1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.248「一通の手紙からつな..
2021-01-07 45:40

Vol.248「一通の手紙からつながった、紛争調停官という仕事」

紛争調停官・国際交渉人の島田久仁彦さんのインタビュー第1回目です。 
紛争や戦争の調停や、ビジネスの交渉などでグローバルにご活躍の島田さんが、どういうことを考えて子供時代を過ごしてきたのか?国連に入るきっかけとなった、熱く大胆な行動や、紛争や国際テロ組織に関わる調停人として、大切にしている考え方など、普段は聞けない驚きの舞台裏を伺っています。 

オープニングでは、「2021年は言い訳することがダサくなる」と考えるアキの思いをお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:14
こんにちは、あきです。
今日も、パリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
新年、あけましておめでとうございます。
昨年ども、本当にお世話になりました。
ぜひぜひ、2021年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さんは、どんな気持ちで、この2021年という年を迎えていらっしゃるでしょうか?
私自身は、2020年っていうのは、この2021年の本当に序章であって、
もしかしたら、もっと変化を求められるような出来事が、起こりうるのではないかなと思っています。
人は、何か変わる時に、やっぱり大きな出来事があることで、初めて動こうとするんだと思います。
なので、もしかしたら、何か新しいことに取り組んだり、
自分が本当に大切なものに気づくための時間だったのかもしれないなぁと、2020年思っています。
私自身は、年末のソワメムサのFacebookやインスタのライブでもお話ししたんですけれども、
2021年は、言い訳することがダサいという時代が来るのではないか、というお話をさせていただきました。
今までって、結構無意識に言い訳をしていても、大丈夫だったというか、
そうだね、みたいな感じで住んでいたんじゃないかなと思います。
この言い訳っていうのは、例えばすごいちっちゃなことだったとしても、何かをやりたいなぁと思った時に、
あ、いやいや、私はまだ子供が小さいから、とか、
あ、いやいや、今の私には時間がないから、とか、
今、私には稼ぎがないから、とか、
副業ができないから、とか、家族が反対するから、みたいな形で、
何かやりたいなぁと思っても、できない理由をつけて、自分を納得させるというんですかね、
諦めさせてしまうっていうことが、結構多いのではないかなと思います。
やっぱり、例えばね、自信がありません、今の私にはそうです、みたいなね、
そういう言い方をされる方もいらっしゃるんですけど、
03:01
まあ、裸から見たら、あ、そうなんだ、みたいな、
自信がないからって言って、自信持ちなよって言う方もいるのかもしれないけど、
そういうふうに思うんだったら仕方ないよね、みたいなところはあるんじゃないかなと思います。
でも、これからって、この2020年を振り返ってみた時に、
テクノロジーの発展も含めて、一気にシステムっていうんですかね、
そういうのが、とても変わってきたタイミングだと思うんですよ。
例えば、リアルで何かをやっていた方が、オンラインに切り替えるとか、
正直、場所を移動しなくてもできるようになっているケースって非常に多いと思うんですね。
子供が小さいから時間がありません。
それは、リアルで移動の距離とか時間も含めたりするから、
っていうところはあるかもしれないんですが、
家にいてオンラインだったら、
ましてや、大抵の場合は録画が見れたりとかするケースも多いので、
学べる環境は多いと思うんですよね。
あるいは今の学ぶって話でしたけど、
その場所で何かできることってすごく増えていると思います。
だから、地方でいたから今まではできませんという方も、
今はオンラインでできる時代になり、
私自身は海外なので、逆に言うと本当にありがたい状態になりました。
つまり今までリアルでしかお会いできなかった方とか、
お話を聞かせてもらう機会がなかった方たちに、
簡単にアクセスできるようになったんですよね。
もちろん時差は大きな問題で、
例えば日本時間の午前中っていうのは、
ヨーロッパは真夜中ですので、完璧無理なんですよ。
そういう時差の問題は、やっぱり払拭はできないんですけれども、
それでも録画で見れるのであれば、
