1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.372「スピリアルライフで..
2023-05-11 38:00

Vol.372「スピリアルライフで人生をワクワクに ― 穴口恵子さんインタビュー(1)」

スピリアルライフ提唱者・穴口恵子さんへのインタビュー前編です。

幼少期から不思議な体験をしてきた恵子さん。「スピリアルライフ」とはどのようなものなのか、大企業の人材育成コンサルタントを行なってきた彼女がなぜスピリアルライフを提唱するようになったのかなどについて、お伺いしています。

オープニングでは、「メーデーとパリのデモ」についてお話ししています。

★穴口恵子さんのSNSはこちらから
https://lit.link/keikoanaguchi

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


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こんにちは、あきです。 今日もパリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
フランスはね、5月1日がメーデーっていうことで、 メーデーって言うと労働者の日なので、この日に大抵デモが行われるということなんですね。
で、結構ね、日本ではね、ゴールデンウィーク中、ここは平日なんですけれども、 他の国はね、まあまあこのメーデーっていうことでお休みになっている国も多いんじゃないかと思います。
最近ね、やっぱりフランスの映像はね、デモとか、 ストとか、暴動とかね、そういうのが表に出ているケースもあるということもあり、
フランス大丈夫なんですかとか、いろいろ聞かれることも多いんですけれども、 ちょっとね、その辺の流れをお話ししたいのと、最近出てきた話題についてちょっとお話をしたいと思います。
実際、もともと話の中身がね、わからない方のために言うと、 もともとフランスでね、年金の支給開始年齢を62から64に引き上げるっていう年金改革を提案したんですね。
そしたらね、当たり前なんですけど、フランス人は大反対なわけですよ。 政府以外の党も反対だし、国民も反対すると。
で、今回、問題は49.3っていうのが一つのキーワードになってるんですよ。 みんな49.3ってよく言うんですけども、
49.3っていうのは、49条3項っていう法律に則って、議会を通さなくても法案を通せるっていう、 要はちょっと緊急事態的な法案の条項があるわけですね。
で、今回だけじゃないんですよ。 結構まあまあ、過去の政府とかでも通してる案件とかあるんですが、 こういうものを実はね、通しちゃったんですよ、年金を。
それでね、まあ人々は怒ってしまったわけなんですね。 で、まあその年金改革の話をしているところから、デモとかストとかバンバン起こってたんですが、
その49.3の話が出て、49条の話が出た瞬間からまた大暴動に発展していくというわけなんですね。
で、まあよくね、映像とかが出てきたりして、パリがね、暴動になってしまっているとかね、 まあそういう映像をよく見る方も多いのかもしれないんですけども、
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まあこれはね、一部である光景なんですね。 パリ全土がそういうわけでもないし、フランス全土で行われているわけでもなくて、
まあ一部にフォーカスを当ててやっているので、 実際はなんかもうフランス革命が起こるんじゃないかとかね、
なんかそういう言い方をしていますが、 実際はそこまではね、強くなく、普段は本当に穏やかにデモも行われているという感じなんですね。
そこでね、4月ぐらいから出てきた傾向がですね、 鍋を叩くってやつなんですよ。
鍋に木べらとかスプーンとか、 鍋って言っても、あの金属の鍋ですよ。 あれをカンカンカンって鳴らすんですね。
鍋叩きのデモっていうのが、一種ね、抗議の音みたいな位置づけなんですよね。 こういうのが、例えば普段もやってるし、デモしながらも始まってるし、
マクロンが出てくるところになると、 実際に鍋叩きデモっていうのが増えてきていると。
