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2019-01-17 22:18

第192回 特別ゲスト・経営コンサルタント 長田實氏「300人規模を上場させ、3000人の企業に!」

第192回 特別ゲスト・経営コンサルタント 長田實氏「300人規模を上場させ、3000人の企業に!」上場企業から中小企業に至るまで、2万人を超える営業支援を行った青木毅が、営業に関わるあらゆる問題をわかりやすく解説する番組です。
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青木たけしの質問型営業。営業、それは商売の原点。
トヨタ、大阪ガス、青京などの営業マンも実践。 2万人を超える営業支援を行った青木たけしが、営業の真髄を語り尽くします。
こんにちは、遠藤和樹です。青木たけしの質問型営業。青木先生、本日もよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いいたします。
さあ、今日はもう。
そうなんですよ。
いいですか。
すごいですよ。
すごいですよ。
私の30年来の先生です。
30年来。
そうなんですよね。私の人生で3人の師匠がいらっしゃいまして、その方には本当にいろんなことを学びながら、
自分が成長できたなというふうに思っているんですけど。
近近営業は以前に平岡先生というね。
いらっしゃいましたね。
こちらは経営のあり方とか、生き方ということですけど、本当に私の核を作っていただいた。
今日はね、2番目の先生です。
本当に頭が下がります。ありがとうございます。
このまま行くと、ずっと紹介に至らないので、早速一旦ご紹介させていただいてよろしいですかね。
はい。
本日のゲストは経営コンサルタント、ナビ経営研究所の代表取締役、中田みのる先生にお越しいただいております。
中田先生、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
本当にちょっと頭が上がらない感じが出られてますね。
だってもう32、3からですからね。
実は前のアメリカの教育カリキュラム、私は中田先生に営業に行ったんですよね。
営業先?
その頃に関西の神戸製工という会社がありまして、ご存知だと思いますけど、そちらの小会社の社長をやってられて。
で、あるセミナーでお会いして、君面白いねって。
中田先生が?
そうそう。アラビにおいでって言ってバッと見たら名刺がそうやったから、いいんですか?みたいな。
それで言って売り込んでたんで。
質問もせず。
いやいや、当時は説得型営業の頃ですよね。
説得営業の頃。
で、沈没して。1回目は見事沈没して。
でもね、すごいんですよ。やっぱりフランクやし、いろんなことを教えていただけるんで。
それでまた訪問して、2回3回半年くらいかかりましたけどね、採用いただくまで。
採用いただいたところまで。
ちょっとそのあたりのお話聞きたいですが。
いやもうね、山ほどあるんですよ。
山ほどある中でね。
03:00
山ほどあるんですけど、私が本当に書くという、確信の心の書くね。
コアってやつですね。
コアで学んだのは、書くっていうことなんですよ。文字を書く。
ライト、ライティング。
文字を書くということの必要性、重要性を学んだのが永田先生なんですよ。
すごいんですよ。
青木先生興奮されすぎて、全然永田先生お話できないんですけれども。
いやあのね、私がプレゼン行った時に、今でも覚えてるんですけど、
右側にずっと私が喋っていることを書かれるんですよ。こんな若そうな喋っていることを。
小売社の社長、小売社の社長がね。
あのクソガキが。
当時ですからね。
左側にザーッと書いて、右側は白紙だったんですよ。
で、左側全部終わったらまたパラッと巡って、また左側に私のほーとか言いながら書いてくれるんですよ。
営業で来た青木先生のことを聞きながらですね。
で、まず何を書いてるのかなと思ってね。
先生、永田社長ですね、その頃の社長。何を書いてるんですかって。
いや、君の話が役立つから書いてるんだよ、みたいなね。
えー、そんな役立つようなこと。
でも右側空いてるしね。それは何なのかなって。
気になる気になる。
そうそうそう、言ったら。
これ右側空いてるんですけど、どうされるんですかって言ったら、今でも覚えてるんですけど。
青木さん、文字って何のためにあるの知ってんの?って聞かれたんですよ。
そういうニュアンス。
文字何のためにって、いや、そんなこと聞かれたことないし。
いや、伝達のためじゃないですかって。
違うなーって。
言葉の含みは、バカだなーって感じよね。
ちなみに永田先生、今のエピソード覚えられてます?覚えてらっしゃいます?
