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2024-09-02 36:33

#17 「なんでもいいから、お金じゃなくてビールでも。そんなことを頼まれたい」中野好雄

遠野市出身で、グラフィックデザイナーを務めながら、活版印刷やリソグラフ印刷などを行う「中野活版印刷店」を営んでいる中野好雄さん。2024年4月に東京都杉並区から、遠野市に移転し、お店を運営しています。

「もともと遠野に帰ってくるつもりはなかった」という中野さんが、今遠野でしていることと、これからやろうと構想していることについて。

サマリー

ポッドキャストでは、中野好雄氏が自身の経歴や印刷業への関わり、特に活版印刷とリソグラフについて語ります。また、地元東野に戻った理由や現在の活動についても触れ、地域の祭りや人々との繋がりについて紹介します。中野氏は、東野での経験を基に印刷業やデザインについて話し、自身の仕事に対する考え方や顧客との関係を深掘りします。特に、お金ではなく心の通った交流を重視し、ビールでの依頼を受け入れる姿勢が印象的です。また、ユニークなアイデアを持った本屋や宿泊施設の計画についても触れ、地域活性化に向けた思いを共有します。移住や暮らしの利便性についての発見が特に印象に残ります。

中野好雄の自己紹介と経歴
今回のポッドキャスト、GOOD NEIGHBOR GOOD CULTUREは、東野の中野活版印刷展代表の中野好雄さんにお越しいただいてます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、えーとですね、まずちょっとあの、いろいろポッドキャストを再生する前に、あのテキストで中野さんのご紹介もこう書かせていただいてるんですけど、改めて中野さんがどんな方かっていうのを、ちょっと最初に自己紹介をお願いしてもいいですか。
えーと、東野の早瀬の出身です。
はい。
グラフィックのデザインをやってまして、その合間にというか、途中で活版印刷の機械を手に入れて活版印刷をやってたんですが、
そのうちに、その立荘科学工業さん、いわゆるリソグラフっていう機械を、ひょんなことから買うことになり、
で、活版とリソグラフがやれるスタジオっていうのを、東京オギクボで何年やったんだろう。12年。事務所の出しでやってました。
はい。
ありがとうございます。それで、今は東野に戻ってこられて、同じ東京でやってたのと授業としては一緒なんですかね。やられてることとしては。
全く移してきました。
そうですね。今、実際に中野さんのお店でこの収録をさせていただいてるんですけど、本当に周りにそのリソグラフの印刷機、プリンターがあったりだとか、本当に活版印刷の機械があったり裁断機があったり、すごい大きい機械の中に囲まれて、
ただこの物件もすごい素晴らしいっていうか、すごい雰囲気のいい場所で、ここってもともと何だったんでしたっけ、この建物、お店の。
これは小林荒物雑貨店だったですよね、名前が。
そんな、要するに昔の雑貨屋さんなんで、ザルとか、わらじとか。
そうでしたね。
そういうのを売ってたとこだったんですけど、たまたま商売辞めるっていう話になったので、
小民家探してたんですけど、意外に当の小民家っていうか、使えそうな小民家が全然ないんですよ。
そっか、そうっすよね。すぐ入れるとか難しいかもしれないですね。
土縁と青雑貨に一件ずつ目をつけてるのがあって、いろいろグズグズやってたんですけど、
結局決定打にかけて、どうしようかなって思ってたときに、偶然ここが開くよって話になって、
飛びついたっちゃ飛びついたんですけど、結果青雑貨寄りが良かったっすよね。
青雑貨って東野の地形的に、釜石寄り?
釜石寄りですね。土縁もそうなんですけど。
駅から車だと10分はかかるんですね。
そっか、青雑貨の駅があって、そっかそっか。
青雑貨の駅ならもうちょっと近いと思うんですけど、自転車でもあれやいいんじゃねえって思ってたんですけど、
ここで始めてしまえば、やっぱりあそこは遠いわって感じますよね。
そうですよね。今このお店があるのは人市商店街、人市通りにあって、なのですごい良い場所ですよね。
駅からも歩いて10分かかんないですもんね。
そうですね。ここは一等地でしょう。
一等地ですよね、東野の。
ちょうど今日は東野人市夏祭り?