もう100万倍私なんかありがたいと思ってしまうんですね。
つまり、今って時間がないからできません。
お金がないからできません。
自信がないからできません。
この3つは三大できませんの言い訳ベスト3なんですけども、
私自身はこの言い訳もできなくなってきてると思ってるんですね。
もちろん経済的に大変な方がいるっていうのは、
重々わかっていますし、
でも今ってその場所に行かなくても、
働けるスタイルっていっぱいあるんですね。
多分探してないだけとか、
勝手に私には向いてないとかできないとか思ってるだけなんですよ。
06:00
つまり、こんなにも可能性が広がっているのに、
私たちのこの心の部分は全く変わってないっていう。
これからはここにきちんと気づいて、
変わっていける人と変わっていけない人が、
本当に差が開いてくるんじゃないかなと思っています。
もちろん本人のチョイスなので、
どちらに行くのも自由だとは思うんですけれども、
例えばさっきの言い訳に関していえば、
私自身はこうやって何でもできる環境にあるのに、
それでも自信がないとか、
時間がないとか、
子供がちっちゃいからとか、
家族が反対するからって言ってる人は、
ミスミスチャンスを逃してるだけの人に見えてくるわけですよ。
つまり、これらのことって全部自分の思い込みで、
単にやらない理由を正当化してるだけっていうのが明らかになってくるんですよ。
とすると、やらない理由をどんなにかっこよく、
それらしく言ったとしても、
分かる人には分かってしまうんですよ。
それが単なる言い訳だとか、
自分の思い込みだとか。
そうなると、どんなにかっこつけても、
やっぱりダサく見えてしまうんですね。
だから、こういう軽いタッチの言い訳だったとしても、
私自身がないんですとか、恥ずかしいんですとかっていうのも、
私自身は、自分を勝手に可能性を閉ざしてしまう、
もったいない状態だと思うんですよ。
だから、2021年は言い訳を一切しない年にしたいと思ってます。
私自身はね。
実際にそういう人とそうじゃない人が、
私もそういう人をサポートしてる人間として、
明らかになってくるんではないかなと思っています。
この軽いタッチの言い訳ですら、
私たちはサクッと言ってしまうところもあって、
これってかなり無意識なんですよね。
なので、自分が言い訳を言ってることすら、
気づいてないっていうケースも実は多いんだと思います。
特に自信がないっていう言葉は、
本当にみんな、
なんでこんなに自信がないことに確信を持って言えるのかっていう、
一種の矛盾をはらんでるんですけども、
自信のないことには自信があるみたいなね。
そういうことって結構簡単に言うじゃないですか。
私がフランスに住んでいて、
自信がないっていう言葉を言う人がいないんですね。
自信をなくすとか減るとか増えるって言い方はするけど、
自信を完全にゼロにしてしまうというか、
09:01
ゼロの状態ですっていう表現がないんですね。
それは人間の尊厳としてそういう言い方をしないのだと思うんですけども、
そういうふうに考えると、
日本って気軽に自信がないっていうのは、
すごく私は個人的にもったいないなと思っています。
どちらにしても自分の責任でね、
やるかやらないかっていうのも全部自分で決められるようになって、
やっぱり周りの環境や人のせいにするっていうのは、
自分の可能性をどんどん閉じていくっていうことを、
私は自分自身を通して伝えていきたいし、
自分自身がそうでありたいなと思う2021年の始まりです。
ということで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
それでは本編スタートです。
はい本編です。
今回1回目のインタビューは紛争調停官で、
国際交渉人の島田邦彦さんにさせていただきました。
紛争調停官というのは、
国際間の紛争を調停したりするお仕事なんですよね。
で、ある意味結構危険な状態とかも多いと思うんですけども、
このお仕事の中身であるとか、
お仕事をするきっかけなど、
その辺について1回目は伺っています。
結構ね衝撃的な話が今回の終わりから第2回目に続きますので、
ぜひ最後まで聞いてください。
本当になかなか知る機会がないお話がたくさん聞けると思います。
こんにちはあきです。
今日も素敵なゲストの方に来ていただいています。
国際交渉人で紛争調停官の島田邦彦さんです。
島田さんどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
はいまずこの国際交渉人とか紛争調停官っていう名前が、
私たちには聞き慣れない言葉だと思うんですけど、
