け合いだからっていう思いで、
日本人同士で助け合えたというか、
何て言ったらいいんですかね、すごい体操ですけど、
でも本当にそうで、
っていうこの、いい友達できた!嬉しい!
本当にありがとう!って思えたこの一つ。
私はいい経験をしたなと思っているのが、
まずこの一つ目、引っ越しです。
で、一つ目の大きなイベントは引っ越しだったとお伝えしたんですが、
では二つ目はということで、
それはシェイシェイ台湾という大学生中心の活動に参加ができたことです。
ここでシェイシェイ台湾とは何ぞやというお話になってくると思うんですが、
お話しします。
シェイシェイ台湾というのはですね、
2011年3月11日、東日本大震災が発生した時にですね、
台湾は日本に対していろんな面で支援をしてくださっていました。
もちろん物的なものもそうですし、物資ですね、物的なものもそうですし、
ボランティアとして台湾から日本にたくさん足を運んでくださいましたし、
金銭的な面でもたくさんの支援をしていただきました。
そのことに対して、日本からありがとうの気持ちを伝えるということで、
台湾にいる日本人大学生が中心となって、
毎年3月に、だから年に1回ですね、行っている活動なんですが、
その活動が今年で、私が参加した今年で第12回目を迎えておりまして、
なんと私は第12回目の副代表まで務めさせていただいたんですけど、
その1日の活動の中では、東日本の方々が台湾に送ってくださった浴衣の着付け体験であるとか、
あとは今年はですね、新たな試みとして絵本の読み聞かせとして防災に関する絵本を読み聞かせるブースを設けるとか、
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あとは防災グッズの展示をさせてもらうとか、
本当にありとあらゆる感謝を伝えられる、いろんな方法で感謝を伝えるイベントというのを行っているのが、
しえしえ台湾というものです。
ちょっとお話ししたんですけど、私はそこでですね、副代表まで務めさせてもらって、
中国語も全然ままならなかったんですけど、
本当にこれも縁が重なって、そもそも参加してみないかっていうのも、
いろんな人の縁でお話をいただけて、
参加してみたら、私に副代表やってみませんかってお声掛けいただいたので、
やれることはやろうっていう思いで、私は副代表を務めました。
これだけ聞いたら、すごいな、そういう活動に参加して、みたいな感じで聞こえるかもしれないんですけど、
全然すごいことはなくて、
私がこの活動に参加して一番感じたのは、
この活動をやろうって言ってる、参加してる、
日本人、台湾に正規で4年間通ってる大学生のみんなとか、
あとはそうですね、この活動すごくちょっと面白いんですけど、
日本に興味がある台湾人の学生さんも参加してて、
参加しようと頑張っている台湾人の学生さんに出会えたのも、
本当に私は逆にありがとうと思っております。
プラスこの活動に参加して、
私はどこまで行っても日本人だし、日本にアイデンティティーはあるし、
その私が台湾にいるっていうので、
日本と台湾の交流関係とかっていうのも知りたかったので、
ここで本当にお恥ずかしながら、
東日本大震災が発生した頃は小学校3年生で、
私は関西に住んでいるので、すごく遠い感覚だったんですけど、
この活動に参加するってなってから色々勉強させていただいて、
本当に日本のことも台湾のこともたくさん知る機会になって、
本当に良かったなと思っています。
プラスですね、ここの活動に参加して、
私が興味があることとか、
私ってこういうこと好きなんだっていうことに出会えたのも、
本当にありがとうと思っている。
活動に対してありがとうと思っている部分です。
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で、何が好きってわかったんって話ですよね。
っていうのは、今回の第12回シェイシェイ台湾のテーマが、
日本から台湾へのありがとうだけじゃなくて、
台湾から日本へのありがとうに対してもピックアップしてみようよっていうので、
台湾もすごく地震が発生する国なので、
台湾で地震が発生した際に活躍された日本人の方とか、
そこで起こった大交流を取り上げてみようってなったんですね。
で、私は本当に交換留学生って、
交換留学生って私の時間割の組み方とかなんですけど、
結構緩くて、うちの大学は緩かったので、
結構時間があった。
いわば暇だったんですね。
学校行く時間以外は。
なので、この暇な時間あったらあかんやんっていうので、
いろいろやりたいって思ってた時だったっていうのもあるんですけど、
私がちょっと取材させてくださいと手を挙げさせてもらって、
台湾在住の日本人の方々、
大人ですっておかしいですけど、
ずっと本当に十何年とか住んでらっしゃる方々に、
アポイントメントを取らせてもらって、
台湾でこういう地震が発生した時はどうだったのか、
こういう時ってどうしたらいいと思いますかっていう取材をさせてもらって、