もともとね、この鍋叩きって政治的な抗議デモの象徴となっているんですけれども、 これ自身もね、やっぱりフランスが起源で
1830年代ぐらいだそうですね。 この7月革命を受けて、国王がシャルル10世だったかな、が退位した時に出た話なんですね。
で、この時に、このルイ・フィリップっていう新しい王様に不満をいただいた人たちが、大騒音を立てるっていうこの風習を借りて、
自分たちの声を届けようとして、鍋叩きが始まったということなんですね。 これがね、ある意味世界に波及して、一時は例えばフランス植民地だったアルジェリアとかね、
その後、南米とかね、結構いろんなところで使われたりもしています。 日本だとね、あんま馴染みがないかもしれないけど、例えば
ミャンマーとかね、ああいうアジアでも行われたりしていると。 そういうところで何かのたんびにね、ちょっとブームとなって戻ってくるんですけども、
今回マクロンの年金改革っていうので、鍋の音が大きく、とにかく何か喋ろうとしたりとか、例えばマクロンが演説をする時にテレビ演説するんですよ。
その時に、今日夜8時からテレビ演説が始まるぞって言うと、外でバーッと鍋叩きが始まるという感じなんですね。
うちのエリアは全然そういう感じではないんですけども、ちょっと住宅地っていうのもあるんですが、パリのね、そういう繁華街的なところは結構やってるような感じでした。
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実際にデモしている人たちは穏やかで、暴動が行われているのはほんの一部です。
暴動はね、単に年金改革を利用したい人たち、もともと不満を持っていて、年金改革でデモをしているところに乗じて、
物を壊しにかかっている人たちで、本来ね、デモってね、本当に歩いて静かに歩いてるんですよ。
穏やかだし、なんていうのかな、怖い雰囲気とか全然ないんですね。
ただね、今回は鍋持って歩いてるし、あとはマクロンに対するブーイングとかね、
マクロンを辞任しろ、みたいなね、ことをずっと叫びながらやったり、歌を歌ったりっていう感じなんですよね。
ある意味、もう本当に音楽隊みたいな感じになってきているんですけれども、比較的人々が思っている以上に静かに、
結構ね、みんな楽しそうにデモ更新しているっていう、そういう感じで、5月1日はね、命令だったということもあり、暴動が実際あったんですよね。
警察とのやりとりもあったし、そういう動画がツイッターとかね、そういうところでも流れているので、大暴動になっちゃってるっていうのは見てる方もいるかもしれませんけども、
実際は一部、そういうことが行われています。それはね、やっぱりちょっと残念ですよね、大暴動になってくる。
でも、ちょっとアグレッシブにみんななってくると、警察と揉み合いになったりとか、そういうのはね、どこでもありますけどね。
これはね、実際には今後どうなっていくのかわかんないですね。
マクロンも変な話、5月の半ば、G7のサミットで広島に来るし、フランスを開けたりするわけですよ。
その間ね、ちょっと穏やかにはなると思うんですけども、この年金改革が実際どうなっていくのかっていうのは、まだまだ先が見えないと、終わりまでわからないという感じになっています。
それでは本編スタートです。
はい、本編です。今日はですね、スペシャルなゲストが来てくださいました。
スピリアルライフ提唱者の、穴口恵子さんです。恵子さん、よろしくお願いいたします。
こんにちは、よろしくお願いします。穴口恵子です。
恵子さんはですね、私本当に去年なんですけどもね、このポッドキャストにも出てくださった山崎匠さんのご紹介で、
素敵な人がパリに来るんだけど、もしよかったらお手伝いしてもらえないかっていう話があって、
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もちろんですよって言って、名前聞いて恵子さんってもちろん存じ上げてたので、ぜひぜひっていう形で、去年の秋に一緒に、本当に微力なんだけどね、パリでちょっとお話し会もやり、
恵子さんがね、パリのディズニーランドをなんとかしきる、この話しても大丈夫ですよね。
全然大丈夫です。
なんとかしきるっていうね、すごい技を持ってらっしゃって、ほんとかしきるって、かしきるですからね、私たちしか。