今日じゃないか、明日だ。明日から開催されるんですもんね。
そういうのもだから人市商店街で参加したりしながらっていうことになります。
印刷方法の解説
そうですね。
はい、ありがとうございます。
まず最初にその中野さんがそもそもなんで東野に戻ってきてっていうところも聞きできたらと思うんですけど。
なんでも何も介護です。
そうですよね。僕は事前の打ち合わせでもちょっとお聞きしてたんですけど。
そうですよね。親、ご両親?
そうです。何か目的があって東野に戻ってきたとかそういうことではなくて、今後起きるであろう介護の準備をしに来ただけです。
なるほど。じゃあ東野に帰ってくるっていうのは結構、あんまり全然予定してなかったですか?
全く予定してなかったですね。
そっか、そうっすよね。だってここに来る直前まで東京で西小木で。
小木工房の自宅の給湯器を買え、リビングのエアコンを新品にした、2ヶ月後に帰るってことになった。
そこまでは全く予定してなかった。
むしろ退去するのにすごい綺麗にして、退去してきたってことですね。
あんなことなら給湯器買えなきゃよかったんだよ。話はあるんですけど。
そっか、将来的に戻ってくるみたいなのも特に考えてなかったんですか?
そもそも帰ってくんなって言われてましたから。
そっか、じゃあ親子さんのこともあって戻ってきて、今お住まいとかはご実家?
実家です。
このお店自体も元々結構広いというか、多分店舗と住居部分が一緒にくっついてた建物ですよね、ここも。
店舗と住居だったでしょう。
まだ奥に蔵が2つ残ってますけど、手付かずで。ちょっとお金がないと直せない。
そうですよね、本当大きいですもんね。
なるほど、すごい。ありがとうございます。
じゃあ改めて、遠野に帰ってきてからどんなことをしてるかっていうことを聞きできたらと思うんですけど、そもそも遠野に戻ってきたのはいつですか?
4月に引っ越しをしましたね。
そっか、今年の4月。
だからまだ今収録してるのは本当は8月の始めなので、4ヶ月ぐらい。
そうですね、1ヶ月半は片付けで終わってしまったので。
なるほど、どうですか、予想外でしたけど戻ってきて、遠野での仕事がスタートして。
いや、特段ストレスがあるわけでもなく、地元だっていうのは一番でかいと思うんですけど、知らないところで住んでるわけではないので、
特にストレスはないですね。
暑くなくてよかったなっていうか。
そうですよね。
今日めちゃめちゃ暑いんで。
ですよね、確かに。
今年なんか死ぬほど暑いそうなんで、よかったです、逆に。
今ってこれってクーラーとか入ってるわけじゃない?
入ってないですね。
入ってないですね。
空気だけでなんとか。
そうですね、風も通るし気持ちいいですね。
やっぱ夏涼しいのはそうですよね。
本当東京とか関西の方とかに比べたらすごい良いことですよね。
そうですね。
確かに。仕事の面でいうと、最初にお話ししていただきましたけど、グラフィックをやってるのと、あとその印刷の部分だけも注文を受けてやったりする。
そうですね。特殊なっていうか、カッパンとリスグラフは一応その印刷屋さんとしてやってますが、
県内でリスソーはそんなにやってない、やってるところはなさそうだのと、カッパンももりょうが2県か2県かみたいな話みたいなので、
わりと東京が今結構そういうのが乱立して、
イソグラフのスタジオが結構増えていて、
まあなんかあんまり高級な印刷ではないので、あれなんですけど、
そこで過等競争が起きるとほとんど誰も儲かんない感じのことがちょっと東京起きそうなくらい、
スタジオが増えすぎているのもあって、ラッキーだったらラッキーだったのかもっていう感じですけどね、僕は。
なるほど。僕は仕事としては編集とか企画をしてますっていうふうにいつも自己紹介してるんですけど、
なので本に関わったりすることもあって、完璧に理解してるかわからないけど、リスグラフとかカッパンって言われてもなんとなく理解をしてるっていう感じなんですけど、
聞いている方の中にはあんまりご存じない方もいるかもなと思っていて、
リスグラフとカッパンがそれぞれどういう印刷方法なのかっていうのも高野さんから教えてもらっていいですか。
カッパン印刷、昭和40年ぐらいまでは多分印刷の主流だったはずなんですけど、
小さい金属の活字を組み合わせて印刷をするっていう印刷です。