よく覚えてます。
よく覚えてるね。
ほうほう。
文字はさ、ね。
これ答えは当然永田先生覚えてるというか。
そうそう。
全然違うこと言ったことはないですよね。
違いますよ。
考える道具だよって。
どういうことですかって言ってそっから始まったんです。
じゃあここから行きましょうね。
ねー永田先生。
ずいぶん昔のようだけど。
いやー。
まあ今でも。
衝撃でしたよね、私はもう。
天気が走りました。
あ、そうですか。
人生の最大の本当に天気っていう文字を書くとか、
考える人間、つまり自立する人間っていうね。
セールスはそれまで習ってましたよ、第十番目の先生。
でも自らが考え、自立するということを教わったのは永田先生。
ちょっと詳細聞いていきたいところですね。
ちなみにまず一番初めになんですが、お会いされた時の青木先生の印象はどんな感じだったんですか。
なかなか僕は教育っていうか、物を考えるっていうのはね、やはり人生において最大の課題だと思うんですよ。
06:03
今の教育っていうのはさ、過去もそうかもしれないけど、明治時代ね、
何かこう与えられたものを覚えるだけの競争みたいなもんじゃないですか。
私はずっと不思議に思ってたのは、やっぱり人間っていうのは考えるから成長してきたんだ。
考えるから人類が残ってきたんじゃないかと思うんですよ。
考えなかったらですね、おそらく動物と一緒で耐えてたかもしれないよね。
考えるということについて、教育の世界でね、今まであまりお目にかかったことなかったんでね。
青木先生が来られて、考えるための道具じゃないかなっていうのは、そういう感じで受けたんだよね。
私はそう思ってなかったですけどね。
確かに書くということを言ったりね、言ってる人間がよくわかってないみたいなこともありましたよね。
一番やっぱり問題なのは、書くということは考えないことには書けないよ。
神与えられて書きなさいって、何か書くんですかみたいな。
何か課題与えられて初めてそこで何か書くわけだからさ。
そうすると一番反応しなきゃいけない、反応する何か言葉がないと書けないですよ。
ですから青木先生が持ってきた、アメリカの成功哲学を私、パンフレットを見て、
これってさ、能力を引き出す話をずっとされてたわけだから、
これって考えないと能力を引き出せないじゃないですか。
書くっていうのは当然の話でね、そういうことでやってきたわけで。
私はたまたまね、若い時からもちろん技術もやって、営業もやって、技術開発もやってきたけども、
一番やっぱり社長のブレインだとか何かを長年やらされてね、
そうすると質問ですわ。将来会社どうしたらいいんやと。
あそこの会社はこんなことやってるけど、君はどう思うかとかね。
大企業の社長に会いに行くけど、お前一緒に来いと思ってね。
それで必ず、
若い頃にトップの社長秘書をやってられた。
社長がブレインですよね。自由にやれと。
結局は一緒に行くとさ、帰り必ず、おい今日話どうだったと。
お前どう思うか。
でもその頃20代でしょ。
09:00
30代ですね。
30代ですよね。向こうはもう50、60でしょ。
いやもう上々企業の有名な社長ですよ。
だからそういう本当についてきてる人間に、それがもうすごいですよね。
だからやっぱり必ず聞かれるわけだし、必ずメモ取ってないとさ。
レポートも書けなくてすぐにあれじゃないですか。
それぐらい頼られてたみたいなとこですよね。正直。
結局1回目2回目何回もやってると、社長変わっても同じですわね。
どうしちゃいいんだとかね。
すごいね。もうそういう話がね、もうすげーあるんですよ。
すげーあるんですね。
世代を越えてでも質問の話をされてるんですよ。
そうそうそう。だからそういうところで書くという重要性を教わりましてですね。
なかなか本でもね、先生に指導をもらった。
だから結局カリキュラムは採用いただいたんですよ。
買っていただいたんですよ。
ところが買っていただいた瞬間から実は色々聞いてたら、どんどんどんどん私の先生になっちゃった。
ちなみにどういう経緯で先生って勝手に言ってるだけですか。そんなことはないんですよ。
先生とは言われてないんですよ。私がもう先生って決める。