そして、買ったの5人のためだったんですよね。
朝早く行くっていうのは分かってたんですけど、私もそういうのやったことがないから、何がなんだかさっぱりわからないまま、でも恵子さんが誘ってくださって、お席あるのでって、
いやちょっと私いいのかしらとか思いつつ、めちゃめちゃ一緒に楽しませていただいて、ディズニーランドってやっぱすごいなと思いましたね。
やっぱりディズニーランドのコアバリューというものを、ああいう形でね、体験させていただいたっていうのはすごいなと思います。
良かったですね。それをね、権利っていうのを恵子さんが見事手にされて、わざわざ、そのためにパリに行っちゃったんですよね。
はい、そうなんです。それがまず一つの目的で行ったんですけれども、その後旅行もしたいなと思ったんだけど、でもパリといえばやっぱり懐かしい、パリでセミナーで十数年前に開催できた、なんかすごいその時、パリに在住の方々とつながれた喜びって忘れられなかったんですよ。
私も異文化で、アメリカメインに住んだことがあるので、やっぱり異文化に住んでいる人たちの意気込みとか、なんかパッションっていうのをね、なんかすごい感じていて、だからすごいその異文化で住む素敵な方々に出会いたいって思ったし、そこでセミナーして喜んでいただけたら楽しいかなって思ってて、夢を叶えてくれてありがとうございました。
お話し会もね、なんかみんながすごい良かったって言ってくださってたし、なんかその時に必要なメッセージをね、ちゃんとけいこさん伝えていらっしゃって、すごいなと思ってね、あの時はね、他にもいらっしゃってね、スミレちゃんとセミナーっていうお話し会をされたんですけども、けいこさんの話もスミレちゃんの話も素晴らしかったっていう感じでね、みんな満足していらっしゃったっていう。
またね、やりたいなって思います。
けいこさんはね、私のイメージですと、やっぱり英語圏のご縁があるというかね、もちろんアメリカにもいらっしゃったことがあるので、そういう方から見て、このヨーロッパってどういう風に映ったのかなって、ずっと旅行されてるので前々からあると思うんですけど、いろんな場所をご覧に来て、
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あの後もパリの後もいろんなところをご旅行されてたじゃないですか。
フランスとかヨーロッパって、けいこさんから見てどういう場所って言ってます?
私自身から見たら、すごいやっぱり歴史が深いし、そんな中で文明が今に至った、すごいストーリーがあるって思うのと、人にやっぱり、人として私は文化を感じるっていうのがあったら、やっぱり一人一人が自分をすごく持っていて、すごい表現力があるなってすごく思いますね。
アメリカ人のその文化の歴史が浅いのとは違った重み、フィロソファーなんですよ、みんな。私が出会うこのヨーロッパ県内でどこでもそうです。なんかちゃんと哲学を深いところで持っていて、それがちゃんと自分の表現でユニークな形で個性が豊かだなって思うし、それがすごく私の中の一番の興味深さですね。
ヨーロッパでいろんな方に出会うっていうのは。
やっぱり歴史を積んでいく中で、いろんな出来事があるわけじゃないですか。私たちの人生もそうじゃないですか。20代の時の自分の持っている在り方と、だんだん紡いできて、40代50代になってまた違うじゃないですか。やっぱりそれが一番やっぱり歴史の長い国の人たちとの出会いって、すごい考え方がやっぱりすごい深いところから来るっていうのを感じるんですよね。
それがすごい私にとって魅力ですよね。
面白い。やっぱりそういう視点でね、ほら住んでるとね、なんかあんまりほら実感がないっていうかね、わかんなくなっちゃうというかね、感覚がないんですけど、やっぱり外からそうやって見てくださってる言葉ってすごく新鮮ですね。やっぱりね。
それでなんかあとは、やっぱり大陸の中のいろんな国だから、すごく異文化に対してのオープンさっていうのかな。他国の言語を喋るじゃないですか。普通に。普通に。なんかそういったものに対しても柔軟性も感じるし、その歴史の深さでここはって譲れないものを持ちながらも見ていると案外フレキシブルなところもあるなって。だから頑固さとフレキシブルなところもある。