なので、新聞もちろん雑誌、辞書、みんな活字を組んでそれを吸って印刷をしてたんですけど、
オフセットって言われている今の印刷技術が出てきてから急激に廃れてというか、オフセットが安かったので急に取って変わってしまいましたが、
日本って身抜け右的なところがすごくて、一気になくなったんですよ。
徐々にとかじゃないんですね。
ヨーロッパとかアメリカはカッパンはカッパンでって言って残ってはいるんですけど、
日本人はやっぱり急にやめちゃうんでね。右の人が、あのでかいところがやめちゃうとやめちゃうみたいな。
で、印刷機もあまり残ってないっていう状況ですが、
まだまだ探せば残っている機械もあるので、若い人たちがちらほらやりだしていますが、
カッパンの方がイソグラフよりはまだスタジオやってる人は多いかも。
そうですね。岩手も森岡に、そうですね、僕が知ってるのは一軒だけですけど。
なんかデザイン事務所の女の子がやってるんですね。
そうですね。カッパン印刷ありますね。
そこぐらいだって言ってましたが。
で、イソグラフは知ってる年代にしかし分かんないんですけど、プリントごっこの親玉です。
シルクスクリーンっぽい感じ。
後半って言われてる穴をつけて、そこからインクを染み出させて印刷をするっていうやり方で、
これも相当古い世代じゃないと分かんないんですけど、ガリ版印刷がベースです。
で、それから一層科学工業さんがプリントごっこを作って一気に普及させたんですけど、
日本は学校の印刷機がリソグラフだったはずなので、必ず一回は触ったことがあるとは思います。
学校に行ってれば。
で、それを学校の印刷なので赤と黒ぐらいしかインクが入れてないから、
いろんなことができるっていうことをあまり理解をされないかったんですけど、
これもまたアメリカとかヨーロッパとかで、いろんな印刷物っていうか、
政治が不安定な国で自分たちのメディアを作って何かを配信したりしようっていうときに、
リソグラフっていうか後半の印刷機で新聞吸ったりとかみたいなことをやって、
アメリカとかヨーロッパは重宝されていた。
で、そこからナカワット系のやつがそれに目をつけて、
自分たちの作品を作ったりとか、作品集を作ったりとかっていうのをやっていたので、
アメリカ、ヨーロッパは今めっちゃくちゃ流行ってますね。
へー、そうなんだ。
っていうかリソグラフですらないとアートブックじゃないぐらいなことになっていて、
日本もやっとこう、何とか流行ってきたかなーって感じですかね。
そっか、なるほど。
最初のところで、あれ、ひょんなことからリソグラフのこの印刷機を持つことになって、
今の仕事を始めたみたいな形でお話をしていただきましたけど、
そもそもこの仕事が始まったきっかけってどんなことからなんですか。
すごいめんどくさい話になるんですけど。
バーブルの頃にデザインをやっていると、
広告を売ってるクライアントがお金が余ってるんで、
チラシ20万枚ぐらい吸っちゃうみたいな話になるんですけど、
見積もりが1枚3円とか、
これ1円にするには何枚吸ったらいいんだよみたいなわけのわかんないことを言ってきて、
その時にもう紙のバイトはもう終わったなと思ったんですよね。
どういうところで。
だからもういらない枚数をいらない数だけ吸って、でも金を使ってるっていうことに。
こいつ頭おかしいんじゃないかなっていう感じがあって。
どうせ印刷をするなら、ちゃんと金になって捨てられないものを作った方がいいよねって思った時に、
これはカッパンだなと思って。
なるほど。
カッパンの印刷機はもう作られていないので、ほぼ全部中古品なんですけど、
手動のちっちゃい印刷機を復刻させてた会社がありまして、
その印刷機は何も考えずに買えたので、
それをちょっと一回買ってみて、
手を置いといたんですけど、カッパンって道具がすごいいるので、
やりだすと結構な面積使うんですよ。
なので、自宅でまだ事務所をやってるときに買ったので、
結局開けられなくて、しばらくほったらかしてたんですけど、
12年前のやめたおげくぼの事務所を借りたときに引っ張り出して、
で、やりだした感じですね。
中野の職業人生の変遷
もともと東野に最初にいたのが、すごい遡って話を聞こうとしてるんですけど、
高校ぐらいまでは東野にいらっしゃったんですか?
