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2022-08-25 14:44

#280 「虹を観よ、虹となれ」朝3時起きでホロス宇宙〜牛の尻尾からの虹のイニシエーション。

愛
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・道を求める者の前に道は現れる・虹の中に真実がある。・神殿の扉は、どこにあるのか。・目の前に映るすべてのものは


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心の愛のある皆様、アロハです、愛です。いかがお過ごしでしょうか。8月ももう後半ですね。早いですね。皆さん、夏休みどうですか?遊んでますか?食べてますか?
日本はね、コロナがちょっとね、なかなか厳しい状況というふうにもよく聞くんですけどね。なんかまあいろいろ制限ありますけど、心は自由なんで、おいしいもの食べたりとか、好きな人と一緒にいたりとか、
そんな風にね、過ごしていいかなというふうに思っております。私ですね、今年の夏は本当にどこも行かずにですね、引きこもっております。
なんですけどね、なんかね、すごくね、心の旅はね、とってもとってもね、いろんな場所にね、遠い場所に深い場所にね、心の旅してるなあという感じなので、それはそれでね、本当にね、豊かだし、
毎日幸せだなあというふうに感じておる、今日この頃です。まあどこにも行かない夏休みっていうのがね、あってもね、全然いいですよね。
というわけでね、今日はそんなわけで、まあ今日もですね、朝の3時から起きて、朝なのか夜なのか夜中の3時からね、起きてですね、フォロス宇宙塾、私の大好きなね、月1回のね、あの深海、なんていうんですか、深海、心のね、深海旅行にね、行ってきました。
これがまたね、今日も面白かったんですよね。これまあ、谷崎てとらさんとね、松並龍弦さんっていうね、私のね、2大推しメン、2人がですね、自由にね、対談、対談というかね、なんだろう。
最初のね、フォロスのテーマは、えっと、獣牛図っていうのがあって、まあこれね、皆さん多分ね、見たことあるって思うんですけど、きっと見たらわかると思うんですけど、あの10個ね、絵があって、牛さん、牛さんをね、追っかけて捕まえるっていう。
牛っていうのがね、その悟りの象徴で、その牛をね、どのように牛と出会って、どのようにね、それはね、暴れる牛を捕まえて、どのように手懐けて、そして最後にね、あの悟りのね、あの最後にね、何が起こるかっていう、まあ人間がね、どのように悟りの道に入って、道をね、見つけて、道に入って、そして悟りを得ていくかって、その最後にどういうふうにね、進化をしていくかっていうね。
悟りの道を表現したね、獣牛図っていう10枚のね、絵があるんですけど、今回のね、ホロス宇宙塾のテーマは、まあ10回に分かれてたのかな。で、毎回ね、その1枚、1枚1枚をね、テーマに、それぞれの、リュウゲンさんはリュウゲンさん、テトラさんはテトラさんのその悟りのね、未知っていうものを、いろんなね、仏教の視点から、そして世界のね、神秘学の視点から語る、語らう回でございます。
はい、これがもう私たまらなく大好きでですね。
今日はね、第3回ということで、3枚目のその牛さんの絵は、牛の尻尾を見つけるっていうね、犬牛だったかな、牛を見るっていうね。
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悟りをね、牛さんをね、牛さんという名の悟りを探している若者が、あ、見つけたーって、これかもしれないって言って、牛の尻尾をね、パッと見る。世界にね、探していたものを垣間見るっていう、そういう段階なんですよね。悟りで言うとそういう段階。
で、今回はね、その3枚目の絵なんですけども、副題がついてまして、虹のね、虹のイニシエーションという副題がついておりました。
虹のお話なんですよね。この虹っていうのがね、何を表すかっていうのは、本当にね、世界中の宗教とかね、いろんな神秘学とか色彩学とか、虹って本当にいろんなね、意味を持っているし、いろんなね、シンボルであるんですけれども。
まあそれぞれのね、テトラさんはテトラさん、リュウゲンさんはリュウゲンさんのその悟りを探す道で、虹っていうね、そのシンボルと、どういうふうに悟りのね、あのイニシエーションの扉とどういうふうにね、出会ったかっていう、そういうお話でした。
これがもうめっちゃ面白くてですね。これどこまで喋っていいんだろう。まあいいか。きっと、はい、いいと思います。
テトラさんはね、南米のペルーに行かれた時だったかな。そう、飛行機にね、旅の飛行機に乗っていた時に、飛行機のセスナの中からね、円形の虹を見たと。
円形の虹に十字架にね、あのセスナの影が十字架に映っていて、その真ん中に自分自身の姿が見えた。
まあこれはね、科学的に見えたらなんとか現象っていうね、その科学的には説明できる現象だったらしいんですけど、その時その瞬間にその映像をね、目の前にこの目で見たっていうテトラさんにとっては、それはもう悟りのイニシエーション、扉が開いちゃったっていうね、そういう瞬間だったらしいんですよね。
