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2021-11-26 23:00

#221 五大に皆響きあり!YOU、素粒子達よ!魂澄ませ奏でよ宇宙音楽を。〜ホロス宇宙塾への愛が止まらない〜

愛
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真の愛なる皆様、アルハです。雨の晩空側より愛です。
前回のエピソードで、3日間Wi-Fiのないコテージにステイしてきましたっていうお話をしたんですけれども、
やっぱりね、空白を作る、空っぽを作るっていうことが空っぽを作るっていうか、空っぽになるっていうことの中にすごく大事なことが隠されているなーっていうことを言いたかったんですよね。
つらつら喋ってしまったエピソードだったんですけど。私たちって空白があるとね、なんか埋めたくなりますよね。手帳とかも埋めたくなったり、
空っぽのマスがあるとね、なんかメモしたり絵描いたりしたくなっちゃう。そんなふうにね、本当に特にこの10年20年ってね、このSNSだったりインターネットが発達して、
本当に手元をね、ちょいちょいと指を動かしたら何でも情報が入ってくる。映像、音楽、動画に漫画にね、何でも入ってきちゃう。
だから空っぽをね、ずっと私たちって埋め続けてるんだなーっていうふうに思いました。
なので本当に意識しないと、その空っぽの状態っていうのを作るのって、今の時代って本当に難しいなって思うんですよね。
ついつい埋めちゃう。その理由はやっぱりなんか寂しかったりとか、なんか誰かにね、取り残されちゃうんじゃないかって、それを知ってないと、これ見てないと取り残されちゃうんじゃないかとか、何かやってないと追い抜かれちゃうんじゃないかっていう、
そういうね、なんか焦りがあったりとか、なんか誰かとつながっていたいっていう寂しさがあったりして、ついついね、SNS覗いたり、なんかね、動画見たりとかして埋めてしまう。
空っぽを埋めてしまうのかなーっていうふうに思うんですよね。でもなんかその空っぽの中にこそ、その自分と対話する時間があったりとか、
自然のね、豊かな葉っぱが揺れたりとか、光がね、差したりとか、川の音聞いたりとか、なんかそういうね、自然の豊かな表情の中に何か真実を生み出したりとか、
その本当に空っぽの時間の中にこそ、実はね、私たちを寂しくさせない、なんか誰かと焦ってね、競って比べてね、なんかこう、なんていうのかな、
ダッシュしちゃうっていうか、むやみにダッシュしちゃうっていうか、そういうことにならない。ただここにある幸せっていうものとつながれるのが、その空っぽの時間なんじゃないかなっていうふうに思いました。
でもそうするとまたね、空っぽの時間を作らなきゃっていうことで、私たちはね、またそのようにね、to do list、空っぽになるみたいな感じでやっちゃうんですけどね。
いかんいかんと思いながら、そんな自分もね、愛しいな、アホやな、愛しいなと思いながら、今日も過ごしております。
今日は、そのお話、空っぽ大事だよねっていう話とちょっとつながるかなと思うんですけども、
昨日おとといね、受けてきたホロス宇宙塾、谷崎テトラさんと松並リュウゲンさんのね、これがまた恋恋の宇宙塾なんですけれども、
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このお話についてちょっとしゃべってみたいなと思います。これ私本当に大好きで、
2時かな、朝の2時。朝の2時に起きてオンラインで参加してきたんですけど、朝の2時っていうか、夜ですよね。
寝なくていいんじゃない?そのまま起きてたらいいんじゃない?っていう時間なんですけど、2時に起きて参加してきました。
今回のテーマは、サウンドスケープ、宇宙の調律、平安京の原始っていうテーマだったんですけれども、
このテーマの前にね、ちょうどその日が、テトラさんのお父さんがその7日前に亡くなられて、
その初七日、リュウゲンさんはお坊さんなので、サプライズ初七日が宇宙塾の前に行われたんですよね。
サプライズ初七日ってめっちゃいいなと思って。