高校までです。
高校まで。そこから東野出て、東京に行かれて、
最初はその、なので12年、東野に戻ってくる前までの12年間は、
カッパン印刷とかをやられてたっていうことでしたけど、
その前とかもグラフィックのデザイナーとして働かれてたってことなんですか?
そうですね。
それはどこかに勤めて。
いや、全然僕はあまり勤めたことがないので。
あ、そうなんですね。
はい、サラリーマン、何年だったか。5年もやってないかも。
最初とかですか、東野離れてとか。
学校終わって、初めて就職して、これは建築事務所だったんですけど、
ちょっと設計もあまり向いてないかなってなって、
企画地域おこし、町おこしが流行った時に町おこしの事務所に入って、
バブルが飛んで、そこから1人ですね。
なるほど、そっか、そうっすよね。
だから、そういう状態で東京で働いてて、
今は東野でも、これでも会社というかお店をやりながら、
グラフィックのことと印刷のことを今も個人でやってるっていう。
そうです。
仕事としては変化しましたか?東京でやってたものと東野でやってる。
印刷業の具体例
やってることとしては一緒なのかもしれないですけど、
例えば仕事を一緒にする人が変わったとか、内容が変わったとかそういうのはあるんですか?
いや、東野は逆に言うとこれからなんで。
そっか、そうですよね。
やり方は変えないといけないとは思ってますが、まだ全然そっち側が手つかずなので、
東京の時の仕事がそのまま流れてきてるのを受けてるだけで、
今ちょっと手一杯になってるんで。
ただやっぱりここでやるならここでやる。やりよう。
やっぱり考えないと。こっちのお客さん増やしていきたいので。
そうですよね。
作りたくても作れなかったっていう人が多いのか、
何も考えてなくて何もしてない子の方が多いのか、まだわかんないので。
作りたい子がいて作れないっていうのは結構簡単だと思うんですよ。
やってるよって言えばいいだけの話なので。
そうじゃないことと仕事になるようなことを考えなきゃいけないってなれば、
いろんなことを教えながらやっていかなきゃいけないっていう感じだと思うので、
実感ももちろんかかるだろうし、やりようも全然違うことをやらないといけない。
仕事だとは思うんですけど。
そっか、なるほど。でも本当にこうやって印刷ができるお店があるとか、
あと中野さんにグラフィックもお願いできるみたいなことだと、
何かこれから始めたい人にとっては、すごい本当に支えになるっていうか、
すごい嬉しいんじゃないかなというふうに思ってて。
例えばお店始めたい人とかが何か印刷物を作りたかったら中野さんに相談ができるし、
ずっと何かこうしたためてた本を作りたいみたいなテーマがあれば、
それを一緒に中野さんと作れるっていうことですもんね。
そうなってほしいですね。
そうですよね。
僕も普段はそういう編集とかの仕事をしてるんですけど、
この番組にも出演していただいた富川岳さんっていう、
東野でプロデューサーとか作家として活動されている方とか、
あと安部拓也さんっていうデザイナーさん、東野のデザイナーさんにも
この番組に出ていただいたことがあったんですけど、
なのでその皆さん、その3人でよく集まっているときに、
中野さんのお店がここにあったんですけど、
今ちょっと話を聞いてて思い出したっていうか、あれなんですけど、
レトロ印刷さんって印刷会社?