簡単にどういうお仕事をされているかまずお伺いしてもよろしいですか。
紛争調停官というお仕事というのは、
もともと私は国連にいてですね、
国と国の間の紛争、特に戦争の間に入って収めるという
お仕事をしてきたというところから、
今も続けているんですけれども、
紛争調停官というちょっとした出来上がったタイトルがあると。
国際交渉人というのはですね、
実際国際というのは取ってもいいんですけれども、
いろんなところで交渉事があるときに、
やはりそれに長けた人、特にそのコミュニケーション能力を持っていて、
12:01
どのように同じことを言うにしても、
どのように例えば言えばですね、
人の心は動くのか、
より相手の心に刺さるのかということを、
より国際的にもやっていますよというところで、
国際交渉人というネーミングと言いますか、
タイトルをつけていますね。
やはりこの岩崎さんが聞いていただいたように、
国際交渉人って何ですかと、
交渉人とどう違うんですかというのが、
また一つの実は狙いでもございまして、
そうすることによって、
二つ目の会話が生まれてくるという、
これも一つのですね、交渉術、コミュニケーションというのかなと、
思っております。
なるほど。
今は民間系とか国関係のお仕事を、
どれぐらいの比率でやっていらっしゃるんですか。
ちょうど今がですね、やはりコビットのこのコロナの時期もあるので、
なかなか人とお会いできないという、
この違った点、特殊な事情がございますけれども、
やはり国系、特にちょうどこのコロナ禍でですね、
いろんなところで、
戦争なくなるだろうと思われていたのが起きているという点では、
普段に比べると割合が上がっておりまして、
だいたい4割ぐらいが戦争奮闘関係。
残りだいたい5割ぐらい、50%ぐらいがビジネス関係、
特にM&Aだとか、新しい部門、
普通だとなかなかくっつきそうがない、
関係がなさそうな部門の人たち、
もしくはビジネスをくっつけて、
新しいビジネスを作っていくというのがだいたい5割ぐらい。
だいたいビジネス関係の交渉。
残り1割はですね、講演をしたり研修をしたり、
いろんな形でやはりもう少し伝え方を変えることで、
相手への刺さり方、自分が本当にしたい、伝えたいと思っていることが
より伝わりますよというところを伝授すると。
というところがだいたい1割ぐらいあるのかなというふうに思っております。
なるほど。やっぱりそういうになると、
まさにコミュニケーションのスペシャリストじゃないですか。
島田さん。
はい。
お仕事としてね。
もともとそういうタイプだったんですか。
小さい時からそういうコミュニケーションに長けてたとか、
小さい時から交渉はやってないと思うんですけど、
でもそういう交渉事とか、そういうものに対しては
結構得意分野だったとか、そういう感じなんですか。
得意分野だったかどうかと言われましたら、
おそらくこれを30年ぐらい前に聞かれたらですね、
もちろんですとおっしゃられたんですけども、
だいたい自分の本当に交渉の現場に出るまでは
そういうふうに思い込んで誤解をしていました。
やはり私自身はよく喋るということもあって、
おそらく手前に出て喋る、よくビジネスと言われて
プレゼンテーション上手だというふうに
自分で思い込んでいたんですが、
実際に仕事をしてみますと、
本当にプレゼンテーションが上手な方っていうのは、
自分が話したいことを話すんではなくて、
相手が聞きたいことを話すんですよね。
それができてなかったと思います。
私はやっぱり自分のことが大好きすぎて、
15:01
自分が喋りたいことをどんどんどんどん喋っていた。
これがあなたに面白いなあという形で喋っていたんですが、
中には本当に面白い発調がある方も
いらっしゃったかもしれませんが、
おそらくほとんどの方は、
なんか面白そうな話だけど、
なんかなあという形で終わってしまうというのがあったので、
交渉上手だったかと言われましたら、
そう思い込んだだけで、
実際は逆の方向に向いていたんじゃないかなと思います。
おしゃべり好きではあったんですか?
ずっと口から生まれたんじゃないかと喋っていましたので。
本当。
やっぱり言葉はバンバン喋っていたタイプだったんですね。
そういう意味では。
もともと国連の方にもいらっしゃったということだったんですけども、
もともとそういう国際的なとか国際関係に興味があって、
そっちの方に入られたのか、
それともちょっとしたきっかけで偶然入られたのか、
その辺の島田さんの学生時代を戻ってお話し聞きたいなと思うんですけど、
学生時代の島田さんってどういうお子さんだったんですか?