みんなでお経を読んだり、祈りを捧げて、テトラさんのお父さんありがとうということで、初七日をみんなでね、やりました。
やりましたっていうのかな、祈りを捧げました。
最初にやっぱりそのテトラさんのお父さんについてのお話があったんですけども、
このお父さんの話がね、本当に素晴らしくてですね、素晴らしいっていうかすごく面白いというか、すごく素敵でですね、
これについてもちょっとシェアしたいと思います。
テトラさんのお父さんは、すごいね、若い頃は感情を全然表さない人だったらしいですね。
ザ・昭和って言いますか、全然喜怒哀楽とか表さない。
子供とのコミュニケーションをそんな取らないような人だったらしいんですよね。
でもこの数年で認知症になられて、それからね、認知症って周りの人はもちろんね、大変だったり悲しいんだり、自分のことを忘れられちゃったりして、
本当にね、悲しいことであると同時にテトラさんの目から見ると、
ブレイクしたって言ってたかな、すごい面白い表現を使ってたんですけど、お父さんブレイクしたんですよね。
すごくね、感情豊かになられたそうなんですよね。子供に戻る、戻った状態っていうか。
だから一方で、悲しいし大変っていうのと同時に、一方で子供に戻られて、感情すごい豊かにね、歌を歌ったり、あははって笑ったりとか、
あと絵もね、ずっと描かれてたらしいんですけど、風景画を描かれてたらしいんですけども、その描く絵っていうのも、すごいなんか心象風景みたいなパステルカラーの色使いになってきたりとか、
すごいね、本人はすごく幸せそうだったっていうお話がすごく印象的でした。
で、やっぱりコロナでね、なかなかお見舞いも行けなくてっていう状態だったそうなんですけども、
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なんか意識でね、夢の中でこう会いに来てくれたりとか、会話できるようになったんですよね、っていうようなお話をしていらっしゃいました。
で、そんな状態がね、続いていて。
で、テトラさんが取材で、久高島におられた時に、海にぱかぱかと浮かんでる時に、もう行っていいかなーっていう声が聞こえたんですって、お父さんの声が。
で、お父さんはもともと海の近くでね、生まれ育った人らしくて、また海の力に生まれ変わろうかなーって言ってたらしいんですよね。
で、もういいよって、お母さんちょっと悲しむから心配だけど、もういいよって言われたらしいんですよね。
そしたらちょうどその後にね、海から岬から上がった後に、お父さんの徒歩を聞かれたそうなんですよね。
なので、本当にその死っていうもの、認知症っていう状態とか死に向かうっていうことは、
一方から肉体のある私たちからしたら、すごく悲しい寂しいことではあるんですけれども、テトラさんはやっぱりそういうふうには一概には捉えてなくて、そういう側面もありつつも、
でも悲しい寂しいっていうよりは、本当にお父さんの命がそのそれよしレベルまで分解されて、
すべての命の中に溶けていく、自分の命の中にも一体化している、そういう状態。
だからそのテトラさんはね、そのお父さんの風景がすごく好きだったらしいんですけど、
その風景がを通して自分のね、好きな世界っていう、愛する世界っていうのを見ていた。
でもそのお父さんが亡くなってからは、お父さんの命が自分の中に一体化して、
テトラさんを通してお父さんが、世界をまた見て、見続けるっていう、そういう命の流れ。
子としての意識っていうのは、肉体と離れるとともに溶けてしまうんですけれども、全体、まさにホロスですよね、全体に溶けてしまうんですけれども、
それっていうのは、子が溶けると同時に全体に変える。だからもうどこの、何を見ても、どこにいても、
自分の中にもすべての命の中に、そのお父さんの命がある、そんな感覚なんですよねって話されてて。
でこれまさに私が母を見とった時とすごく同じ感覚なんですよね。
私はやっぱりまだ母にね、すごい未練があったので、ものすごい悲しかったんですけども、
本当に人生で一番悲しいことだったんですが、それと同時に本当に何かこれ以上最強なことはないっていうか、
だって母の命が私の中にいるっていうね、これ以上近くにいられるっていうことは本当ないなっていう、