フレキシブルな、この相反する矛盾したものを両方持ちながら人付き合いがあるんじゃないかって思った。
そういう意味で結構複雑かもね。
複雑だから面白いんだけどね。
けいこさんはね、スピリアルライフ提唱者っていうふうに紹介させていただいたんですけど、スピリアルライフって、スピリチュアルとはよく聞いたりすると思うんですけど、スピリアルライフっていう言葉の意味っていうんですかね。
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どういうことなんだろうって。
目に見えない世界と、自分が実際に体験している現実っていうのは一緒なんだよっていうことをお伝えしていて、
全ての私たちがかなっている言葉だとか、やっていることとか、背景にはその目に見えない世界とつながっている。もっとわかりやすいと、その潜在意識も見えないじゃないですか。
だけども、自分が発する言葉だと行動には、その潜在意識から来るものもいっぱいあると思うんですよね。
そういう意味で、まず一番わかりやすいのは潜在意識も、私はスピリチュアルと捉えて、目に見えないね。
そして同時に、私たちって先祖がいて、私たちが生まれてきて今があるわけじゃないですか。
そういう先祖というのも、他界して見えないけれども、その存在にあったりとか、あるいはもっといくと神様だったりとか、ヨーロッパだったら聖母マニアとか、不思議メダリの教会とか、
もういないけれども、そこに根付いて目に見えない存在たちが、私たちの日常にすごい影響を与えていて、その影響をどう私たちが捉えて受け取るかっていうところが、
私たちの行動や価値観の背景にあるんだっていうことでね。だからそこを外して全てのものを見てほしいなって思ってて。
だからシンクロというね、共持性というのはしょっちゅう起こっているし、一つの出来事が全部の世界を作っているわけじゃなくて、いろんな出来事が紡がれて、私たちは今がここにいるんだなっていうことをね。
そういう捉え方が目に見えない世界もちゃんとあって、今ここに起きている。例えば秋さんとの出会いも、やはり私の中ではヨーロッパっていうところに行くと、フランスは私の中でもすごい革命家の一族だった気がするんですよ。
世界を変えるエネルギーとか、そういう意味で、そのエネルギーを自分の魂に持っていて、そして人と人との出会いもたまたまじゃないんですよね、きっと。必然的なタイミングで出会ってて、そういうのも私たちは目に見えてないけど、その過去性もね、スピリチュアルな領域で扱うんですけれども、その過去性で何らかの接点があってね、こうやってまたこの人生でも、なんかその続きをするみたいな。
だから私、秋さんとはすごい良いことをやってきたんだなと思って。
フランス革命とかで、結構アンダーグラウンドだけれども、なんかポジティブな方向にマインドセットをね、皆さんの、やっぱりスピリチュアルっていうのもやっぱりマインドセットにすごくやっぱり関わっているから、そういうことをやってたりとか、魔女をやってたりとか、そういうのがね、
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過去にあったことのつながりがあって、そしてさらにその続きをする。
だから、よくスピリチュアルでね、過去性でカルマがあって、因果の方でネガティブなことをしたからって、それだけの出会いではなくてね、結局そこで終わったならば、そうじゃなくて、さらに魂が進化するために出会っているっていうのを私が伝えているようなスピリアルライフなんですね。
いや、でも面白い。
実はね、いろんな話がパタパタパキーと来たんですけど、私ね、やっぱり、別にもともと全然フランスも興味なかったし、好きでもなかったんですけど、結果的になんかね、いつも誤演があるんです。
そんな好きな誤演がある。
でね、一回ちょっとヒプノっぽいのをやったこともあるんですが、自分の中にジャンヌダルクがいるんですよ、いつも。
うん。
私の中にもいるんですよ。
やっぱりそうなんですね。
いるんですよ。
だから、ジャンヌダルクの像を見るとね、なんか書き立てられたものがいつもあるんですよ。
だから、別にヒプノやると、ちょっと革命とかに縁があったりするわけですね。
どっちかっていうと、やっぱり性格的にもパイオニア系で、なんか新しいことをリスクを犯しててもやるっていうのは嫌いじゃないんですね。
