例えば、徳賀家康のマネージメントって上手いんだけれども、じゃあ中国のマネージメントであるとか、
近世のヨーロッパ、中世ヨーロッパのマネージメントなんて全然大したことないんですけど、ローマとかのマネージメントとか、近世以降のアメリカのマネージメントとかに比べてどうかって言ったら、もう圧倒的にレベル差があるんですよ。
全然、全然なんですよ。正直。そういうことを考えていくと、歴史的にマネージメントっていう概念そのものがあまり存在しないところだと思っていて、マネージメントって言葉は流入したものの、おそらく未だに正確に西洋人が言ってる意味でのマネージメントは、僕は日本人は理解してないだろうなっていう、その上からとかじゃなく思いますね。
僕自身もそうだと思いますし、感覚としてはよくわからないんだと。逆に内発的モラルで自分たちを立地するんだと。それは言われなくても自律的判断をすべきなんである。それはコモンローっていう外部ルールで我々を縛るんではなくて、モラルという内部ルールで我々は自発的判断によってやるべきなんだっていうことをその文化的に強いられているんで。
ジョーイ・トース・ポッドキャスト
ジョーイ・トース・ポッドキャスト 夏休み特別企画 古典ラジオの深井隆之介さんをお迎えしています。
僕は日本にインセンティブあるなと思うのは、嫌われないっていうところもここから来ると思ってるんですけど、共同体のメンバーが入れ替わらない。この入れ替わらなくて外敵がいないっていう状態って一番の脅威が内部の人間の嫉妬だったりとか、パージなんですよね。
村八部が一番怖いんで、この村八部が一番怖い人たちにとっての生存戦略が僕は可愛いだと思ってるんですよ。なんで日本のアイドルとか、要は何にもできないんですよね。踊れない、歌えない。それが可愛い、応援したい。
あとファンダムエコノミーの推しの文化も可愛いわけですよね。推したい、応援したい、育てたい、可愛いっていうことが非常にこの国では生存戦略としてすごく強くなってくる。っていうのは僕そこら辺から来てると思ってて、ゆるキャラとかですね。
可愛いに対する解像度とセンスって圧倒的だと思うんですけど、世界の中で。そこもすごい特徴だなと思っていて、結構でも最近評価されてますよね、その領域。
うんうん、そうだよね。
ジョイさんと深井さんによる歴史とテクノロジーを交えた日本人論。どうやらお二人、日本人と西洋世界との関わりについて話しているみたいですよ。ちょっと聞いてみましょう。
ちょっと思ったんだけど、たとえば村上隆なんか、ニコニコしながら結構怖い顔してる人が中に絵があったりして、その建前と本音、あとニコニコしながらっていう、僕もちょっと外国が長いんでちょっと難しいんだけども、
お茶もそうなんだけど、ポライトにすると狭くてもみんななんとなくうまくできるけれども、ただポライトにするために思ってること言わないし、
すごいポライトな人たちっていうのは、密度が高い村の中で、たとえばみんなで畑を耕せるかもしれないけども、じゃあ文化的にコミュニティになってるかっていうとまたちょっと違うコミュニティだよね。
そうですね。
あの建前のコミュニティと本音のコミュニティちょっと違うような気がしていて、だからすごく面白いのはその応援するし可愛いっていうこう光と影の上と下のこの分け方も、これもちょっとアメリカとか西洋と違うよね。
そうですね。今の話を受け取った上で、僕の中で整理してお返しすると、日本人が本音を言わないみたいな言説は、まあ半分当たってて半分違うなと思ってて、普通に言ってるときいっぱいあるなとまず思いますと。
で、一方で西洋人がやってて日本人が明確にやってないなと思うのは言語化。
本音は言うし、その本音の開示と共有もされてると思う。別にすべての共同体でほとんどが建前上で動いてるってことはないな。普通に本音で動いている。一方で、我々は本当に言語化をしない。なんでアーギュメントができない。これはそうだと思うんですよね。なんでアーギュメントができないからアフヘイベも起こんないですよね。っていうことはあるなと思う。
そうだね。たぶんそう。スナックとかに行くと、結構もう西洋よりもみんなちゃんと溶け込んでるよね。ただその、まあ建前しか表には出てないけども、空気を読んで本音がこう、バイブとしては行き渡ってるかもしれない。
その場をちゃんと成り立たせる力みたいなのがやっぱあるんだという解釈。一方でインディビジュアルの概念は弱いんで。
