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次に、怪談作家の宇都郎しかたろうです。
いつも、100円で買い取った怪談話を聞いてくださって、ありがとうございます。
この番組も、今回で50回目の配信を迎えることができました。
これもひとえに、いつも聞いてくださっている皆さんのおかげと、深く感謝しております。
そこで今回は、私宇都郎が実際に体験した怪談を語ろうと思います。
この話はですね、私がまだ小学生の頃の体験なんですね。
小学校5年生か6年生、それぐらいだったと思います。
当時、私はですね、ある塾に通っていたんですね。
その塾というのがですね、うちの地域でも非常に評判になっている塾で、
とにかく通えば誰でも成績が上がるという、そういう塾やったんですよ。
なんで成績が上がるのかというと、とにかくめちゃめちゃ勉強させられるんですよね。
いつもね、夜7時半から始まるんですよ。
それがですね、終わるのが11時とか12時とか。
日によっては1時回ることもあったんですよね。
それぐらいもがっつり勉強させられるっていうところだったんです。
どんなところでやっていた塾かと言いますと、
当時流行っていたですね、アパート塾と呼ばれる形態の塾でして、
一般のボロアパート1室か2室ぐらい借りましてですね。
そこに、お部屋の中に椅子と机を並べるんですね。
ホワイトボードなんかも置きまして、即席のちょっとした小さな教室になると。
そこでがっつり勉強を教わるっていう、そういう塾やったんですよ。
だから普通のボロいアパートなんで、建っているのが住宅街なんですね。
そんな感じでいつも夜中までですね、週に3日間勉強をさせられていたわけなんですけども。
そんなある日のことです。
いつものように塾に行きまして、その日も終わったのが11時半かあるいは12時回っていたかもしれないですね。
やっと終わったということで、その塾であるアパートの部屋からみんな出てくるわけですよ。
外に出ると真っ暗なんですね。
普通の住宅街で街灯なんかもほとんどないところなんです。
だから真っ暗なんですよ。
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でもね、外に出るとね、今でもみっちり勉強させられて、もうしんどいんで疲れてるんで。
やっと解放されたっていう、その解放感からみんなわーって騒いじゃうんですよ。
ただまぁ住宅街でしかも深夜ですから、先生からはもうそんなんしてんの早く帰れ。
いつも厳しく言われていたんですね。
その日もですね、外に出まして、暗い住宅街の道の真ん中でみんなタムロしましてね。
それぞれ思い思いの友達同士で、わー疲れたーとかやっと終わったーとか、あのテレビ見たかったなーみたいなそんなことを言い始めるわけですよ。
私も仲の良かった友達とですね、二人して迎え合いましてね。
しんどかったなーとか、あの問題難しかったなーとか、あれは今日からはそんな話をしてた。
すると、自分の目の前にいるその友達の肩越し、その向こう側の様子がなんとなく目に入ったんですよ。
向こう側見ますと、まぁアパートがなっている。
で、アパートの向かって左側、左隣のところってまぁあの普通の一個建てのお家なんですね。
で、アパートとその隣の家の間、狭い路地があるんですよ。
で、そこの路地はどうなっているかというと、そのアパートの住民の自転車がね、まぁ2台3台ぐらいこうギュッと押し込められるようにして置かれていた。
で、その自転車の手前には格子状の小さな門がね、つけられてるんですよ。
で、そこがなんとなく目に入ったんです。
で、そこにね、見慣れないものがあったんです。
まぁあったというか、いたんですね。
人がいたんですよ。
街灯もない、明かりもない、何にもない、暗いその自転車置き場、狭い自転車置き場に人が座ってるんです。
まぁ見たところ、中学生か多分高校生ぐらいですね、女の子なんですよ。
で、髪がね、肩ぐらいありまして、で、オーバーオールを着てたんですね。
で、膝を抱えて、その暗い中に一人ポツンと座ってるんです。
で、じーっと前を向いたままね、いるんですよ。
で、その顔が目も鼻も口もない真っ白いのっぴりした顔だったんです。
のっぺらぼうなんです。で、うわーってびっくりして、え、何あれ?って。
まじまじと見るんですけども、どう見ても顔がないんですよ。
ただの真っ白いのっぴりした肌しかないんですよね。
え、何あれ?と思って。
で、目の前では友達がああだこうだ色々自分に話しかけてくる。
自分はもう完全にそののっぺらぼうの方に意識が行ってますから、名前返事しかしない。
友達がああだこうだ言ってくる。え、何これ何これどうなってんの?