こういうメンタリティっていうのかな、そういう部分が結果的に住んでいるフランスと今自分の中で結びついているっていうのはね、快感として、本当感覚レベルなんですけど、あるので、今の話はすごいなと思います。
まさにその通りで、だから私は秋さんとのこのご縁がね、あんな楽しいことで始まって、だけどなんか世界に対して何らかの変化を起こすとか、人に対してのそれを一緒にする可能性っていうのがすごい感じられるんですよね。
いやだからね、私はそういうのはあんまりわかってないんだけど、そういうアクティブな慶子さんっていうのはすごく私も本当に見習ってるっていうか、見習いたいなっていつも思っているところで、もうとにかく怖いものなし系に見えるんですよ、慶子さんって。
なんかね、すごく来るのはね、やっぱりそのジャンヌダルクが自分の中にいたらさ、死をも覚悟できて、そしてもう怖いもの知らずで、これが最高最善であると思ったら突き抜けていくようなエネルギーっていうのはね、今もあるし、だからなんかスピリチュアルなことをあまり広がってない時代からスピリチュアルなことを伝え始めたのもそうだし、これからもどんどんとやっぱり世界中にそういう
スピリアルなエッセンスをね、光の柱を立てていくみたいな、そういうイメージが私の中にあって。
ちなみにちょっとね、あのwikipediaにも慶子さん載ってるからね、ご拝見させていただくと、スピリチュアルっていうか、もうすごい現実世界にお仕事バリバリキャリアを積んでくられた方なんですよね。
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だから一見こうスピリチュアルと結びつかないイメージが、あの最初のキャリアとかだけを見るとね。
慶子さんのそのスピリチュアルな世界、スピリアルライフとの出会いって何かきっかけがあったんですか。
やっぱりステージがいろいろあったんですけど、やっぱり第一ステージっていうのはやっぱり自分が生まれた家族。
私の祖母はすごいスピリチュアルな人で、もうその祖母が無条件の愛そのものだったんですよね。
嫁姑の関係というのはもうなくて、私の子供時代は、うちの祖母が母を本当に娘以上に大事にしていて、母に本当に好きなことをやらせてて。
母はなんか商売したくて、商売やるって言ったら、れいきみこさんやりなあれみたいな。
だから母は私がもう物心つく前から仕事していて、その時代は珍しいんですよね。
家庭に入ってなくて、でも祖母が私を育ててくれたから、本当にまんまんちゃんあんって大阪弁で言うんだけど、お祈りするときに子供時代は、まんまんちゃんあんっていうのを銭湯に手を合わせてありがとうございますっていうね。
生身な仏を唱えるんですよ。
そういったもう見えない世界とのつながりは、祖母を通してあったわけですよね。
でもそれがやっぱり、私の中のこのすごい人生に対する物の見方っていうのが、すごい影響を与えてくれて。
第二ステージは、私自らのスピリチュアル体験が、県名幼稚園って言って、カトリックの幼稚園に行ってたんですよ。
その時に、夢か現実かわからない世界で、光の体験をするんですよ。
光に包まれるっていう。
マリア様に包まれたんですよね。
それだけど、子供だから何だろうっていうケースですよね。
で、その後のステージでね、私すごい大人しくて、今よく喋るじゃないですか。
でも、人見知りするし、人が怖かったし、なかなか自分から一歩進んで話しかけるということは、8歳までできなかったんです。
それが、8歳になった時に、ピーンって声が内側から出てきた。
もういいよって、ストーンって。
まるで魂と、今私が伝えている工事の自分であるハイヤーセルフが、ストーンってハマった感があるんです。
魂のレベルで。
完全に肉体に入ったって、そっからお天馬になって、そっからおしゃべりになって、めっちゃ人が変わったみたいになった。
それが、そのステージがスピリチュアルな体験なんですけど、その時は別にスピリチュアルな体験なんて思わないですね。
今思えばそうだった。
で、そっからは普通にスポーツ大好きで、テニスやっててね。
その今度は、20歳の時のまたスピリチュアル体験で、やっぱりマリア様とすごいご縁があるんですよ。