その虹っていうのはまあただでさえね、あの見つけたらめちゃくちゃ嬉しいじゃないですか。嬉しいし、でもあの、なんていうのかな、このようにして虹はできているって科学的に説明することはできるんだけども、でもその実態とか真実は何なのかって言ったら本当に私たちの心に、
それを見た時に、見た瞬間に何が起こるかっていうことは、本当なんかね、その科学の実証を、なんていうのかな、現象を超えている何か意味っていうものがそこに現れるわけなんですよね。
でその、テトラさんの円形の虹、そして十字架、そしてその中心にね、自分がいるっていう、そのビジョン、ビジョンというかまあリアルにね、その目で見たわけなんですけど、それはもうテトラさんにとっての悟りのね、扉がまた一つね、開いたっていうそういう体験だったというらしいんですよね。
これね、ストーリーにするとまあいろいろね、その前にもね、テトラさんがどのように悟りを探していたかっていうお話なんかあったんですけど、これねアーカイブも買えるんで皆さん、私別に回し者じゃないんですけど、ホロスね、めっちゃ面白いんで、こういう話大好きな人はぜひぜひね、アーカイブから見てほしいなと思うんですけど。
はい、というわけでね。で、リュウゲンさんのお話が、リュウゲンさんの方はまあ仏教ね、出家されて、仏教の道、密教の道をね、歩まれて、でも何かが足りないとか何かがね、はまらないっていう、そういうね、まだねその悟りの道をね、出家された後もね、探していらっしゃったというところで、
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あのとあるね、密教のとってもね、偉いお坊さんがね、チベットからいらっしゃったらしいんですよね。で彼が、彼もまあそのね、虹っていうね、シンボルについてお話をされていたと。彼が取り出したのが、あの孔雀の羽と、あと水晶玉、この2つを取り出されてお話をされていたそうなんですよね。
でその孔雀の羽と水晶ってね、皆さんまあどうだろう、あのまあ多分手に取ったこともあるかもしれないし、まあ想像してみていただければわかるんですけど、孔雀の羽もね、グリーンとね、いろんな色が入り混じっていて、光にかざすと虹がね、見えますよね。
で水晶玉っていうのも、こうあの太陽にかざすとプリズムっていうか、あの玉の中にね、虹色が光が見えるっていう。で、あの虹を見なさいっていう話だったらしいんですよね。虹の虹の虹というものの中にこの世界のね、真実、世界の本当の姿っていうものがある。悟りっていうものがね、あるっていう、そういうね、お話だったんですよね。
虹っていうものは、まあ実際にね、触れないじゃないですか。見えるんだけど、見えるんだけど、お空にかかっている虹もちろん探せないし、小さい時にね、虹のふもとに行こうって言ってね、私チャリンコを友達で越えて虹のふもとをね、目指した記憶があるんですけども、どこまで行ってもね、虹のふもとにはたどり着かない。たどり着かないし、あとまあね、あのなんだろう、クリスタルとかを窓辺に置いてたらね、虹がね、虹の光がね、壁に映ったりすると思うんですけど。
それもね、触れられるんだけど、触れるとね、あの影になってね、消えてしまうとかね。あの実体のない、そして触れられないものなんですよね、虹ってね。なんだけど、まあ水晶玉っていうものと、あと孔雀の羽っていうものは、まあ物質としてね、指でね、触れられるっていうものですよね。
触れられる虹っていうもの、虹のシンボルとしてその2つの物体があるわけなんですけども、この中にね、虹を見なさいと。で、虹を手に触れて虹を見れるものの象徴としてその2つをね、持ってこられていたらしいんですけれども。虹を見るっていうことの中に、その虹っていうのは日本では、日本とか中国もだったかな。
日本では、中国でも、五色、私たち七色、虹は七色って思ってますけど、それはなんか西洋でね、後から来た知識っていうかね、概念らしくて、もともと虹はね、五色っていうふうにね、私たちは捉えてたらしいんですよね。
五色っていうのは五色、5つの色と書いてね、その仏教でね、表す概念であるし、なんかこの世界のね、エレメントというか成り立ちみたいなもの。ちょっとこの辺の説明、漠然としてますけど、まあ五色だったらしいんですよ、五色。
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その虹っていうものが、世界の成り立ちを表すものが、その五色虹っていうものに現れている。虹を見ることで、その世界の本当の姿がわかるっていう。まず虹を見ろ。これまさにね、その十九順で、十九図で言うその3枚目の絵のですね。
尻尾、牛の尻尾を見つけたっていうね、虹を見つけたっていうね、その虹をね、あの見つめてその虹が何なのかっていうのをね、悟る瞬間っていうのはまた次のね、十九順で言うと次の瞬間にあると思うんですけれども、まず虹を見つける。