その内容をまとめたものを当日展示させていただいたりしておりました。
その中で私はすごくこの新しいことを知ったりとか、
その人のこととか、そういう時に活躍された人とか、
その人自身のことをインタビューして聞いて、
それをまとめて皆さんに発信するじゃないですか、皆さんにお伝えするっていう、
この流れが本当に好きだなって知ったというか、
分かったのが本当にここで、
なので私今こうやってポッドキャストをやってるんだろうなと思うんですけど、
そうですね、この3人の方にお話を聞いたんですけど、
皆さん本当にいい意味で全然違ったタイプのお三方で、
話を聞いてすっごく面白かったですし、
こういう考え方もあるんだ、こういう生き方もあるんだ、
すごいな、私にはできへんな、みたいな部分もありましたけど、
聞いててすごく楽しかったし、やっぱりすごくパワーがある人だから、
そうやって台湾で震災が発生した時に、いろいろ活躍されたわけですし、
そういう方の話を聞いてすごく元気になったなという思いが今でもあります。
はい。
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そうですね、もちろんシェイシェイ台湾に参加して、
いろんな新しい世界を、
世界って何かうるさくさいな、
新しいことに参加したので、
新しいことしかないじゃないですか、
新しいこといっぱいで、
もちろんしんどい時もあったし、
え、もうこれイベントまで間に合うんかな、
泣きそうになりながらパソコンカタカタ、
みたいな日もあったんですけど、
この活動に参加している日本人学生、台湾人学生に出会えたこと、
インタビューさせてもらったお世話の方に出会えたこと、
それ以外にも、このイベントを支えてくださっている大人の方々とか、
学生の方々に出会えたことも、
私の人生の糧だなというか、財産だなと思っております。
はい。こんなとこですかね。
はい。えっと、なんか、
えっとね、シェイシェイ台湾に関しては、
もう私は話せば、もうえげつなく多分話せると思うんですよ。
まず何月にこんなことがあって、
何月にこんなことがあって、
何月にちょっとしんどくなって、とか、
いっぱい喋れるんですけど、
それを喋りだすと止まらなくなっちゃうので、
お聞きしたい方はぜひ、
私に直接聞いてください。
はい。
いくらでも話します。
で、最後にですね、この最後にっていうか、
これだけじゃ私の台湾生活は語れないなと思うんですけど、
行ってよかったと全体で思ってて、
こういう大きな2つの自分の中で大きかったなと思う出来事があって、
ここから感じたことを最後にお話ししたいなと思うんですけど、
ここから感じたことは、
人。
人の良さ。
なんて言うんですかね、台湾の雰囲気、
台湾の社会の雰囲気がそうさせるのか、
ただ単に台湾に行く人がみんな良い人なのか、
それはちょっと違うなと私は思うんですけど、
日本人、台湾人関係なく、
私はみんなと交流できてよかったなと思っていて、
何が言いたいかと言いますと、
留学に行くと、やっぱりせっかく留学に来てるから、
日本人とはあんまり喋らないでおこうとか、
絶対に中国語しか喋らないぞみたいな、
そういうのも私は全然いいと思うんですけど、
実際私がそういう中国語縛り、
日本人とは絶対絡みませんみたいなことにすると、
メンタル的にしんどくなるのが分かってたのでやらなかったんですけど、
でも私はその選択は良かったなと自分では思ってて、
いろんなバックグラウンドとか、いろんな経験をしてる、
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今まで私が出会ったことのない日本人の、
もちろん同級生とか先輩方とかに会えて、
すっごく刺激をもらったし、
やっぱり母語で自分の経験を喋ってくださるから、
スッて入ってくる。
プラス、もちろん台湾人のお友達、
英語をめちゃくちゃ勉強頑張ってたりとか、
日本語めっちゃペロペロやんみたいな子とか、
別の、えーそんな世界に興味があるんか、
全然私は数学分からへんで、
みたいなめちゃめちゃ秀才みたいな子とか、
でも出会えて、すっごくいろんな人に出会えたっていうのが、
私が行って良かったなって、
自分が純度100で入れたのは、
そうやってその人に、
なんでそうやって思ったんですか、
なんでそうやって思ったんですかっていう、
そんなことをできる環境にあったから、
行って良かったって100%思ってんのかな、
って私は最近思っております。
で、プラス台湾っていう国が、
なんて言うんですかね、
一番日本に近い外国だと私は思っていまして、
その近い外国っていうのは、
物理的に距離が近いっていうのももちろんあります。
もう本当に沖縄のすぐ横なので、
実際が1時間だけですし、
やっぱり少し日本に似てる部分もあります。
なんですけど、
人情深いというか、
本当に、
て言うんですけど、
とっても人情深いんですね。
なんて言うんかな、
日本のちょっと昭和っぽさがあるなって思います。
ご近所付き合いとか、
人が困ってたらすぐ手を差し伸べてくれたりとか、