はい、GEMさん。
そうですよね。あれはリソグラフ…
リソグラフ屋さんです。
そうですよね。
GEMさんは。
ちょっと今すぐ調べて出てこないんですけど、
GEMさんはリソグラフ屋さんで、
リソグラフ屋さんで、
リソグラフ屋さんで、
リソグラフ屋さんで、
今これの仕事も東野市の観光交流課さんが担当課なんですけど、
今これの仕事も東野市の観光交流課さんが担当課なんですけど、
僕と富川さんと、あともう一人大川さんってデザイナーさんがいたんだけど、
僕と富川さんと、あともう一人大川さんってデザイナーさんがいたんだけど、
3人でウェルカムっていう東野のフリーペーパーを、
レトロ印刷さんの印刷で作ったやつがあって、
すごいそれ、やっぱりこう、
これをこう市が発行してくれるんだみたいな写真になった。
今度持ってきます。
すいません、こんな口で説明しててもあれなので。
でもなんかそれが中野さんが近くにいてくれると、
今度は中野さんと一緒にできるんだっていうのは、
なんかすごい楽しみだなって勝手に。
ちょっと今度持ってくるので、見てほしいです。
ぜひぜひ。
レトロさんがやっててうちができないのは、
バーッコぐらいかな、あのもっこりするやつ。
あの機械はないのであれですけど、
それ以外はなんとかなるんじゃないですか。
いいですね。
中野さんが東野に対してどんなことを感じているとか、
どんな思いがあるかみたいなところも、
聞いてみたいなと思ってるんですけど。
一番聞いてほしくないやつですね。
すいません。
この番組の趣旨が。
どうなんだろうと思って。
東野の出身の人って、五人会もそうなんですけど、
めっちゃ東野ラブなんですね。
そうか、五人会も関わられちゃって。
なんですけど、僕がそんなにラブじゃないっていうか。
当たり前すぎて、
東野が特別に全然見えてないっていうか、
別に親父が住んでるんだよねみたいな、
程度のことなので、
なんか捨たれてってほしいとは全く思わないけど、
何かをしなきゃいけないとかみたいなこととか、
東野こんなことやっててすげえみたいな感じの、
特別感が全然ないんですよ。
それはずっと伝わってたというか、
そうなのかなって思ってました。
東京からこっちに来たとかって、
触りかれても、
俺全然、
すごい迷惑がられてる。
ちょっと不思議なんですよね。
逆に言うと、
一人でずっと事務所にいても、あんまりストレスもないし、
脳めやつがいねえなと思ってても、
まあまあ家に帰ればいじけるか、
みたいな感じなので、
思ってるよりもストレスが全くないっていうか。
なるほど。
このお店もずっと開放してるっていうか、
オープンってなって。
そうですよね。ご自由にお入りくださいみたいな。
数日前に打ち合わせに来たんですけど、
その時も中野さんの同級生の方がここに座ってらっしゃって、
中野さんが多分見つからなくて、
とりあえず座って本読んでたみたいなこと言ってたんですけど、
あんな感じでふらっとここに人が来てるみたいなのもすごいいいなと思って。
まああいつは勝手に入ってきた。
そういうことか。
それこそここでも飲んだりするっていうか、
友人たちが集まって飲んだりするみたいなこと言ってましたね。
はい。ここは飲みたいですね、基本ね。
まあ前の事務所も大体そうで、
本ができたら、
とりあえず一回打ち合いをしろって。
お祝いをしないといけないって言って飲んではない。
コロナのおかげで東京だと、
もうお店に出れなくて、
結局事務所で飲むしかないんですけど、
来たお客さんに
なんか夜空いてる?って言うと、
もうコロナの時はみんな人間に飢えてるから、
え、飲めんですか?みたいになって、
ほぼ毎日飲んでましたね。
ほぼ毎日飲んでましたね。
それのおかげでいろんな器具が充実したので、
飲み物作れたりとか、料理ができたりとか、
料理ができたりとかみたいなことにはなってるので、
好き嫌いさえしなければ、
遅く飲み食いができる。
いいですね。
秘密基地感っていうか、やっぱり遊び場感がすごいあるっていうか。
この奥もだから今八千嶺間が二つ、
八千嶺間で、
その八千嶺間も、
ワークショップにみたいなこととか、
お教室みたいなことで使ってもらえないかなと思っていて、
そうすると後ろは後ろで、
ちょっとね、ワイワイガヤガヤ。