そういう悲しみと喜びっていうんですかね、なんか不思議な一体感みたいなもの。
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母の命をね、一番近くに感じていた、生きている時以上に感じたっていう、そういう体験が、
自分の体験ともすごく重なりましたですね。
そういうお父さんのお話がされてから、サウンドスケープ、宇宙の調律っていうお話、テーマに入っていくんですけども、
やっぱりなんかその亡くなってから、死んでからも、しばらく耳だけは聞こえているらしいんですよね。
だから話しかけると間に合わなくてもね、
みとり間に合わなくても、話しかけてると聞こえてますよってよくみとり氏の方とかおっしゃられてるんですけど、
みとり、耳だけは聞こえている。そこからどんどんどんどんね、子の意識っていうのがなくなって、
戻す、全体に帰っていく。
なので、だから本当にその自我を持ったまま生きているのは一度だけなんだよねっていう話もすごく印象的でしたね。
でまぁ、大人話とつながっていくんですけど、まずシュタイナーのね、話がすごく面白かったんですけれども、
死後に現れる、死後に現れる反転したビジョンっていうテーマがすごく面白かったんですけど、
私たちって今私がいて、宇宙という空間の中に地球があって、その上に私がいるっていうふうに考えてるんですけども、
その在り方を変えてみると、死ぬ、死ぬっていうことが起きると、私自身が宇宙を包んでいるような感覚になるっていうことらしいんですよね。
でもそれは死ぬ前にも、そういうね、生きてるうちからその私が宇宙を包んでいるっていうビジョンは持つことができるっていうシュタイナーの言葉がすごく印象的でした。
なので、久高島の文化なんかもそうなんですけども、生と死っていうのは分断されたものではなくて、本当にシームレス、一つながりで本当につながっているっていうお話がありましたですね。
あとその音楽についてっていうのもシュタイナーの技術が、宇宙音楽っていうのがあって、
この地上で私たちは鼓膜を通して、空気を通してね、鼓膜を響かせて聞いているわけなんですけれども、死後の世界っていうのは魂で聞く宇宙音楽っていうものの中に入っていくっていう、そういうお話がありました。
宇宙的音楽っていうのは、鼓膜を響かせて物理的に聞くのではなくて、本当に心で聞くというか、魂自体で聞く。なので、魂で聞く宇宙音楽を通して、死んだ人、死者とかね、あの世の存在とか、何か違う存在、違う世界、違う世界っていうかな、自分の延長なんですけども、そういう世界とね、コミュニケーションできるんだっていうようなお話もありました。
こういう研究をですね、いろんな人たちがね、やってるわけなんですけれども、シンフォニー、ポリフォニーとハーモニーとかね、調和と和音とかね、西洋っていうのはその調和っていうものを追求してきたと。
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それが調和、不調和をね、不協和を排除して調和する音っていうのを神を表すものとして、探求してきたのが西洋音楽の歴史であるとか、サンビカとかカノンとかそうですよね。で、あると同時にというか、それと反対に日本の文化とか、アジアとかもそうですけども、日本の音楽っていうのは不協和音っていうかね、単音であったりもするんですけども、ちょっと西洋と違うんですよね。
で、まあ皆さんよくご存知かと思いますけど、日本の人って虫の音とか鳥の音をね、美しいなーって飽きだなーって、虫たちは何を考えているのかなーっていうふうに、そういうストーリーとかね、言葉として捉える文化がありますよね。
これはなんか、言語の左脳で音を捉えているらしいんですよね、日本人。で、西洋人っていうのは右脳で音を捉える。がゆえに虫の音とかね、葉っぱの音とかっていうのは、もうただのノイズとしてシャットアウトしちゃう。だから現実的に聞こえないんですって、虫の音が。
すごい不思議ですよね。鳴ってるけど何の音みたいな、日本人は聞こえるけど西洋の人は聞こえないっていう。そういうのもだから全然捉え方が違うっていうのもすごい面白かったですよね。