で、今度そのカワワイ島にリトリートに行くんですけれども、あるその方がやっているね、スピリチュアルな。
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どっちかというと、自己啓発とスピリチュアルの間のことで、誘導瞑想を主体にしている方がいて、意識を拡大するとか、そういった。
シャッティ・ガワインさんというのも亡くなられたんですけど、その方のリトリートに行った時に、パッてそこにいた人がスピリチュアルだからばっかりで、
あなたは絶対このマリア様をチャネルリングする人に会った方がいい。
チャネルリングですか?みたいな。あんまりそのチャネルリングしてなかったら何ですか?って言って。
要はいた子みたいに話してたんですよね。
じゃあ行くって言って連れて行ってもらったら、そしたらマリア様が降りてきて、久しぶりねとか言われちゃって、え?って言って。
そしたら幼稚園の時の私がマリア様の光に包まれたのを、マリア様が思い出させてくれて、あ、すごいと思って。
もうそこから結構出会う人全員が宗教家であったりとか、カトリックとか、本当に最初はそういう人ばっかりなんですよ。
アメリカに行った後は22歳でアメリカに渡ったんですけど、その時からはもうなんかホストマザーは、
そういうある特殊なキリスト教のスピーキングタングって言って、要はチャネルリングですよね。
スピリットの声を聞いてチャネルリングする人だったりとか、もうあの人が私を導いてくれたりするから、
もうこれは自分はもうそのまんま情報を受け取って、ただただ、この現実世界の中に見えない世界は絶対にちゃんと交差しているんだなっていうことは20代から分かってたんですね。
だからって言って私、この今やってる職業に就くなんて思ってなかったんですよ。
秋さんのように人事関係の、私はその異文化関係のコンサルタントで、やっぱり人事関係でグローバル化していく中で、やはり違う文化の人と関わってチームビルディングであったりとか、
社長が突然言語もできない日本に送られている方々のエグゼクティブコーチング、異文化関係のそういうのをやってて、全然そのスピリチュアルとは全く表向きには関係ないけど、
私の中ではご縁のある人は外国人ばかりなんですよ、日本にいても。これはやっぱり、私がこの方を本当に日本人とうまくやっていくことを導くんだなという形で、
表には出さないけど、感性とか直感とかガイダンスみたいなものは、この人のために何が必要かっていうのは、何か分かるからそれを伝える。
そしたら契約が結ばれるって言って、コンサルティングでもめっちゃ成功してたんですよね。
完全に仕事をした。
そしてね、それはやっぱりね、イギリス人の日本のある会社の社長で就任して、3年いるって言ってたのに、2年で辞めて帰ったんですよ。
私その時に晴天の霹靂で、その時まだ私もその会社に入って実際にコンサルティングしてたから、
晴天の霹靂で何が起きたかっていうのを後で分かったら、いろんな意味で日本人とうまくやっていかなかったし、それで自分はここを撤退っていうね、勝手に決めて3年任期終わらずに辞めちゃったのをきっかけに、
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そこですごく私の中で可愛いところから、じゃあ本当にその方が、これから私が出会う人が、そういうこう諦めたり、いろんな誤解や思い込みというものから自由になるためにはっていう問いかけを自分にしたんですよ。
そしたら帰ってきた。すべての存在は魂でつながっているとかね、それが一つとなる。
魂はつながっているから、実際にいろんな出来事を乗り越える力はみんなあるんだっていうのが分かったから、これからは企業を対象にやるんじゃなくて、個々の対象に、自分と魂とつながった時に起きるすべての出来事に対して、
自分が本当に大事なことを気がついていけば、いろんな意味で途中で何かが思う夢が叶わなかったり、違う形で叶っていくからっていうのは分かったりするじゃないですか。そういうことに一人一人が気づいた時に、すごい心の平安と世界がうまく人間関係がうまくなっていき、世界が本当に平和になるなってすごい気づいたんですよ。