そして色んなことを教わりながらですね、
まあ32、3くらいからやっとこういうことなのかということで書くということが
一回手放したりね。もう言われるようにはできないみたいなことで一回手放したりしたんですけどお付き合いがずっとあったんで
41、2くらいからああこういうことやったんかということで
それこそ10年くらいかかりましたよね。
そうですね。
偉いですよ私も。
それは横に置いておきます。
よく信号されたと思うよ。
それはね、まあだいたいね、書くということはね、みんな簡単に書けると思ってるんですよ。
ところがメモが取れないんだよね。
ほうほうほう。
要するに断片的にメモが取るということが重要なんですよ。
面白いのは議事録でも何でもそうだけどね、まあ仕事でも何でもそうだけども
議事録取れたら全文書こうとするんですよ。
要するに主要なタームを書いていけばいいわけですよ。拾って書いていけば。
そうするとですね、終わってから見直せばね、簡単に文章がつながるんですよ。
それで重要なことは、何を今日は議論したのか、何を話したらいいのか、そういう話したのか、そういうものをですね、整理をすればいいわけであって、全文なんて必要ないんですよ。
まあそれと内化とか外化とかね、もう一回自分の中で内化する。
12:03
そして内化したものを外化する。
外化したものをもう一回内化する。こういうようなことで練り上げられる。
その言語でご説明を、永田先生から
そうそう、その頃から。
その頃からそういう、独自メソッドみたいなもんじゃないですか。
そうですよ。
で、ケイティ・ホーというケプナートリガーという日本のトレーナーでいらっしゃって、そこから私もそういう書くということのやり方とか教わりましたけど、
ほんでも永田先生の独自のノウハウというかね。
ちなみに先ほどお二方がおっしゃっていた10年後、わかった。そしてよくそこまで頑張ったねって言ったのはどういうことですか。何を?
書いて物事を考える。
10年間先生に教えられたことを書き続けてた?
いやいや、いろいろ思考法とか、物事の解決の仕方とか、重要なテーマからのアイディアの出し方とか、いろいろあるんですけど、
そういうことを自分なりのものに仕上げていって、自分のノウハウにできたということ。
だけどその書くことの重要性とかね、そういうことを永田先生に教わった。
で、実はまだまだお伝えしたいことがあるんですが、永田先生はそうやってそちらの会社の社長をやってられたんですけど、そこから一大転身をされまして。
一大転身。
B2Bの仕事をやったんですけど、B2Cの仕事を僕は学びたいというようなことで、実はもうご存知だと思うんですけど、英語のNOVAという会社。
200,300人やった会社。
うさぎNOVA。
そこの社長から引っ張られて上場にしたいということで、会社の社長を辞められてそこへ入られたのが、おいくつの頃でしたあれ。
54歳かな。
そしてもう10年後にですね、10年でしたかね。
10年かかりませんでしたよ。
見事上場まで持って行ったんですよ。2番って言ってました。
でもいろんな問題があったでしょ、会社の社長の。
それはね、私はもう言わせていただきますけど、ワンマンになりすぎたんですよ。
そしてどんどんどんどん違う道へ入ったので、もう限界だということで、潰れる、もうそれこそ何年前ですかね。
僕はね。
6、7年前ですね。
実際在籍したのは10年なんですよ。
10年ね。
15年後ぐらいじゃないですかね。
だから5年後ぐらい、もうその時には限界だっていうことも聞かれて、限界だって。
だいぶじゃん、早めに気づいて。
そうそうそうそう。
で、その1番に300からの頃上場何千、2千、3千人の家庭の時の、ずっと私ね、見てるんですよ。
もう朝まで会議やし、ほとんど寝られてないし。
それで中身がまだまだ作られてないところを海外留学のものを作って、ハーバードや全世界を回られたり。
15:00
あのプログラム作ったんですか。
そうなんですよ。
私でなんですか。
そうなんですよ。
マジですか。
本当。
マジですか。
だからいろんなことを立ち上げて作り上げていったのが、実は裏にいるナン先生。
その時副社長?