で、まあテトラさんのね、今12月にコンサートというかイベントされると思うんですけど、ナクヨオグイス平安京。平安京っていう平安京の時代にはどんな音が聞こえていたんだろうっていう、それをね今の時代にね、再現するというプロジェクトをされているらしいですよね。めちゃくちゃ行ってみたいなーって思うんですけど。
平安京のそのね、めっちゃ面白いですよね。言語化できてねーな、すいません。めっちゃ面白くて、日本の音っていうのは、いろんな、あの、画学とかもそうなんですけど、方角とか式とか、音用語行とか、構造ロップとか、もうすべてが結びついていたそうなんですよね。
で、それが音楽だけじゃなくて、すべてがその枯れ山水とか日本庭園とか、その寺院の配置とかね、そういうものと関連していたっていう、そうなんですよね。だからもう宇宙の心理っていうとか、神羅万象の成り立ちっていうものをすごく理解していながら、それをね、ちゃんと音楽とか、そういうランドスケープみたいなところにも活かしていた。
で、それを再現しようとしているのが、そのなくよっていうプロジェクトらしいんですけれども。
で、あの京都のね、下鴨神社のあたりに、なんだっけ、ただすの森っていうものがあって、これは縄文時代からね、生き続けている森らしいんですよね。だからこれは本当に縄文時代から変わらない自然がそこにあって。
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で、そこに行くと、本当に自然界の音だけじゃなくて、人間界の音からシャットアウトされて、自然界の音と、そして霊界の音と繋がれる。
で、なんかテドラさんね、大学の教授なんかもされてますけど、そのなくよのね、プロジェクトの一環で、その生徒たちにね、一人一人でね、夜中にそこのただすの森に入って、そこの音をね、なんか取ってくるみたいな、そういう宿題があったらしいんですけど。
めちゃくちゃ怖いなって思うんですけど、めっちゃ怖くないですか。絶対行きたくない。でもやっぱそこに行くとですね、やっぱりその鬼のビジョンを見たりとか、なんかそういうね、精霊のなんかビジョンを見たりとか、やっぱりそういう霊的体験をするらしいんですよね。
だから余計なものが全くないというか、本当に自然界の音と霊界の音と繋がれる状態っていうのがそこにあるんですよね。平安時代っていうのはそのただすの森でもそうですけども、もちろん今よりね、ずっと静かで、刺激とか騒音とかがなかったと思うんですよね。車とかもないし、なんか日本とか特にうるさいですよね。コンビニ行ったら、ドラッグストア行ったらジャンジャカジャンジャカ音楽流れてるし。
プラットフォームもね、ピンポーンって白線の内側へお下がりくださいとか、エレベーターは右側に。いつも何かが鳴っているんですけど、平安時代っていうのはそうじゃなくて、ずっと静かで刺激が少なかった。
でも、だからこそ人間、そこに生きる人たちは本当に感受性が高かったっていうね。だからこそ、さっきの鬼の話じゃないですけど、霊的体験、霊の世界と死の世界と繋がる。もっとね、身近にそういう世界があった。
それがすごく情報が少ないがゆえに、そこにある情報ともっと深く繋がるっていう時代だったんじゃないか。そういう音の空間だったんじゃないかっていうのがすごい印象的でしたね。
それがやっぱり最初にお話しした、空っぽの中に全てがあるっていうのは、そういうことだったのかなっていうふうに思いました。マクロビの人とかね、そういうビーガンの人とかが、MSGとかね、動物性のものにすごい敏感だったりしますよね。
なんか刺激が少ない、情報が少ないからこそ、体、心、魂が研ぎ澄まされている。そしてその死の世界、霊的世界、自分の延長にあるアストラル体、エーテル体、それからなんだっけって感じですけど、自分の延長にある不思議な世界というものと、すごく密接に繋がっていたんじゃないかというようなお話もされておりました。
めっちゃ面白いですよね、想像すると。そして今でもね、それはただその森に行けば行ってもいいですし、自分の中で瞑想するとかね、何か自然の中に身を置くということで、そういうふうに