非常にその周りの目を気にしていて、
とにかく真面目であることをモットーとしていたような感じはあるんですが、
表向きは。
実際いろんなことがあったんです。
なんですがやっぱり自分は真面目であるということを見せたかったという性格はあった。
いいカッコしいですね。
やはりこの仕事の方に結びついてくるところだと、
国際的なところにはずっと関心はありました。
父がフランスの航空会社にずっと勤めていたことで、
フランス人とよく会っていた。
ちょうど近くに私自身が英語を勉強するきっかけだったのは、
父がずっと同時通訳をやっていたことと、
もう一つは近所にキリスト教の牧師さんという神父さんがたくさんいらっしゃって、
なぜかと言うと、
その方たちが一人で寂しいだろうということで、
うちの父親が家に連れてきて、
ご飯を一緒に食べていいから、
息子と娘に英語を教えてやってくれということで、
そこも交渉ですよね。
なるほど。
外国人、外国語ということには、
割合に物心をついたことから溢れていたというのは、
まず一つ国際的なことはそこでできたんだと思います。
ただ、17歳のとき、高校2年生ぐらいのときには、
大きくジャンプと言いますか、キャリアチェンジと言いますか、
方向転換をしているんですが、
先ほどお話しした英語のセンサーという牧師さんの影響もあり、
ずっと小さいときから宇宙とかがとにかく好きで、
それでいずれNASAに行って、
宇宙ステーションを僕が作るんだということで、
数学や物理が得意だったか否かは別として、
18:00
仕方なくやっていたということで、
とにかく調べ尽くすことはよくやっていましたので、
数学も頑張った、物理も頑張った、
今でもあるかどうか分かりませんが、
割合に小さなときからニュートンという科学雑誌を読んでいて、
それで宇宙に夢を馳せていたわけでして、
いくつだけ変わっているかなと思うのが、
割合に思い立つと頑張ってお手紙を書いてしまうんですね。
14歳のときに英語もまだ伝わらない頃に、
必死で辞書を引いてお手紙をMITの先生に書きまして、
マサチューセッツ工科大学です。
そのときに読んだのが、宇宙工学をやりたい、
日本ではあまり所がないらしい、
世界レベルでやる、世界トップはどこだ、MITだということで、
MITに書いたんです。
特に今みたいなコンテンツがない時代でしたので、
自ら調べ尽くして何とかとかいうプロフェッサーがいるらしい。
頑張って英語で書きました。
もちろん返事が返ってこないんだろうなと思っていたんですが、
返事返してくれまして、その熱意に非常にびっくりした。
ついては、日本の学校なんてやめて、今すぐ来いと。
MIT席を用意してやると。
14歳だと思って、本人は行く気満々だったんですが、
やはり親に止められました。
ただそのときの熱意はずっと続いてまして、
やるんだということにして勉強もしてました。
14歳のときにたまたま聞いた牧師さんに話をしてたら、
ちょっと弟がナッサにいるんだよと。
一回英語の練習も兼ねて国際電話で話してみるか、
ということで話しました。
そのときに開講一番向こうから聞かれたのが、
お前は人間とコンピューターどっちが好きなんだと。
言われたので、もちろん人間ですと。
だからじゃあやめとけ。
なぜかというとスペースシャトルを作ったり、
スペースステーションを作るような場所っていうのは、
Sなんとかと言われてるところで、
比較的シークレットなところが多いものですから、
なかなか入ると人に会えなくなる。
家族でさえ会えませんよと。
話し相手が本当にコンピューターになってしまって、
寂しくなるけどお前大丈夫かと言われたら絶対嫌だと。
じゃあやめておけと。
ということでたまたまどうしようと、
これまで17歳までこっちだこっちだ、
どっか物理も好きかどうかわからないけど頑張ってきたけど、
と思っているときに、
たまたま私は同社大学だったんですけども、
京都の大学ですね。
同社の先輩の方が国連に帰ってきて、
ちょうどアメリカ留学の勧めという本を出された頃で、
それが17歳の時だったんだが、
たまたま父からそれを買ってもらい、
読んでると、
あ、国連いいんじゃない?と思ったんですよね。
21:00
それからしばらくは、
実際学生さんだとかからアドバイスを求められるときには、
絶対進めませんが、
しばらく何かをやってから、
働く場所が結果として国連だった、
っていうことはいいと思うんですけど、
私の場合は国連にとにかく行くと。
採用は後でいいってことでやっていたっていうのがあったので、
小さい頃は国連のことは本当にオタクになるぐらいよく知ってました。
例えば国連の中でもこういうとこ行きたいみたいなのはあったんですか?
その後ですね、結局始めにやったのがちょうど同じ時期、
高校2年生の時に理科の授業で、
産生物の問題のプレゼンテーションをさせられたんですね。
それがドイツで、レモンと同じペーハーの産生の雨が降っている。
これは大変だ、これから地球は大変だ、環境問題だ、
といまだに繋がっていますが、
最初は環境を目指したんですが、
その後ぐらいからいろいろと触れてきまして、
やっぱり教育は大事なんじゃないかといろんなことを考え出して、
一時期は開発と教育とやろうと思ってました。
教育、環境、開発というのを結びつけて、