なんかやってるみたいな感じになると、
ちょっと嬉しいかなと。
なるほど。
もちろんね、
お話を聞いてたりとか、
改めて店に来させていただくと、
すごい中野さんも、
すごいいろんなことをやられてるように見えるっていうか、
やっぱりこの場所もすごく開放してて、
いろんな方が来れるような場所になってるとか、
もちろんそもそもの仕事、
印刷の仕事とか、
いろんな仕事があって、
いろんな人がここの場所に来て、
関われるような感じになってるのがすごくいいなと思っていて、
そういうのをやってる理由なのか、
根本にある何を考えてそういうことをやってるのかとかって。
何も考えてるわけじゃないんだけど、
結局デザインって、
人相手にしてる仕事じゃないですか。
そうですね。
そうですね。
何かダメなことを何とか解決しようっていう仕事ではあるので、
それの一環ではないけど、
人が来て何かをしてるっていう状態は、
常に何か作っておいた方がいいよねっていうか、
相談しにくいデザイナーって多分、
僕の中では最低で、
何でもいい感じのデザイナーっていうか、
相談しにくいデザイナーって多分、
僕の中では最低で、
何でもいいから、
お金はないんだけど、
ビールでいいですかみたいなことで、
僕はいいと思ってるところもあって、
お金を稼がなきゃいけないっていうことの、
根源みたいな、
何でお金が欲しいのよみたいなところで言うと、
飯が食えないと困るじゃない、
いや飯でいいじゃねえかみたいなところもあるんで、
成立してれば、
別に一生懸命お金じゃなくてもいいかなっていうか、
めちゃくちゃ急いでてるんだけど、
いろんなことをやりくりして、
お金を準備するのに1年かかるんですけど、
時間がないからビールでお願いしますみたいなことを、
頼まれたい、
感覚的に。
そう言ってくれれば分かりましたって言うんだけど、
うちは30万ないと無理ですって言ってたら、
多分なんか、
こういうとこのグラフィックが成立しないんじゃないか、
って思うところもあるんで、
都会のやり方は都会のやり方でやる用もあるし、
大手がやってるやり方っていうのはもちろん、
ダメなわけではないんでしょうけど、
そのシステムをじゃあ、
僕はデザイナーなんで東京と同じやり方でやりますっていうのが、
成立するのかっていうと、
それも多分成立しないような気もするので、
物持ってかれちゃ困るけど、
適当に何か本でも読んでいけよって言って、
人がごちゃごちゃ言ったりとか、
後ろにゲームがあるから、
子供遊ばせてっていいですかみたいなぐらいの、
感じでやってるうちに、
ビールが増えていくっていう感じのものが、
いいかなっていう気もしますけど。
いいですね。
デザインと交流
物語っぽいというか、
愉快な感じがして、すごいいいというか。
ありがとうございます。
今の話の中でもいろいろちょこちょこ出てったような気がするんですけど、
中野さんの中で今後こうしていきたいとか、
これからこういうことやっていきたいみたいなのって、
何か考えてるものとかあったりしますか。
妄想レベルでいければ何本でもありますけど。
妄想レベルで全然大丈夫です。
その縁側がもったいなくて。
そっか、これ縁側もありますもんね。
道路ももったいないんで、
誰も買わない洋書ばっかりの本屋さんをやってみたいとか。
縁側で。
本屋やってみたいなと思うんだけど、
当然一般書店のラインナップじゃないと思うので、
誰も買わないだろうな、この本マニアックすぎてって思うような本を
集めて売ってみたいとか。
なるほど。
蔵が後ろに2つ余ってるんですけど、
本当はその手前の蔵までは、
一回綺麗にして、
ギャラリーとかにしようかなと。
開けてみたらこっちの本屋とお店を直すので、
お金がなくなってきたんで今手付いてないんですけど。
1個の蔵はギャラリーにして、
もう1個奥を、
こいつは本当にヨタ話に近いんですけど、
オーベルジュみたいな。
ご飯が食えて泊まれてっていう、
お店があるんですけど、
1つの蔵はギャラリーにして、
ご飯が食えて泊まれてっていう、
で結構でかいんで蔵が。
1組か2組しか泊まれませんって言って、
フルサポートしますっていう、
オーベルジュみたいなものができると、
死んでもいいなって思います。
やり残したことはないけど。