っていうわけで、たぶん僕は、なんかゲーム理論的に言うと、ストラテジーが違うんだよね。その、こういうプロジェクトには日本的がすごく向いていて、こういうフィールドは西洋的がうまくいって、でその、たぶん世界としては自分の特徴があったことをその人たちがやっていて、ちゃんとその違う特徴的な人たちと、ちゃんとコラボレーションができるようなエコシステムも必要なんじゃないかな。
っていうのは、自然の進化ってそうだよね。やっぱりそのいろんなタイプのものが繋がりあって、そしてそれでこう複雑系な自己適応型のシステムができるので、だからそこがちょっとやっぱ日本的に言うと、中国とどうやってコミュニケーションするかも長年できてきたけど、やっぱり他と接続するのがまだ苦手な要素は結構あるよね。
ありますね。結構その日本のインテリ層がそういうところをもう少し巻き取ってちゃんとやったらいいんじゃないかなと思ってて、今僕ずっと日本人の特徴というのを話してきて、外国と全然違うんだって話をしてきたんだけれども、一方でですね、日本のインテリ層で外国の機質みたいなのをほぼ100%受け取ることができてた人たちっていうのは、歴史上何人か普通に出てきてるんですよね。
で、その人たちって海外に行って誰よりも活躍したりとかして、空海とかわかりやすい例ですけど、で帰ってきてでも日本人ぽいみたいな人たちがいるんで、なんか二段戦略みたいなのがやっぱりありだなと思って。
波があるような気がする。だからうちの大学の創業のメンバーで一人西田鬼太郎がいて、でやっぱり禅をハイディガーとかにちゃんと説明ができて、だから100年前ぐらい結構物理学と哲学で日本って西洋とやって、でその後戦争とかでぐちゃっとなって遅くなって、
でビジネスのレイヤーで日本の戦後の大企業が少し世界と戦えるようになったと思うんだけども、なんかこう哲学的、いなくはないけれども、西田さんのあたりって岡倉天心とか結構海外で有名な日本人いるんだよね。あれが今あんまりないよね、そういう動き、それって何でだと思う?日本にそういうのやりたい人がいないの?それとも世の中が変わっちゃったの?
やっぱりそのフェーズの問題だと思っていて、これから増えるフェーズに入っていくだろうなっていう予測をしてるので、あんまり僕は心配してないんですよね。なんかその国が置かれてる環境みたいなものが、要はそのそういう人間を欲するかどうかはすごい影響してると思ってるんですよ。
で、工業化社会だったとき、たぶん一定期間いらなかったと思う。その人文地ってやることが決まってたらいらないんですよね。アップデートする必要ないんで、考え直す必要がないから生産性上げたほうがいい。けどその迷ってるときはやっぱ必要になってくるんで、迷って必要になってきたなっていうときはやっぱ生まれると思います、普通に。時代の要請によって出てくる今15歳ぐらいの若者とかがそういう空気下の中で育っていけば、おのずと哲学的になる人たちの割合って増えてくるでしょうし。
なんで、そういうところにまた例えばこういうポッドキャストとかが提供されて、そういうのを聞いて育つみたいな人が出てくるんで、その当時の日本も大した人数じゃないんですよね。
そうだね。
なんで、十数人とか出てくるだけで本当にそうやって歴史変わって残ったりするんで、そういうふうになるんじゃないかなというふうには、楽観的に思ってる。
それは今やってるミッションオリエンティッドなベンチャーが可能性が高い。
そうですね、ミッションオリエンティッドかどうかっていくと、正確には僕はミッションオリエンティッドっていう感じの会社じゃない人たちになる。
どうやって定義する?
なんていうか、課題解決型じゃないくなるだろうなと思ってる。
そこがものすごく西洋的まずそもそも問題がある。
この問題を克服しなければならないっていう考え方がすごくクリスティアニティだなと思ってるんですね。
なんで、その考え方自体を継承してない人たちが、僕とかもそうなんですけど、別にミッション感持ってやってないんですよ。
やった方がいいとは思ってる。
自分がやれることだとも思っている。
だが、課題解決しよう、これが問題だから社会を是正しよう、みたいな、そういう何か大義みたいなのがあるというよりは、
隣人を助けるみたいなものを延長し続けていった結果、対象が世界になるみたいな感覚。
岡倉天心が茶の本をアメリカで出版したのは1906年。
西田鬼太郎が禅の研究を出版したのは1911年。
そう言われると、それ以降、哲学や人文知のレベルで世界と対話する日本人は、あまり登場してこなかったように思います。
深井さんが言うように、これがフェーズの問題なのだとしたら、
世界をアップデートさせるような哲学者や有識者が日本から登場するのは、そう遠くない未来なのかもしれませんね。
じゃあ、日常的にうまくいってるかうまくいってないかは何で測る?