一応キャリアパスを作ってみたんですが、大学の時も。
なかなかこのエリアは、レスポンスが遅いんですね。
それでいろんなことを考えて、こんなことをやりたいんだ、
いまだにちょうどパリ協定もありましたが、
昨日募集になってますけども、
気候変動のこの会議に、大学4年生の時に、
卒業前に関わることができたということもあって、
今後はこの気候変動のことをやりましょうと思っていたんですが、
環境というのは、なかなか応募しても反事が来ない。
同じく、ちょうど大学2年生ぐらいの時ですかね、
さっきの14歳と同じような形で、
ユーゴスラビアでちょうど、ボスネヘルツゴビアとかの
この問題が起きていたもんですが、
何をやってるんだ国連と、僕ならこうするのにと、
いまだにお手紙をしたためていたらしく、
そのお手紙が1ページぐらい、国連の中を回っていたそうなんですよね。
ちょうど私が大学卒業する頃、ミハからというかどうかわかりませんが、
九州の中に来て、ちょうどその時アメリカのボストンの郊外にある、
ボストンというのはほとんどニューヨーク州ですが、
大学にさらにもう一回3、4年生をやり直そうということで、
留学することが決まっていたもんですが、
そのものを調べ上げたんでしょうね。
今度東海岸に来るみたいだけども、
ちょっと時期早めてさ、ニューヨーク来ないって言われて、
行ったのが国連に実際入るわけですね。
実際に卒業の時に行っちゃったんですか。
行っちゃいました。
それで行って、その時に普通にたまたま職員の方たちとご飯を食べようと、
お前もしろと。
24:00
それでレターを読んだよと、初めてというか2年ぐらい経って、
コピーされた自分のレターを見てるわけですけど、
なんと青いこと言ってるんだと思いながら、
ただこういったことを中に入ると、
なかなか思い出せなくなっていると、
頭が固くなっていて、
無茶かもしれないし腹削りかもしれないんだけど、
こういうアイディアは非常に面白いので、
ぜひ貢献してくれと。
ついては、もし今お前がうんと言ってくれれば、
道を渡ってIDを作りに行こうと。
そのままIDを作りに行って、
それが安全保証券って早いんですよね。
本当にこいつと思ったらすぐやってしまって、
手続き全部すっ飛ばしてしまって、
事務の方が後で困るんですが、
それで結局出会って、
もう数時間後には国連職員のパスを一応もらって、
入れるようにした。
その後はボストンの郊外で住んで、
実は車で片道5時間かかるんですが、
2年間通うようにして、
週末を使って仕事するということをやったり、
ITの専門の方たちが、
私の大学の寮まで来て、
安全性の高いラインに変えるから、
大学と一緒に頑張ってくれて、
そういったこともやりながら仕事もしてた。
というのがスタートで、
結局関心はずっとありました。
政治学とかをやっていたので、
大学で安全保証券を作りたいと思っていましたけども、
これは何の仕事になるんだろうかと、
僕は外交官じゃないと思っていたんですけれども、
気がつけばそこにどっぷりと使ってましたね。
その手紙がやっぱりきっかけとなってたということですよね。
思いますね。
そこから学生と2足のわらじみたいな感じで、
両立させながらお仕事もスタートさせて、
学生は2年間だったんですか?
2年間、もう一回アメリカで今度はバチュラーを取って、
学士号を取って、
有名なファイブカレッジズという、
パイオニアバレーというところがあるんですが、
そこに5つの大学館でいろんな授業が取れると。
それでついでに国際関係論と、
もう一つはラテンアメリカンスタディーズ。
また私のアドバイザー、政治学のアドバイザーがキューバ人でして、
どうだ、一緒にやらないかということで、
キューバのこと、キューバ危機の話とかしている間に、
ファイブカレッジズのマサチューセッツ州の知事から、
特別もらえる修士号を同時にもらいまして、
一回そこでちょっと特別なんですが、
例外的な修士号をもらったということもあったので、
次今度ワシントンの、今コロナ関係で有名になってしまいましたが、
ジョンズ・ホッキンス大学ということになりまして、
そちらは今度、安全保障だとか、
安全保障解決の専攻があるものですから、
27:02
それを専門でやると。
いろいろとそこで交渉が来ているわけですね。
もうちょっとお金くれと。
その時はもう私は国連にいたので、
何だかと言うと、卒業生は国連に来させたいでしょうと。
やりますよと。
それでキャリアツアーを作ったりとかしながら、
今ではもう20何年前の話だと思いますが、
実際はその時に、せっかくこの交渉だとか言うのも、
本を読んでてもわからないと。
せっかくプロフェッショナルスクールという名前なんだったら、
実務をやろうじゃないかと。
ことごとく本当のケースを使いながら、
国名だけ変えようと。
国名だけ変えて本当のデータを使って交渉するというシミュレーションを、
ずっと2年間やるようなことを前後にやって、
やったおかげでジョン・ソフキンスもできた。
国連との結びつきもつけた。
ワシントンとニューヨークを。
通うのは慣れていたもんですから、
はじめコストン郊外からニューヨーク、
次の2年間の大学院はワシントンとニューヨークを通勤する。
同時進行で仕事をしたけど、
最終的にはその後はどちらで働いた?
ニューヨーク?