そこからもうね、コンサルティングをやりながら、そのコンサルティングで稼いだお金はイベントをやったりとか、グローバルピースフォーラムという500人を集めて、赤字覚悟で赤字であろうがなかろうが、もうみんなこの魂につながることに貢献するって言って始めて、それをやってたらいつまでか逆転したんですよ。コンサルのそのお仕事から実際にシフトしましたね、完全に。
へー、じゃあ自分の気持ちっていうか、それに従ってやってたらいつの間にか変わって。そうなんですよ、もう従わざるを得ない。だからもうコンサル時代の友達は、ケイコ何言ってんのって、ちゃんと稼いでて何の問題もないのに、なんでコンサルのみたいな。いや、だけどそれは私以外の人でもできると思って思ったんですよ。
で、私の友人にそのプロジェクトを譲ったりとかして、で、その流れで本当に徐々に徐々に私自身が心からイエスだと思う、信じたことがこのスピリチャンの世界だったから、それに対してすごくこういろんな角度から皆さんにこの自分とつながる自分の本当に崇高な自分が自分の中にいるっていうことをね、目覚めていくことをやってて、やっぱりアセンションっていう言葉に出会うわけですよね。
最高みたいな次元上昇して、私たちは本当に今思っているだけの自分じゃなくて、すごい多次元的なね、自分に出会った時にまさにいろんな日常の出来事に対して、工事の視点から見た時に、なんか納得いくなーって思ってね、それでずっとやってるんですね。
飽きずにというか、懲りずに飽きない。やっぱりいろんなことが起こりますよね、やってたら。やっぱり会社を経営することも含めてね、悲劇なこともあっても、でもそれでも信じて、このスピリチャルなリアルなことがこの世界に絶対必要だということへの絶対信頼というのは揺るがないんですよね。
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【森】けいこさんのキャリアとかを考えたら、日本でいうスピリチャルの世界の走りじゃないけど、初期の頃じゃないですか、今のようなみんなの認識と違う時でしょうか。またちょっと違いますね、当時って。
当時はもう本当にオカルトだし、怪しいから、そんなこと言うなとかね、そういう世界だったから、密かにもっとサブカルチャーのサブチャクカルチャーの目立たないようにっていうのがあったけど、私はもうこういう生活じゃん、性格だしジャンヌダルクだから、いやいや何言ってんですかーみたいな、もうめっちゃ明るいスピリチュアリストになって、スピリチュアルな世界を、もうあまり海外の人も交流もなかった時代なんですけれども、
スピリチュアルな世界って、日本人の例能者の方が主流だった時代だから、だからすごい新しい風を吹かせようと言って、海外のゲストスピーカーを招いたりとか、それこそ天使と繋がる方で天使のメッセージを個人セッションでやる人がいっぱい出会っていくんですよね、そして出会った方を日本に招いてきたんですよね。
【森】結構イベントもされていたし、スクールとかもされて。
結局自分自身が使ってたのは、自分流っていうかね、自分なりに使ってたけど、さらにそれを、これが全て出会って学んでできるならば、私はそういうのを広めたいと思った時に、2つの学校に出会うんですよね。
1つはバーバラ・ブレナンスクールオブヒーリングって言って、やっぱりヒーリングを4年生の大学のように年間25日を4年間通っていくところに行ってた1997年にね、そして同時期にですね、私はアネモネという雑誌のインタビューはしてて、それで私が手を挙げて、私がインタビューされた後に、はい手を挙げて、これからはグローバリストですから、グローバルなゲスト招き、私海外にいっぱい行ってるんでインタビューしてきますから、
記事も書きますから、載せますかって言ったら、載せませんかって言って、やってくださいって言って、アネモネのグローバルスピリチャルパーソンになって、いろんな方に会って、その中でレムリアの愛の魔法の学校で今やってるドルフィンスターテンプルミステリースクールっていうのに、アメリカのパワースポットのシャスターで、アムラクアニさんに出会って、すっごい衝撃を受けたんですね。
その衝撃っていうのはですね、やっぱり魂は私のどっかで、全ての魂は対等だっていう認識があったんですよ。
いろんなスピリチャルリーダーに会ったけど、それを感じさせる人はその前にはいなかったんだけど、彼女がまさにそれを体感で、もう出会ったその瞬間から目と目があって、ハートとハートがつながって、