僕のような組織がってことですか? うん。と、個人。
これはね、僕たちも今研究中で非常に難しいなと思っているところですね。
にわかには正直答えらんない。今からちょっと考えないといけないっていう感覚。
だけど、まず前提として絶対測んないといけないと思ってるんだけど、
元々我々の文化はそれを測ることさえ多分やってなかった。だろうなと。
僕がいたとこのメディアラボっていうのは、ちなみにこれ西洋なんだけども、
測れるものはつまらないって僕らみんな言っていて、
で、僕らのミッションはインパクト、ユニークネス、マジック。
で、とにかくその標準化された尺では絶対我々の成功は測らない。
で、数字とか上がったんだけれども、でもやっぱりそのうちが人を入れたりするときには必ずこの人は今僕らが持ってる人と違うかどうかということと、
それとマジックを感じるような非連続的なものがあるかっていうのと、
インパクトって結構難しくて、人それぞれが違うインパクトを想像してるんだけども、
でも何か世の中に対してインパクトない、ただのセオリーだけはやめようっていう、
これで測ってたんだよね。
で、それはミッションではないんだよね。
それはバリューみたいな感じなんだけども、
で、結構これはコアの遺伝子にあって、
でも結果的に僕がいる間、数字もお金もスポンサー企業も増えるので、
だからこれ日本だけじゃないと思うんだよね。
でも今の結構メトリックスをもう測らないとダメみたいな美学もあって、
で、もちろん最適化とか資本主義経済には測らなきゃいけないと思うんだけども、
測らなくてもいいんじゃないかな、まあ数字で測らなくてもいいんじゃないかなっていうのは、
で、あと数字で測っちゃうとそっちに最適化しちゃうから他の数字がずれていっちゃうよね。
おっしゃる通りで。
まさに僕たちが資金調達をしたときにもう全く同じことを考えて、
新しいやり方であって、そのとき僕が指摘してたのは、
ベンチャーキャピトルとかがやっているデューデリジェンスであるとか、
数字で測る、あとは未来を予測することができるという前提とかっていうのは、
リスペクト払った上で、それって信仰ですよねって話をしてたんですね。
実績を見たら未来を予測できたという実績ってないじゃないですかと、
本当に予測できてましたかと、できませんよねと。
できないことをできると思っているのっていうのは、
それって信仰なんですよねというふうに思っていて、
それをVCに今伝えながら、
予測不可能であるという前提に立った投資をしてほしいって話をしたんですね。
我々はもう予測はできないんだと、そういう能力を持ってないんだとホモサピエンスは。
持ってたときなんてないんだと。
頑張って測ろうとはする、予測しようとはするけど、
それできないんだという前提に立ってください。
できるという前提に立って倫理通すっていうのをやめてほしいって話をして、
調達をしていって、
その時はだからPLも出さなかったんですね、結果的にはですね。
分かんないんで、世界史のデータベースがどういうふうなPLになるかって、
この時点で予測することできるし、数字化することもできるが、
それはただの儀式でしかなくなっちゃうんで、
だからもう本当に決まった儀式ですよね。
Jカーブ曲線を描くっていう儀式になっちゃうから、
PLで。
あんま意味ないよねって思ってて、合理性がないよねあんまりって思って、
その話をして、新しい調達っていうのをやったんですけど、
上場義務もないし、PLも出さない。
けれども投資はするし、ファンド期限があるっていう謎の、
なんかちょっとバグみたいなやつをやったんですよね。
なんていうんですかね、啓蒙君主みたいな。
君主制なんだけど、国民主権みたいなのがちょっと入ってるみたいなバグ状態ですよね。
過渡機能。っていうのをちょっとやったんですよね。
なんかまさに同じことを考えていて。
何年前ぐらい。
去年です。
去年。
それは僕やっぱりキリスト教の中の概念で、
やっぱ未来を予測できるっていうのが信仰になっちゃってる。
理性に対する信仰があると思ってるんですよね。
人間の理性というものを駆動させれば、世界の真理に到達するんだ。
それは言語値であって言語化できるんだっていう前提に基づいて、
アカデミアは構築されているし、物理学である数式で表せるとか、
その全てがそういうふうになってる。
理性を駆動させれば、未来の数字だって予測ができるはずだという信仰に基づいてるんだけれども、