ニューヨークがベースで。
紛争とか朝廷安全保障系をずっとやってましたね。
やっぱり1997年にやっと気候変動を忘れられなくて、
ある程度自分で采配を触れるようになってきますと、
気候変動問題というのも安全保障の問題じゃないだろうかと。
それでその時に英国の外務大臣が女性の方で、
会場でお話ししに行って、
あなたは来月議長国じゃないかと。
気候変動やらない、安全保障理事会で。
みたいな話をして、うんいいねみたいな話をしていたら、
911が起きたので無理だったんですが、
そういうことでイギリスとも話をつけて、
気候変動のこともやりながら、
だからずっと97年から一昨年までですね。
立場こそ違えど解禁症だったという、
気候変動の交渉もやりながら、
戦争は絶対どこかで起きますので、
大使を関わらず戦争に行ったりとか、
はじめにメルさんおっしゃっていた通りですけども、
言えないような、例えば起きていない戦争ってのもあるんですよね。
まだ表には立ってないってことですか。
もともとはそこは怪しいと。
何か言いながら、フラッとようもないのに来たぞ、
あいつ何しに来たんだという時に、
何かしようと思っているでしょうみたいな話で、
先にあんまりそういったことはしない方がいいですよ、
30:00
という調整をしたりとかもしました。
安全保障の変動のダブルトラックですね。
全く違う分野じゃないですか。
重なっている部分はもちろんあるんですけど、
そっちはそっちでスペシャライズの道もあり、
気候は気候でスペシャライズの道がある中で、
その専門知識ももちろんある程度はあると思うんですが、
やっぱり朝廷に必要なものって何なんですか。
やはりまず、とことん相手のことを聞くことですね。
一つは朝廷だと、
相反する利害を持っている2社3省が
たくさんの人たちが絡んできて、
みんな好き放題言うんですが、
一番の目的は彼らの隔たり、
彼女たちの隔たりを最小限にすることでしょうかね。
それぞれの言い分を聞き、
どこを本当に欲しているのか聞いた上で、
落とし所を見つけていく。
そういう朝廷でしょうかね。
国の問題とか民族とか宗教とか、
結構いろいろ絡んでいるじゃないですか。
相反するというか、相入れないところからスタートしているじゃないですか。
そうですね。
封鎖とか戦争って基本そういう前提ですよね。
でもやっぱりそこには、
もっと欲しい。
宗教とか言語とか、民族は実は後付けで、
ほとんどの場合は、
あそこの山なんか綺麗だから欲しいなとか、
川には美味しい魚が流れているらしいとか、
泳いでいるらしいとか、いろんなことが情報が入ってきたら、
できたら私のものにしたいんですよね。
そこを広くしたいという感情というのが、
もともとにある、封鎖が始まる理由。
やはりそういうと、何と我滅院だと。
開発名と言われてしまうので、
イスラムとはどうしても相入れませんとか、
いろんなことを言いながら、理由を頭につけていくわけですよ。
そこはいいんだけどさ。
それはゆっくり勉強させて、
でもね、実際に何が欲しいのって話は、
腹を割ってしていくってことでしょうかね。
本音を、山欲しいんだとか、川が欲しいんだっていうのを、
本音を引き出すところがまず大事。
大事ですね。
基本的には、私自身がどう考えているかは、
ちょっと横に置いておいて、
33:01
帰りの飛行機でワインでも飲みながら、
ゆっくり考えようと思うぐらいにしておくんです。
まず今は、あなたになりきります。
目の前にいる頂点相手、封鎖の当事者、彼、彼女になりきるんです。
ですので、まずあなたが言っていることは、
こういうことなのね。こういうことが辛いのね。
あ、これが欲しいんだ。そういうふうに言ってもらいたいんだ。
なるほどねっていうのをずっとまとめる。
なので、非常にいろんな議論があるところですが、
よく言われるイスラム国ISですね。
彼らとも800人以上インタビューしているんですけど、
ただ、やっている中でも、
普通に聞いていると途中ぐらいから私の回路がおかしくなってくるんですよね。
何を言ってるんだ、実は。
ああ、なるほどね。
私自身の信念で。
それを一旦外すんです。私の考えだとか、心情だとか全く外した上で、
なるほど、こういったことがあった若い頃から、
よくできたんだけど、あなたはと。
でもコミュニケーションがうまくいかなくて、
どうもコミュニティ学校だとかから、ちょっとのけ者にされてしまった。
ほとんどの方、特にIS行っている方で優秀な方は、
ほとんどは、もう我が村のスターだったわけですよ。
それで、例えばフランスだとか、イギリス、アメリカとか、
いわゆる先進国に留学行って、
そして頑張って、すごく成績が良くあって、
博士まで取って、PhDやって帰ってきたら、
この欧米かぶれめっていじめられるわけですね。
だけども、もう、欧米の大学だとか、
研究機関、政府とのつながりもできている。
おまけに博士まで取った。非常に優秀だ。
でもここで私はやっていけないという時に、
後ろからトントンと来るわけですよ。
やりたいことをぜひやらしてあげましょうと。
お金も全部出します。何がいるんですか?
