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先日、ふわちゃんの件は10年前の僕と同じでした。 僕は大学入学当初、まだ現役不明だけど、自分が僕という人もいないのに、 他人から笑われるから、お笑いスタイルになりました。
やがて、ふわちゃんの3分の1サイズの同じ基礎的経験を得て、 僕は大学時代に発達障害事が確信だと思ったり、下手に社会に出ない方が悪いと判断しました。
どうしたらいいかと言いますが、発達障害は日本で生きられない。 日本で生きるのが難しい発達障害もいるというだけなんですよ。
発達障害とは何ぞやというのは結構難しいんですけど、 ざっくり講義でいくと、10人に1人発達障害と言われる要素を持っているんですよね。
僕も多分発達障害と言われる要素を持っているんですよ。 3人くらいお医者さんに診断に行ったら、1人くらいは発達障害の診断を出すと思うんですよね。
発達障害とは何ぞやというのが、何らかの性格だったり能力だったりで、 社会で問題を起こしている人が発達障害という診断を得るんですよ。
Amazonの社長でいう、創業者でいうベゾスさんという人がいるんですけど、 ベゾスさんって考え事をしてしまうと、ガチで周りのことが見えなくなってしまうという人で、
なので、ベゾスさん会議中に突然これなんだろうって考えだすと、 考え事モードになってしまって固まっちゃうんですよ。
ベゾスさんの椅子だけ事務用の下のローラーになってゴロゴロゴロっていう椅子になってるんですけど、 あれで次の会議室まで他のスタッフが押してくるらしいんですよ。
ベゾスさん椅子に座ったまま考えたままで、ベゾスさんがふって気が付くと、 別の会議室にして別の会議になってるみたいなという状態になったりするんですよ。
イーロン・マスクとかも結婚しても変わらず、子会社の役員にした若い女の人に生死提供して子供を作って、それを自分の奥さんに言ってなかったんですよね。
なので、仕事だからって言って、その会社とずっと密接に仕事をするわけじゃないですか。
イーロン・マスクさんって仕事大好きなので、会社の工場で寝泊まりしたりとか、会社にずっと泊まり込んだりするんですよ。
っていう感じで、子会社の女性スタッフ、女性幹部ともずっと一緒に仕事をしてるんですけど、ある時に1歳か2歳ぐらいになって、女性幹部が子供を連れてきた時に、
お父さんとして振る舞ってるのを、奥さんが見て、「何?どういうこと?」って言ったら、「生死提供したよ!」って言って、めっちゃ揉めるっていう。
本当に生死提供だったのか、どういう形で提供したのかわからないですけど。
お金持ちだから、割とイーロン・マスクすげえって言われてるんですけど、モラル的な面でいくと人間として相当ひどいんですよ。
他人として見るとめちゃくちゃ面白いんで、僕は好きなんですけど。
別に友達でもないし、イーロン・マスクの彼女でも奥さんでもないから、イーロン・マスクがどれだけひどいことをしても僕にデメリットは何にもないから。
だから別に、やっぱ狂ってんだ、面白いなって思うんですけど。
でもそういう人が、発達障害かどうかっていうのでいくと、成功して、要は偉い人で社長だから何の問題もないんですけど、一般会社員だったら完全アウトだと思うんですよね。
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なのでそういうのがあったりするので、発達障害でも社会で問題がなければ別にいいよねっていう形で許されてるので、厳密な形で能力で言ったら発達障害っていうのは大体10人に1人くらいいるって話なので。
僕も多分社長業的な状況にはなってるので、会社員ではないので、やらかしても遅刻してもなんとか暮らしていけるんですけど、会社員だったら相当難しいんだろうなと思うんですよね。
結局、社会で生き残るためのある程度の才能というのがあって、そうすると欠点を凌駕するだけの才能があればいいんですよね。
僕が時間を守れないとか朝起きれないっていうのは、時間守れなくても朝起きなくなったとしても他にできることがあるので、
じゃあその他の部分で、こいつは社会の中で価値があるよねってなってれば別にいいっていうのがあるので。
軽度の知的障害で社会的にうまくいっている女性って結構多いんですよね。
要するに女性って見た目がいいと結構社会的にいいとこまでいけちゃうことが多いんですよ。
なので話してみると、この人、軽度の知的障害だよねっていう。本人に聞いてみると、あそこだよっていう人って結構いるんですけど、
別に見た目も可愛いし話をする分に面白いから全然問題ないよねっていうので。