他にも誰か気づいてる人いないかなと思って周り見回したんです。
でも誰もね、他の子で気づいてる人はいないみたいなんですよね。
自分しか気づいていない。
で、どうしよう?と思いましてね。
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誰か他の人に言おうか。
でも何か言うと怖いような気がしたんですよ。
でもやっぱりそういうようなものがそこにいるから、とにかく伝えなきゃいけない。
あれは一体何なんだ?
友達に言おうか。目の前にいる友達にそのことを言おうかと。
でもやっぱり言うのは何か怖いな。
そんな風にこう迷ってましたら、
そのアパートの扉がバーンって開いて先生出てきましてね。
で、お前ら何やってんの?早く帰れ言ってるやろ!って怒られて。
で、「ああ、すいません!」言って。
で、みんな慌てて帰り始めるんですよ。
で、自分もみんなが帰り始めたから、一応帰らなあかんと思って。
で、歩き始めた。
で、その異様な女の子がいる前を通りかかったんです。
その時見たんです。
やっぱりね、顔ないんですよ。
で、じーっとそこで、前を向いたまま座ってるんですよね。
全く微朗だにしない。
でも人形とかではないんですよね。
どう見てもなんかね、その生々しさというか、
その何か生きている人だっていうようなそんな感じがすごくしたんですよ。
で、それを見てまた改めてゾッとして、
誰にもそのことは告げぬに家に帰った。
そんなことがあったんですよね。
で、翌日学校の帰りにね、またそこの前通りかかったんですよ。
あの自転車越えてる場所、そこには何も置かれていなかったんですよね。
いつも通りの2台3台ぐらいの自転車が置かれているだけだった。
いまだにあれが何なのかわからないんですよ。
ここで目撃されたのは俗にノッペラボーと呼ばれる類のものでしょう。
ノッペラボーとは顔に目も鼻も口もない妖怪です。
スロリとした卵のような顔と表現されることもあります。
出現のパターンとしては顔を伏せていたり、後ろを向いていたりといったように、
顔を見せない状態で現れ、話しかけられるのを待っています。
誰かに声をかけられると、その顔を相手に向けます。
目も鼻も口もないその顔を見た人はまさかそのようなものだとは思っていないことから、
誰もがあっと驚くことになります。
このような話は小泉八雲の名作、階段に収められた無地名が特に有名です。
そこでは江戸は赤坂にある木の国坂で起きた会議が描かれています。
ある夜、商人がそこを通りかかると、若い女が道の旗にうずくまっていることに気がつきます。
急な病かと心配になって声をかけると、顔を挙げた女の顔には目も鼻も口もない。
あっと驚いて商人は逃げ出し、目についた屋台のそば屋に駆け込みます。
背を向けて作業をしているそば屋の主人に今あったことを話すと、主人は
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それはこんな顔かい?と言いつつ後ろを振り向く。
その顔には目も鼻も口もなかった、とそんなお話です。
この話は後に落語にもなりましたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
さて、この話のタイトルにもなっているムジナですが、
これは地域や時代によって指すものが様々に変わり、
タヌキやアナグマ、ハクビシンであるとされることが多いようです。
ノッペラボーはそれらの動物が人をたぶらかす際に化けたものであるとされています。
つまりノッペラボーに化けるのはムジナであり、
ムジナとはタヌキやアナグマのことであるというわけです。
一方、鳥山関円の《根尺俗ガズ百鬼》という書物には、
タヌキ、キツネとは別にムジナとして紹介されています。
鳥山関円は江戸時代の絵師で、彼の作品《ガズ百鬼夜行》に始まる
妖怪画集のシリーズは大変に有名です。
それら妖怪画集は現在知られている多くの妖怪の手本となっているほどです。
関円の《ムジナの講》では、辻堂に年老いたムジナが住み着き、
僧侶に化けて真面目にお勤めを行っていたが、
夕食後に居眠りをしてしまい、尻尾が出てしまったという説明とともに、
囲炉裏の前で居眠りする人物が描かれています。