いろんな種類がいるんですけど、
ものすごく優秀なんです。
自分がやっていることが何に使われているかは、
一切知らされていません。
自分たちは専門知識を得てきたことを、
最大限、思う存分やらせてもらえる満足感です。
あとの2つは、元軍隊の人と、
一緒に戦いに行ってしまったら閉じ込められた。
ほとんどこの3つ目ばっかり言われますが、
主要な人たちの男女関係なく、性別も信条も、
民族も関係なく、優秀な人は中枢になっています。
そういったことを聞いている。
でも彼らも考えている話を聞くと、
36:03
普通に考えると歪んでると思うんですよ。
そこを無害性に返していきます。
時折、シンパシーとエンパシーってあるんですけど、
同情するのと同情するのと、両方使います。
同情もしながらでも同情していく。
どんどん私はあなたになっていくんですよね。
そういううちに、初めてあなたは私の話を、
ちゃんと最後まで聞いてくれた。一度も馬鹿にしなかった。
壁が崩れるんです。
でも、こういうふうに考えられるんじゃないの?
こういうふうにあなたの才能を使えるんじゃないの?
というアイディアを少しずつそこに混ぜていくんです。
初めて、私自身はあなたの言っていること、
考えていることは理解できたと思います。
どうですか?そうだと思う。
普通だったら、メディアで言われていることだと、
そのまま打ち殺されそうな感じなんですが、
あなたは私を初めて理解してくれたから、
同意しない権利を持っていると、初めて言われるわけですね。
やっぱりその仕事の上でやっていくというのが、
一つの朝廷観としての醍醐味じゃないでしょうかね。
なので、いまだに、交渉だとか、軍曹朝廷でも、
みなさんそれぞれ言いたいことを言いますので、
まとまらないんですが、彼ら自身が唯一、
会社でも国でもそうなんですけど、
唯一同意できることが、私を朝廷観に据えることなんですね。
なので、彼を朝廷観として真ん中に入れることには合意する。
あとはちょっとごめんなさい。
でもとりあえず話を始めることが重要だと思うので、
ちょっと使おうというので、私が呼ばれていくわけです。
始めは何のことか分かりません。
前情報もよく分からないままいくケースが多いってことですよね。
可能な限り勉強はしていきますが、朝廷の場所に入るときに、
これもちょっとたとえになりますけど、
ドアの外に全部置いていきます。
知識をつけている段階で、絶対バイアスかかっているので、
全体像としては、こういうことなのねっていう程度の
考えだけうっすらと残しておいて、
部屋に入ってみんなの話を聞くと、全然違うことがほとんどなんですよね。
勉強してたものとは違うんですね。
やはり、これってこうなんでしょって言われるよりは、
ああって言って、教えて教えてって言われる方がやはり気持ちがいいわけです。
そうですよね。
あなたが言いたいことはこういうことなんでしょって言われたら、
ちょっとカチンときます。どちらでも。
でもやっぱりこういうことなんですよね。間違ってて教えてくださいねとか、
39:03
本当にちょっと私ごめんなさい、理解が足りなくて分からないんですけど、
こういうことでよろしいでしょうか的な話をしていくと、
相手はどんどん乗ってきますし、
言いたいことをちょっと半分ぐらいしか言っていないとしたら、
なんとかもっと分かってもらおうとして言ってくれる。
ここで何が起きるか分かってもらいたい心境だと、
あえて言わないでおこうとしていたことでも、
分かってこないから言っちゃうんですよね。
つい。
おお、なるほど、なんか分かってきた気がする。
そういうことを繰り返していく形でしょうかね。
例えばさっきの共感とか同調の話もそうなんですけど、
全部一旦知識とかを外に置いて、
目の前の相手に100%向き合うときに、
どこかでやっぱり冷静な自分も残ってないと難しくないですか。
そこをやっぱり残しつつ。
はい、だからまず相手になりきります。
例えば一緒に泣いたりもしますが、
どこか悪い意味ではなくいい意味で、
これは私には関係ないと思うようにしているんです。
なるほど。
生きていこうが失敗しようが、私は死ぬことはないだろう。
はじめはやりたいところでも、すごく自分を入れちゃうんですよね。
どんどん入れちゃって、一緒に感じて、
夜も寝れないぐらい悲しくなって嬉しくなってしまったわけですが、
ちょっと待てと、それはワーキングアワーだけでいいだろうと思いまして、
国令のところだと、ピンと自分のIDで入るとき、
一回出るときに抜いてしまうという、
そういう例えは完全にオンとオフを入れ替えるようにして、
なので例えば交渉が頂点に行ってもですね、
そのときバーッと熱くなってて、ものすごくいろんなことを分かっているのに、
次の認知に行くか帰国するときの飛行機に乗った瞬間に、
大げさではなく忘れるんですよ。
へー。
あれは、
一旦それもドーンと箱じゃないですが、
貯めてきた知識情報というのを一回頭の中から取り外して、
心の中から取り外して横に送っていく。
これは慣れですか?