これは僕はもともとヤハウェに対して行ってた信仰が理性にすり替わってるだけのアナロジーになってると思っていて、
神が持ってたパワーっていうのが他の動物に与えなかった人間のみに与えた理性である。
神の二姿として完成された人間っていうのは、この世界の管理者であり、
唯一理性を持った存在であると。神以外で。
この理性を駆動させるっていうことは、神の力を使うっていうことだっていう、
初期の理性を使ってた頃の初期の宗教と混ざってるときの概念の延長線上にあると思っていて、
やっぱり西洋的概念が出る前の我々っていうのは、考えたら未来の数字がわかるとは思ってなかったんですよね。
それは考えてもわかんないでしょ、だって未来のことだもんって思ってる。
何が起こるかわからないと。これはある程度取り戻したほうがいいと思ってるんですよね。合理的だと思う、そっちのほうが正直。
特にスピードが速いので。じゃないと、おっしゃったように数字に最適化された投資しか行われないんで、
リソースの配分がものすごくアホみたいな配分になってると思ってて、言い方悪いですけど、
賢い人がやる配分かな、このリソース配分みたいなお金の配分になってると思ってるんですよね、今の投資が。
あとは経済学の限度もあると思うんだよね。
結局発展してない経済って重力がない物理学みたいで全然違うんで、それが今発展しない経済のための経済学ってないんだよね。
たぶんギャンブリンから統計の数学ができて、それで初めてリスクって計算ができて、
リスクの計算ができると保険とか金利とか利子とかができて、そうすると経済が伸びてるとすごく予測可能になってくるんだよね、数字的に、数学的に。
その数学がこういう環境だったら意外に当たるよねって分かって、そうするとそういう環境を作って保険会社とかできて動くんだけども、
それが伸びてないとその数学合わないんだけども、同じこと言ってると思うんだけども、キリスト教という目線もあるけれども、
今の経済学の根っこになってる統計学の仕組みの中でメイクセンスしないと、そういうのにはもうお金出さない。
お金出さないからもう全然エネルギーがいかなくて、その今の経済学の中で定義できるものだけが伸びるっていうような変な環境になってるよね。
そこのね、結構面白いのはバッファーで、例えばビニヤードって拡大しようとしてないんだよね、大体のビニヤードって、もう一生懸命この中にあるブドウを最大においしくしようといって、
だけど絶対人には売らないって言ってるブドウだけ愛してる人たちはLVMHには売るんだよね。
LVMHはそのワイン屋さんのワインを倍の値段で大体売っていて、彼らどうやって拡大してるかって言うと、買ったビニヤードを大きくするんじゃなくて、
どんどんどんどん買って、そしてその拡大を感じない人たちが作ってる価値をこの拡大の世界の翻訳をするから世界一お金持ちになったりするんだよね。
で、こういうお寺とか無形の価値を他のとこにちょっとずつ出していくっていうビジネスモデルって結構あるんじゃないかな。
で、大学もそうだよね。その学部もそうなので。だから本来であれば出版社とかそういうのもあってもいいと思うんだけども、
その拡大を目的にしないこう味が濃いものと拡大しようとしてるところのソニーとかみんなそこでこうやろうとしてるんだけども、
これも結構西洋もできてるとこはすごいできてるので、これ日本だけじゃないんだなってたまに思うんだよね。
だから形にしてプロセス化っていうのが日本が上手いプロセスとやっぱり海外が上手いプロセス両方あって、
で、やっぱりその宗教を、だからバチカンもそうだよね。その法王とかバチカンにいる牧師さんっていうのはお金で動いてないはずなんだけども、
めちゃくちゃお金儲けをやってる仕組みをたぶんちゃんと考えて作ったんだよね、あの仕組み。
で、日本はなんとなくそこまで考えないっていうこう仕組みを作っちゃわないんだろうね。
作らないですね。だからぬるいんで、そこまでその国家統治を知るほど頑張らないとやばいっていう感覚っていうのは日本史ではですね、やっぱり徳川家康までないですね。
徳川家康の時に初めて日本を結構全体に渡って統治ちゃんとしようっていう意志が働いて、平安貴族とかの勉強してる限りはもう全く全く考えてないぐらいのレベルで考えてないんで。
日本もたまにいなくはないんだけど、それもほんとに600年ごとになんか誰か出てきてやるって感じなのかな。
それでも例えば徳川家康のマネジメントってうまいんだけれども、じゃあ中国のマネジメントであるとか、