その人物の着物の裾からはみ出した足には毛が生え、
腰の辺りからケムクジャラの獣めいた尻尾が生えています。
やはり何か動物のようなものが人に化けているようです。
ただし関円はムジナをわざわざ狸とは別行で紹介していることから、
少なくともムジナは狸ではないと考えていたのでしょう。
結局ムジナが何なのかははっきりとはしませんが、
はっきりしないところが日本の妖怪らしいところとも言えます。
妖怪とは本来曖昧モコとしたものなのです。
さて、小泉八雲の作品に代表されるムジナの話ですが、
それとほぼ同じ体験をされた方というのが現代でもおられるようです。
私自身が取材したものではないのですが、
例えば木原ひろかつさんと中山一郎さんが表された
怪談実話本新耳袋シリーズにも似た話は何度か紹介されています。
江戸時代の話とほぼ同じことが現代でも起きているというのは、
大変興味深いところです。
また、のっぺら坊を見たというだけの体験であれば、
実は少なくはありません。
私自身の体験以外にもこれまで取材した中には
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複数の目撃談があるのです。
人は目で見てもそれが何であるかを知らなければ
見たものを認識することができません。
逆に言えば、それが何かを知っていれば認識することができます。
ほとんどの人はのっぺら坊がどういう存在なのかを知っています。
だからのっぺら坊らしいものを見たとき、
人はのっぺら坊を見るのです。
次に、のっぺら坊というのは顔がありません。
顔がないと人はそれが誰なのか判断することができず、
また表情が読めないことからその人が何を考えているのかも分かりません。
顔がないというのは人を不安にさせます。
それが恐怖につながります。
人は無意識に顔がないことを恐れるものなのです。
これはこの番組でも以前にお話しした
顔を隠せばそれはお化けであるという
日本人の共通認識にも通じるものです。
そしてそのような恐怖の対象と出会った、あるいは目撃した場合、
その記憶は強烈に残ります。
つまり忘れにくくなるのです。
人は経験したことすべてを覚えているわけではありません。
忘れてしまえばそれは怪談にはなり得ません。
逆に記憶に残っていれば、その記憶を他人に話すことも可能です。
ましてやそれが異様なものを見たというものであれば、
なおさら怪談として語られる可能性は格段に高くなります。
怪談が成立するには、
体験した本人がその体験を強烈に記憶していることが重要なのです。
以上のような理由からノッペラ坊の目撃報告は今後も増え続けることでしょう。
ただしその増加の勢いは和らいでくるかと思われます。
なぜならば少なくとも私のもとにもたらされたノッペラ坊目撃報告は
暗い場所での体験がほとんどでした。
つまり闇がノッペラ坊を生むのです。
ところがそのような闇はどんどん減っています。
田舎に行っても闇は駆逐され、夜でも明るい場所ばかりです。
現に私がそれを目撃したボロアパートの横の路地も、
今ではアパート自体が取り壊され、一個建ての住宅に変わってしまってすっかり様変わりしています。
LEDの明るい街灯が周囲を照らし、住宅の玄関先に近づくとセンサーライトが闇を奪います。
そのような場所ではノッペラ坊に限らずあらゆる化け物は出てこられないでしょう。
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水木しげるさんも生前何度もおっしゃっていました。
電気がいかんのですと。
夜でも明るいのは便利ですが、その代わりに私たちは闇の中にいる存在を感じる現象的な感性を失ってしまいつつあるのかもしれません。
この番組ではあなたの体験した怪談をオンラインで買い取っています。
番組概要欄の一番上にある怪談応募のリンクからお願いします。
2022年はメールでの募集も開始いたします。
しゃべることが苦手な方や声での出演が厳しい方は、メールでの応募をお待ちしています。
また、体験談以外にも怪談に関する疑問や質問がありましたら、同じく番組概要欄の一番上のリンクからご応募ください。
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