訓練してやりました。
訓練してやらないと難しいですよね、逆に。
冷静にというところでやるとですね、
私今、F2.0で、
クライシスネゴステーションユニットというのがあるんですが、
そちらのですね、
要するにテロリストとアメリカ人が呼ぶような人とか、
ハイテク犯とかですね、
そういった方たちを相手に交渉する、
交渉人を育てるんですが、FBIの中で、
その共感をずっとやってるんですけども、
そこで一つ、私自身が取り入れているのは、
よく映画とかでも出てくる嘘を、
反応しないようにするんです。
できるんですか?
完全に頭の心を切り離します。
それも一つの訓練でするんです。
42:02
例えば、どっかで捕まった。
電気ショックとか与えられて、
なんか吐かせようとした時でも、
完全に偽りじゃないですが、
違うバージョンで言うんだとか、
情報を、
そういうものを、
そういうものを、
偽りじゃないですが、
違うバージョンで言うんだとか、
情報を、
それとなく語れるようにしていくんです。
へー。
本当に、
ノウハウとかも含めて、
反応しなくなるんです。
そこまで、
聞き取り離れるというのは、
まだ別なんですけど、
自分自身では、
ちょっと違う自分になりきっているようなところは、
あると思います。
やっぱり、
自分層だと、
やっぱり、
島田さんの命すら、
危ない場面って、
結構なかったのかなーって、
結構気になるんですけど、
そういう結構危険な目っていうのは、
あったんですか?
よくしょっちゅうですよね。
ISのインタビューとかもそうですよね。
一歩間違えると。
ISの時は特に、
その仲間か敵が分かりませんが、
あの系の人の時に、
私はいつも仲間に言うのも、
来ないんですよ。
今まで、
もう数年付き合いがある人は、
今日来ない場合っていうのは、
危険なんですよ。
誰々の友達は、
絶対に来ないんです。
今日は例えば、
島田から頼まれて、
秋さん、あなたを迎えに来ましたっていうのは、
ほとんど行っちゃうんですけど、
もう15分後ぐらいには、
誘拐されますので、
売られますから。
はい。
私の例えば、
ガイドさんは何々さんで、
通訳の人はぺけぺけさんで、
運転手はいつもあの人なんだと。
今日は都合があって来れない。
聞いていない。
なのであなたが代わりに来た。
それは信じない。
でも行きたいんだろう。
うん、行きたいけど、
別に私がなかって困るのは、
僕じゃないからね。
という風に、
心の中でハラハラしますよ。
そういうのがたくさんありますし、
実際、新聞史上で4回死んでますし。
新聞史上で4回死んでる?
うん。
もう島田さんは、
亡くなったんじゃないかっていう報道が
されたってことですか?
ありました。はい。
なんか巻き込まれちゃったりとか、
そういう。
被害者になったとか、
一番あれで、
今、秋さんがいらっしゃるフランスだと、
あの、
2003年の8月の19日か20日の記事のところに、
私の死亡記事が載ってるんですけど、
そうなんですか?
ちょうどその時、
イラクのバクダットで、
爆破があったんですが、
私、本当はそこに行かずだったのが、
45:00
私のデスティネーションがパリだったんですね。
たまたま、
亡くなった代表の代わりに初めて、
代表の職の代わりにですね、
パリに向かって、
皆さんにお金をくださいと言いに行った会議だったんですけども、
そのおかげで、
ニュースも知らずに、
本当にあの、
砂まみれや朝まみれの状態で、
本当にもう早くシャワー浴びさせてくれ、
みたいな形で会議場に来た。
で、皆さんが目を開いて、
お前死んだんじゃなかったのかと言われてですね、
見て初めて知った時に、
フォトショップがあったかどうかは別としてですね、
私自身、
僕ってこんなにハンサムだったのかっていうような、
写真?
フォトショップに載ってたんですよ。
なんですね。
ちょっと待って、一昨日で僕死んでるぞと。
そういうのがあったっていうのはありましたけどね、何度も。
それが実際本人と間違えられてるのが、
それですね。
別の人が、
実際亡くなってるんですが、
その時、本当は私が記録所に行ってるはずなので、
お前あいつだったらしいと。
そのままだと、
例えばニュースをロンドンのヒースロー空港で見てると。
そうかと。
ちょっと待って、これ僕じゃないかいと。
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに。
アキでした。
45:40

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