過干渉ではないんですけど、
不干渉でもないなっていう、
この感じが私はとってもいいなと、
好きだなと思います。
でも、やっぱり日本じゃなくて、
っていうのも、
いろんな文化が混在してるなって、
私は台湾に行って思ったんですよ。
やっぱり東南アジアの文化であるとか、
東アジアそれこそ、
日本とか中国とか韓国とかの文化も、
台湾に集結してるなって思ったので、
かと思えばっていうか、
台湾ならではの文化、
もちろん原住民の方々もいらっしゃいますので、
っていうこんな台湾らしさもあるし、
本当に面白い文化がたくさんあるなって感じました。
だから私は一番日本に近い外国だなって、
台湾のことを思ってて、
そういう半分日本半分外国みたいなところで、
生活できたのも、
海外一発目の、
私海外一発目なんですけど、台湾が。
海外一発目の私が、
本当に100%楽しく暮らせて生活できて、
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こんなに良かったと思ってるのは、
こういうの一番日本に近い外国が台湾。
台湾が一番日本に近い外国だから、
かなと思っております。
ここまで私の台湾留学生活について、
ずわーって話してきたんですけど、
いかがでしたでしょうか。
私これ今、続けて聞き返すことなく、
バンバンバンバンバンって喋ってるんですけど、
今私はすごく心配です。
まとまりがないんじゃないかと。
まとまりがなかったら、
とても聞きにくかったというご意見をください。
で、最後におまけと言ってはなんですが、
私が台湾に行って、
ほんまに出会えてよかった。
あー、今なんでここにないんやろって思う。
食べ物をご紹介したいと思います。
台湾に旅行へ行く際は、
ぜひお召し上がりください。
その商品はですね、
これを聞いてる私の友達は、
あー、こいつ絶対言うぞ。
と思うと思うんですけど、そうです。
豆花です。
はい、えっと、何を言ったんやこいつは。
と思うと思うんですけど、
日本語で言うと、豆花ですね。
豆に花と書いて豆花です。
ほんまにこれ美味しいんです。
簡単に言うとですね、豆腐スイーツです。
豆腐のプリン、ほぼ豆腐。
豆腐プリンとは言えない豆腐みたいなのに、
甘い蜜、砂糖水がかかってまして、
それにいろいろピーナッツとか、
タロイモのお餅とか、
小豆とか、
いろんなお豆を乗せて、
食べるっていう、
温かくもOK、冷たくもOKという、
ほんとに食べるだけで健康になるんではないか?
というようなスイーツです。
これがほんとに美味しくて、
日本にも豆花を食べれるお店は、
いろいろあるんですけど、
まあ、高い。
豆花のいいところは、美味しくて、
ちょっと健康になりそうな味をしてるにもかかわらず、
めちゃくちゃ安い。
というところなんですね。
なんと、一腕、結構ボリュームあるんですけど、
一腕40元。
だから、200円以下?
とか、200円前後?
ちょっと高級だけど、それより上がっちゃうんですけど、
そんな感じで食べれるんですよ。
もう、ほんとにほんとに美味しくて、
私は一番好きなのは、
ニッシャイエッシーという、
日本語でなんて言うんでしょうね。
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丁寧の例に、夏?
って書いた夜市?
に、の近くにある、
豆花屋さんがあるんですけど、
それについては、私のインスタグラムの方で、
長々と豆花に対する思いを連ねておりますので、
皆さん是非見てみてください。
そしてですね、
日本でここの豆花めっちゃ美味しいで、
みたいなのをご存知の方がいらっしゃいましたら、
私までお知らせいただけますと、
コメントでもDMでもしていただけますと、
私はもう、はるばる、エンドはるばる、
そこへ飛んでいきます。
行きますゆえ。
よろしくお願いいたします。
そうですね、チラッとさっきも言ったんですけど、
インスタグラムの方でですね、
今日話した台湾の生活とか、
ちょくちょくあげてますので、
よかったら覗いてみてもらえると、
台湾でこの人こんなことしてたんやな、
こんなん食べてたんやな、
主に食楽しかったんですけど、
食についてもあげてますので、
よかったら見ていただけると嬉しいです。
で、随時、
ゲストを募集しておりますので、
みなさん、
手をあげていただけますと、
嬉しいです。
次回は、
ゲストを呼べるかな?
というか、絶対ゲストを呼んで、
やるぞ!という思いで、
今ちょっといろいろ計画を練っておりますので、
みなさん次回も楽しみにしていただけますと、
嬉しいです。
はい、今回も聞いていただきまして、
本当にありがとうございました。
感想とか、改善点とか、
要望とか、
ございましたら、
コメントでも、DMでも、
いろいろ感想いただけると嬉しいです。
はい、
明日もみなさん、
元気に、いや、無理せず、
あの、
頑張らなくていいので、
応援しております。
はい、ではまた、
次も元気にお会いできることを楽しみにしております。
それでは、
ばいばーい。