近世のヨーロッパ、中世ヨーロッパのマネジメントなんて全然大したことないんですけど、ローマとかのマネジメントとか、近世以降のアメリカのマネジメントとかに比べてどうかって言ったらもう圧倒的にレベル差があるんですよ。
そうなんだ。 全然なんですよ、正直。
そういうことを考えていくと、歴史的にマネジメントっていう概念そのものがあまり存在しないところだと思っていて、
マネジメントって言葉は流入したものの、おそらく未だに正確に西洋人が言ってる意味でのマネジメントは僕は日本人は理解してないだろうなっていう、
そのちょっと上からとかじゃなく思いますね。僕自身もそうだと思いますし、感覚としてはよくわからないんだと思う。
逆に内発的モラルで自分たちを立地するんだと、それは言われなくても自律的判断をすべきなんであると。
それはコモンローっていう外部ルールで我々を縛るんではなくて、モラルという内部ルールで我々は自発的判断によってやるべきなんだっていうことを文化的に強いられているんで、
結果サービス業とか、僕は製造業もそれで強かったんだと思ってるんですね。製造業が強かった理由はマネジメントがうまいからではなく、
僕ファーストキャリア製造業なんですけど、正直海外工場のマネジメントとかボロボロだったなって思うんですよね。
コミュニティナースっていう僕の先輩の出雲高校の先輩の企業があって、この後本人に来てもらうんで、本人からどんな企業かっていうのは聞けばいい話なんですけど、一応ざっくり僕の方から紹介すると、
ちょっと構造側から紹介すると、前近代とかに存在していたようなその助け合いの、いわゆる市場経済化すると前近代存在してた社会がある程度分断され、市場からいろんなものを調達するっていうことになったじゃないですか。
あらゆるサービスである立種なものを市場から調達します。その代わりそれまで社会で連携してた共同体が解体されていきますっていうのがあったと思うんですけど、
でその前近代における共同体には良いこともいっぱいあったんだけれども、例えばその規範が強すぎるとかいう、絶対結婚しないといけないとか、絶対離婚しちゃダメとか、子供絶対作んないといけないみたいな、いわゆる規範みたいなものが強く残ってて、鬱陶しいみたいなのもあって、
で日本ってその結構ハイブリッド社会だなと思ってるんですけど、コミュニティーナースはその共同体の部分っていうのを市場経済上の必ずしも同じ村とかじゃない、いろんな属性の人間っていうものを助け合いの共同体を形成させる力っていうのを持っていて、意味わかんないと思うんですけど、細かくは後で聞いてほしいんですが、とにかくその共同体を作るっていうノウハウを持ってるんですよね。
その共同体は親族とか私族じゃなくてよくて、でどんな性格のコミュニティとか嫌いな人間でも何らかの形で包摂されるっていうスキルを持っていて、しかも前近代にあったその規範的な部分っていうのは現代にアジャストメントされてるんじゃないんですよ。つまりうまく助け合いができるっていうところを現出する、それによって全世代が助かる、お年寄りも助かる、子育て世代も助かるし子供にもいいみたいなことができるっていうのを
株式会社でやってる会社。
さっき深井さん、日本でしかできないんじゃないかなって言ってたけど、それはどういうところが日本でしかできない感があるんですか。
単的に言うとその共同体を作るのにスキルを使うんですけど、特殊な、その特殊なスキルが異常にハイレベルなんですね。
それはトレーニングしてそういう人材を大量に排出するっていうのがコミュニティナイスがやってることなんですけど、その技術ノウハウマインドセットを持ってる人ってよほどのクローズド環境で鍛えられてないとそんなのも持てない。
しかも原始社会に近い人たちは持ってるかもしれない。もしかしたら狩猟採集の次の濃厚社会ぐらいの人たちは持ってると思うんだけれども、さっき言ったように規範は抜いて近代化しないといけないわけじゃないですか、現代化。
それができるのってアニミズム的信仰も残しながら、かつ封建的規範も残しながら、いち早く近代化した日本っていうこの特殊属性の中でしかおそらく生まれないんですね。
なるほど。
っていう意味で、僕は日本からしかこのような会社は生まれないであろうというふうに思っている。
なるほど。じゃあ、青野、本当に楽しみにしてますのでありがとうございます。
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