走って、あ、魂の対等性をこの人は知っているって思って、レムリア時代もそうだったっていうことをね、教えてもらい、これだって言ってもうね、サクサクサクサクその学校に通って、シャスターにアメリカに通って、
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ちょうどよかったのはそのバーバルブレーナーの学校でも年に5回もアメリカに渡ってたから、その流れの中でシャスターによってその学校にも行けてみたいな、すごいだから、
あのその当時は学んで、そしてアウトプット、インプットしたのを全部アウトプットして、前はコンサルティングでやってたことだけれども、そのヒーリングセッションというのは始めたんですね、もう98年から、
早いですよね、早いんですよ、でもね、やっぱりピンときて、やっぱり秋さんもパイオニアって言ってたように、やっぱりそういう無から有を埋める、これ実際がやっぱり錬金術師じゃないですか、
魔法使いじゃないですか、そういうことって好きなんですよね、やっぱりもう刈り立てられるし、内側からもう湧き上がってくる気持ちが。
いや、だからね、なんか私が今話を聞いててすごく思うのは、本当に多分ビジョンとミッションががっちりはまって、内側からもう溢れちゃってるから、もう多分誰にも止められない感じなんですね。
自分も止められないし、だから本当にそういう世界とつながってるんだなっていうのが、今の話を聞くだけでもわかりますね。
じゃあもうだから、まあ言い方変だけど、飽きもせず懲りもせず、ずっと続いてるわけですよね。
だから次から次に、要は閃いてくるから、いろんなプロジェクトをやり続けていくんですよね。
本当にいろんなことやってるってイメージなんですけど、何ていうのかな、年間何個やってんのみたいな、あと同時に何個やってんのぐらいの感じじゃないですか、いつも。
そうなんですよ。この間数えたら数百、結構小さいことから大きなことまでやったら、すごい数百件のプロジェクトを回してたっていう、みんなで会社でね。
すごいね。
例えば、そういうのに今、当時始めた頃から比べたら、今ってそういう人たちも身近になって、簡単に情報もアクセスできるようになったし、
当時は本当人がイベントで来てくれないと、なかなか接することができなかったこともオンラインの世界になり、
一般の人もスピリチュアルっていう言葉を聞いても誰もオカルトとは言わなくなった。
今って、この世界っていうのは、そういう意味ではけいこさんが見てた世界なのか、また社会の流れとともにこれから変わっていく感じなのか、
例えば今、
初めてスピリチュアルな世界のことをお伝えし始めて28年になるんですけど、すごく今は以前に見てた世界が、
36:09
ある種、一つのライフスタイル、スピリチュアルがライフスタイルになってきたっていうのはすごいなと思うし、これから先を見た時に、私が見ている世界っていうのは、
このスピリチュアルな能力っていうのは誰にもあるから、自分が100歳になるまでにどんな生き方をしたいかって思った時に、おそらく体痛い痛いとかね、なんかもうつまんない、
あとは死ぬまますだけだっていうような世界ではなくて、このスピリアルライフというのは、実際にいかにやっぱりハッピーな状態で、
それは心も体も、そして楽しい喜びに満ちた100歳を選べる方々のために貢献できるかなって思ってて。
いつも聞いてくださりありがとうございます。この番組は、日本時間の毎週木曜日の夜、配信されています。
同じく木曜日、日本時間22時から30分、Facebookグループのパリ式願望実現ラボというコミュニティで、中間ワークのライブを行っています。
こちらは、ノート術の実践ライブ、パリ式願望実現するためのマインドという願望実現が加速するコミュニティです。
アーカイブでももちろんいいのですが、ライブで参加されるとより効果が高いとの声をいただいています。
時間が合う場合は、アーカイブよりライブでぜひご参加ください。
参加されると、ノート術の教科書というプレゼントや他の特典もついてきます。
パリ式願望実現ラボは概要欄のリンクからぜひご参加ください。よろしくお願いいたします。
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