すごいめちゃくちゃいいですね。
楽しそうっていうか本当にここの、
物件とか敷地の中でそれぐらいいろんなことができると、
すごい楽しそうですね。
デザイナーとしてもホテルみたいな、
総合的なデザインが全部できて、
それが完成すれば、
あとはやることはないかなと思ってるので、
それを作ったら死のうって感じ。
移住と生活の利便性
確かにホテルとかってやっぱりすごいデザインされたものとかが、
やっぱりすごい体験としていろいろ受け取れるっていうか、
ような場所ですもんね。
それがすごいできてたら。
総合的に何かを考えなきゃいけないというか、
それをやんなきゃいけないので、
なかなかできないけどね、
宿とかみたいなことって。
それをできればもういいやと。
なるほど。ありがとうございます。
あともうそろそろ時間なので、
最後の方にと思ってるんですけど、
この番組が最初にお話しした通り、
遠野市と花巻市で共同で行っている、
移住提示を促進できるような事業としてやっているものなんですけど、
ちょっとそれに合わせたお話もできればと思っていて、
改めて中野さん戻ってきて4ヶ月ぐらいですけど、
なんかこれに対して、
これから遠野に新しく住もうとしているとか、
岩手に住もうとしている方とか、
メッセージと言われてもないって言われたらあれなんですけど、
なんかどう思いますか?
涼しい夜暮らし系。
よくわからない。
住むとこはなあ。
どっちなんだろうね。
ただね、東京にいて遠野に戻ってくる、
って結構大変なんですよ。
大変なんですよっていうか、その行き来だけの話ね。
花巻市線1時間2本もありますけどね、
新幹線とつなぎにいるのは、
午前中に2本、午後1本ぐらいしかないです。
みたいなことをやっていると、
意外と時間を決めないとあれなんですけど、
遠野から東京に出ようと思うと、
東京から東京に出ようと思って、
遠野から東京に出ようと思うと、
車で花巻駅まで行っちゃえばいいじゃん。
そこに来たら新幹線に乗りゃいいじゃんって思っていると、
帰りも、
空いてる新幹線とか大流連新幹線とか乗って帰ってきて、
車で家まで帰ってこれると思うと、
移動だけを考えると、
遠野に行った方が楽に。
そっか、こっちからあっちに行く方が。
大阪と福岡にも行ったんですけど、
結局全部飛行機じゃないですか。
1本しかないとはいえ、
車で行って飛行機乗って帰ってきて、
羽田行ってもあまり変わらない。
なんなら飛行機で行った方が早いですもんね。
羽田で行こうと思うと、
首都高事故とかないよね。余計なこと考えていけない。
自分の車で行く分には、
あまり考えなくてもいいので、
意外にこっちから移動してる方が楽かもしれない。
それはちょっと発見だった。
良かったです。良いことを言ってもらえて、
すみません、合わせてもらって。
唯一困るのは、
東京で仕事が終わって新幹線に乗った時に酒を飲める。
それは気持ちよくわかります。
そこだけですね。
本当に色々お話が聞けて良かったです。
グッドネイバー、グッドカルチャー、
このポッドキャストの番組で毎年、
紙物を作って配布をしているんですけど、
今年もそれを作ろうと思っていて、
今、担当の主役者の2人もいるからですけど、
できればポスターを今回、
中野さんと一緒に作れるといいなと思っています。
本当に良かったです。
デザインは今作ってくださっているデザイナーさんもいるので、
できれば一緒に中野さんも加わっていただいて、
ちょっと相談しながら、
ここでできるリソグラフなのか、
活版でポスターとかだとどういう感じになるのかわからないけど。
コストばかりかもしれない。
リソグラフでちょっとアートっぽい、
でもちゃんと情報も伝えられるようなものが作れたらなと思うので、
ちょっとそれも相談させてください。
それがポスターなのかどうなのかっていうのもあるけどね。
そうですね。媒体も何にするのかっていうのもあるので、
その辺も相談させてほしいです。
ということで、今回は中野さんに出演していただきました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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