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時間を作っていけるんじゃないかなって思うんですよね。MSGもそうだけど、本当に情報のMSGまみれだなと、講義をね、宇宙人も聞いてて、本当に思いました。そして後半はね、津波龍原さんのお話だったんですけど、こっちもすごく面白くてですね。
工房大使さんのお話がすごくかっこよかったんですけど、工房大使さんめちゃくちゃファンキーやなあっていうか、めっちゃ面白かったんですけど、その中でも一番グッときたのが、五台に皆響きありという言葉があってですね、音の中にこそ五台、その神羅万象ですね、それがあるっていうお話。
それは何かというと、声とか文字とか音とか、その響きとして現れたものこそ真実なんだよっていうメッセージなんですよね。体とか言語とか意識とか、目の前に現れているあらゆることっていうのは真理の現れ、だから善も悪もなくて、ただただそれは真理がここに現れている。
そのことに気づいたものこそ目覚めたものであるっていうお話でした。これをめっちゃまさにその通りだなあって思ったですね。この意識っていうのは、そういう意識っていうのは、私たち一般、一般ピーポーたちがですね、もともと持っている心のバンダラなんだよっていうのもすごく救いでありましたですね。
そしてね、テトラさんの話とか私の母の話ともつながるんですけども、まさにその、なんていうのかな、精神の境目なく、すべてが命、命としてね、この目の前に見えているものも目に見えないけど、生きている、蠢いている、響いている、その僧侶子レベルのね、目に見えないけど、蠢いている、響いている、すべての存在っていうのが、
私たちの中に、私たち自身であるし、私たちを作っている宇宙そのものであるというか、言葉にできないんですが、だからお父さん、テトラさんのね、お父さんも私のお母さんも、肉体を離れて天にね、すべての命の中に帰ってきましたけども、なんか、それって永遠に寂しいんだけど、同時に私の中に母がいる。
お父さんの中にお父さんがいるっていう、そういう最強の命の一体感、愛っていうものをね、感じているなって思うんですよね。それがまさにね、五代の中に、五代に皆、響きありっていうことにね、繋がるなっていうふうに私の中では思いました。
その宇宙音楽っていうのはね、別に死んでから聴ける音楽ではなくて、瞑想で極めてから聴けるものではなくて、本当に今この地上にいる私たちのね、過超周波数、聞こえる周波数を超えているんだけど、でも常にね、鳴り響いてるんですよね。だから本当に生きてる間もね、死んだ後ももう直接ね、魂に語りかけ続けている。
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その素粒子で私たちはできているので、常に私たち自身も鳴っている、鳴り響いてるんですよね。その命の響きに耳を傾けてみるっていうのが、今私たちに必要なことをできることなんじゃないかなっていうふうに思いました。
まさにね、お花とおしゃべりって言いますか、お地蔵さんにね、話しかけたりとか微笑みかけたりとか、木々がね、葉っぱが一枚落ちてきたら、何をね、この葉っぱは私に語りかけているのかな。そんなお地蔵さんがね、笑ってるわけないやんとか、葉っぱがしゃべるわけないやんとか、そういうね、健在意識の大人の思い込みをどんどん外していきながら、地に足つけて、そういうね、宇宙のメッセージっていうのも
心と魂をね、パカンと開いて受け取り、受け取ろう、受け取ってね、楽しんで味わっていこうっていうね、そういう気持ちがね、すごく人生を豊かにハッピーにするんじゃないかなというふうに思いました。
はい、あれ、もう20分も話してました。すいません、失礼いたしました。宇宙塾がね、本当に楽しくて、しゃべりすぎてしまいましたが、皆さんのね、皆さんの耳にも皆さんの今ね、細胞にも宇宙音楽はね、しみしみと染み渡っております。
耳を傾けてみてね、どんな音が聞こえたか、どんな響きがね、感じたか、ぜひぜひまたね、教えてください。
はい、というわけで、今日はここまで。引き続き良い一日をお過ごしください。バイバイ。
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