虹を見つめる。この虹っていうものが何なのか。虹の正体が何なのか。それがなぜね、世界の真実の姿なのか。なぜそれがね、自分自身なのか。なぜそれがね、悟りなのかっていうことを、その虹の中に見つけるっていうお話をされてたそうなんですよね。
で、その後にですね、リュウゲンさんもね、あのとある時間にとある場所でね、本当に奇跡的なね、あの風景を見られたと。その時に、ああこれだっていう、これが世界か、これが神かっていうか、神様っていうのはね、あのなんていうのかな、イエスキリストとかブッダとかアラーの神とかそういうね、あの一人の人格心ではなくて、世界そのもの。
なんていうのかな、すべてのね、命の根源みたいなね。これがそうなのかっていう瞬間にね、その虹の風景をね、とある虹のね、壮大な風景を見ることで、気づかされたっていうか、布に落ちたらしいんですよね。イニシエーションのね、扉がそこで開かれたっていう、そういう体験をね、それぞれにお話ししてくださいました。
いやー、まあまあね、お二方は本当にね、魂全身全霊捧げてですね、その悟りの道ね、真実性の道を探求されているので、本当にお二人が語られるその虹のイニシエーションのね、そのストーリーとか風景っていうのは、本当にね、物語にしたくなるほど美しいものだったんですけど。
まあまあね、あの私のようにね、このちっぽけなね、小さなね、小さなね、庶民ですけども、このちっぽけな存在であっても、やっぱりね、その、なんていうのかな、日々ね、何かしらの、どうしたらね、よりよく生きられるだろうとかね、どうしたら昨日より今日ね、一雫でもね、ちょっと良い世界にできていけるだろうっていう風にね、思っているのであれば、なんかね、そのでっかいね、虹の中に、円形の虹の中に十字架があとかね、
世界のすべてがね、神様だってわかったとか、まあそういうね、衝撃的なイニシエーションっていうね、大きなイニシエーションっていうのが人生にね、1回2回あってもいいですけれども、でもね、そうじゃなかったとしても、本当にね、このなんていうのかな、なんてことのない日々の中に、この目の前にね、ある私の目の前にも松ぼっくりとかね、なんだろう、木の枝とかね、葉っぱとか転がっていたり、あとタンポポがね、咲いていたりとかするんですけれども、
虹ではなかったとしても、この目の前のすべての命の中に、これって一体何なんだろうとかね、なぜこの色なの、なぜこの形なの、この松ぼっくりのね、このスパイラル。
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よく見たらすごいですよね、誰に誰がデザインしたんっていうこれね、もうね、宇宙最高のデザイナーやなって私いつも思ってるんですけど、本当にそのね、奇跡で満ちているわけなんですよね。
この葉っぱのね、せせらぎとかね、この木漏れ日の揺らぎとかね、このサワサワいう音とかね、全部がね、本当に奇跡的な、なんだろうな、命の現れだと思うんですよね。
これが目の前に現れているっていうのは、本当に太陽の距離がね、地球と1cm、1mmでも違うかったら、もしくは時点のね、回転の速さがね、星の回転の速さがね、1秒でもね、遅かったら、もしくは早かったら、
これ今目の前に現れているこれはね、もう存在しなかったかもしれない。もしくは全然違う形でね、存在していたかもしれない。
そういうふうに思ったらね、本当に目の前にあるものってね、なんという奇跡で、なんて愛おしくて、なんて美しいんだろうっていうふうにね、そういうふうに思うんですよね。
だからもう本当にね、毎春毎春イニシエーションだなっていうふうに、言うふうに、それがイニシエーションなのかそうなのかっていうのは置いておいて、
でもそういうふうにね、感じられる心っていうのがあると、なんかね、楽しくなってくるなっていうふうにね、思いますよね。
目の前の何か、目の前の誰かの中にね、奇跡とかその美しさを見出すっていうこと、プラス自分自身の中にもね、その奇跡、美しさをね、見出していくっていうことが、
まあね、悟りって言いますけど、悟りって何なんでしょうね。悟りって言うとなんか関係ないとかね、なんかそんなん行き着けるわけがない私がいろいろ思うと思うんですけど、
皆さんそれぞれにね、それぞれのね、悟りみたいなものをね、生きていらっしゃると思うんですよね。自分の人生をね、全うしていらっしゃると、全うしようとしていらっしゃると思うんですよね。意識的にも無意識的にも。
なので本当にね、目の前のもの、そして今ね、生きている、生きて息をしている自分自身の中にそのね、真実、美しいもの、良きものをね、見出していくってことが、
牛さんを探す、悟りの道、みたいなものなのかなっていうふうに感じている、今日この頃でございます。そんな8月の終わりです。皆さんはね、今日どんな心の旅ね、もしくはね、リアルな旅していらっしゃいますでしょうか。
今日もね、大好きな人と美味しいものを食べて、そしてね、良き時間を皆さんが過ごせてますように。
はい、というわけで今日は、そう、今日も引き続き良い一日をお過ごしください。バイバイ。
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