副社長というか役員ですよね。
役員に入られて。
そう、こういうこと。裏にこういう方がいらっしゃるんですか。
基本的にはね、どんなビジネスでもそうなんだけど、結局マネジメントが7割なんだよね。
要するに僕らそれをソリューションと言ってるんだけど。
でコンテンツが3割なんだよね。
何を売るかと。どんな製品、どんなサービスをやるか。
7割が体制ができてないとですね、全く物は売れないんですよ。事業も立ち上がらない。
その7割はですね、要するに簡単に言えば水面下にあるわけですよ。
それが値打ちなんですよ、企業としてのね。
これがですね、できてないと3割は上に浮いてる商品サービスだからね。
簡単に風で流されるんですよ。そういうものなんですよ。
だから皆さんね、よく私に野場でお前英語教えてるのかって。
冗談じゃないよ。俺が教えてどうすんだよ。
私も輸出にはやってきたけど、そんな英語の得意じゃないしね。
そうじゃなくて、経営をしてくれと言うから言ったんだよってね。
しかし面白かったよ。もうほとんどの人は、
事業ってどうしたらいいのかわからないわけですよ、二重も東もね。
したがってですね、銀行関係のこともそうですし、メインバンクどうするかとか、いろんなことはあるじゃないですか。
一番問題だったのは、行き参り留学って後からつけたんだよって。
あるいは海外留学とかそういうのをつけたんだよって。
本当はとんでもない遠くのビルしか借りられなかったんですよ。
なぜかって言ったらね、生徒がごちゃごちゃ来るじゃないですか。
そうすると困ると、不動産屋がね。
たまに外人が混ざってると。
そんなの来てもらったら困る。
ああ、当時はそういう感じか。
ところが私が行ってから、どうすんねえと。
ということを3年ぐらい議論してね。
結局ネイティブだけでやろうと。
日本で、日本の教育市場、初めて全部ネイティブでやったのが私どもなんですよ。
じゃあネイティブはどうやって採用するんだと。
18:02
どうやって日本で生活できるようになるのか。
当時は外国人にアパートも貸さなきゃ。
もう一切そういうのはお断りだと。
という状態を、外国人を雇って、みんなが受けられるようにすると。
いろんな問題をね、クリアしてきて。
いろいろなことがあった。
海外留学も、ハーバードやいろんなところ、学長と会って交渉したんやけど、最初は会ってくれないって言うんですよ。
そこを対等に話して、お前のこと信用するって言って。
目的はカリクラムの留学生?
重要なのはね、レッスンを受けていくじゃないですか。
ネイティブでレッスンを受けていくと、みんなやっぱり海外ってどの程度通じるか。
あるいはそれ以上になりたい。
あるいは学校入学したい、留学したい、そういうのはあるじゃないですか。
そういうのを受け皿としてやっていかないとね、お客さんは増えたけどさ、行き先がないんじゃないか。
じゃあというわけで、私は留学になってきたことがないんだけど、
まずアメリカ、カナダ、ザーッと。
ヨーロッパね。
イギリス、フランス、それからオーストラリア、ニュージーランド、数十大学行って直接交渉ですよ。
受け入れ先として。
留学っていうのはね、ほとんどの場合は大学と直接やってないんですよ。
業者に任せる。
エージェントが入って。
エージェントがあって、エージェントがあって、ランドがあってね、それで中間マージに取られてね、
それで通訳がついていったりね、バカな話ほとんどないんですよ。
そういうのは一切無しと。
直接大学と提携して、直接大学でノバアカデミーっていうのをやらせるというのが私の方針でね。
順番に説得していったわけで。
結局オーストラリア大学をみんな受けてくれた、ペルシルビア大学もね。
それで数十大学と直接提携して、直接プログラムでやってたんですよ。
ノバアカデミーで英会話人口を広げて、彼らの人間の進化としてのステップ先を出口まで作って、
アラヤンスくんですか?
それだけじゃなくて、向こうに住んだ時には今度は事故が起こったら大変やとか、
そういうところもリスク管理もあるし、住宅環境もある。
全部マニュアルから作ってやったと。
それも全部マニュアル化してですね、簡単に言えば社員がセールス用のマニュアルを作らないといけない。
ここですね、長先生すいませんね。
これについては、それでそんだけ立ち上がってきた社員を全部教育したんですよ。
21:02
そのいかに教育したっていうのをまた来週。
次週ですね。
お話をいただきたいと思います。
そういう話なんです。
そんな中で長田先生、書籍も出されておりまして、
青木先生は読んだほうがいい、ゴルフの本も実は出されたりする。
その辺りも含めてね、ちょっとお話させていただきたいなと思います。
一旦今日は。
いやにしても濃い人生なんで、ちょっといろいろ聞きたいですけどね。
濃厚なところだけは次週ぜひ聞かせていただきたいなと思います。
はい、ありがとうございます。
はい、というわけで長先生、本日もありがとうございました。
本日の番組はいかがでしたか。
番組では青木武氏への質問を受け付けております。
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22:18

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