その人に経理の仕事をしてくださいって言ったら会社の中で会社員として経理の仕事をしたらアウトなんですけど、
別にそれなりに面白い話をしてくれて楽しかったよねっていうので、のみやかな話をしてる分には何の問題もないですよ。
だからそれは能力とそこに要求される仕事に対しての必要な技能の話で、
ただ楽しくお酒が飲めて、料理ができてというだけで別に飲食店であったときには何の問題もないよねと。
でもそういう人に会社員やらせたら全然アウトだよねって話なので、能力によって何ができるかって話だと思うんですよね。
例えば竹井聡さんって能力値が高いと世間的に言われてるんですけど、あの人会社員にしたら多分全然使えないと思うんですよね。
足が速いとか会社員って全然いらないでしょ。
会社でよろしくお願いしますって入ってきたやつが俺ライオン殺せるっすとか言われても、
いやうちの会社はライオンとか殺さないんで、その能力全くいらないんですけどみたいな。
ローランとニシゴリラでもいけるっすみたいな。
いやうちはゴリラと戦うとか業務にないのでその能力言われても困るんですけどみたいな。
100mめちゃくちゃ速いっす。
大阪出張新幹線乗るんで走っていくわけじゃないんで全然いらないんですけどみたいな感じで、
竹井聡さんって街で使えないと思うんですよ会社員だとしたら。
あの人毎日必ず100mで走るのを1時間くらいやるじゃないですか。
夜中とか会議中に今走る時間なんだよみたいなので六本木とか走り出しちゃったりするとまた行っちゃったよみたいなね。
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スポーツうまいとかって社会的にはすげー評価されるんだけど、
会社員としては基本的にはスポーツうまいは何の役にも立たないんですよ。
スポーツをやってた人はチームワークで人と一緒に関わるという仕事をする中でチームワークでもっと進める能力が高いというのがあって、
スポーツをやってた人が優秀だよねもあるんですけど、スポーツそれ自体の能力が大事なわけじゃないんですよ。
ノッコンさんって150キロぐらいあって、ブレイキングダウンとかにも出てる。
もともとラグビーの日本代表まで行ったんだっけ。
めちゃくちゃ強い人がいるんですけど、実業団で会社員だったらしいんですけど、
150キロあってめちゃくちゃ強いとかって会社員としてはやっぱり必要ないんですよね。
超絶強いし、あの人が本気でぶつかったら誰も勝てないんですよ。
全員吹っ飛ばされて終わるんですけど、でもその能力って会社員としてはいらないじゃないですか。
なので会社員として必要な能力というのを割と社会の人って重要視しすぎてるんですよね。
別に会社員じゃなくても社会で暮らせるじゃん。竹井聡さんみたいに会社員じゃないじゃないですか。
別にノッコンさんみたいにYouTuberやりますとか、格闘家として生きてきますっていうのも全然いいと思うんですけど、
いろんな生き方が世の中にあるよねっていうところで、別に会社員ができないは会社員にならなければいいだけだと思うんですよ。
スポーツ不得意ですっていう人はスポーツやりません。会社員不得意ですっていう人は会社員やりませんっていうだけじゃないですか。
別に向き不向きの問題なので、無理して自分の向いてないやれないことをやる必要ないと思うんですよね。
でもなぜか会社員になる能力がない人は社会的には厳しいみたいになっちゃうと思うんですけど、
中山錦二君とか会社員としては酷いと思うんですよね。やたらパワーしか叫ばないし。
別にお笑いで笑いを取ってくれって言ったらそこまで取れないっていう微妙なところなんですけど、
でも中山錦二君もYouTuberとしては全然うまくいってるじゃないですか。筋トレの仕方とか教えたりして。
なのでどういう能力があってそれが社会に活かせるかどうかっていうので、
世の中としては僕すごい良い社会になってるなと思うんですよね。
料理研究家のリュウジさんが最近また炎上してましたけど、リュウジさんって料理を作り続けることができない人なんですよ。
厳密に言うとレストランとかで美味しいメニューを発明して、その美味しいメニューをレストランで同じメニューを作り続けるというのがレストランでの経営ってことなんですよ。
例えば僕がめちゃくちゃ美味しいペペロンチーノを発明しました。
そのめちゃくちゃ美味しいペペロンチーノを毎日作り続けるレストランを作ると、そこのお店は繁盛するんですよ。
でもリュウジさんってめちゃくちゃ美味しいペペロンチーノを発明はできるんだけど、同じものを毎日作り続けられないんですよ。
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なので2,3日ペペロンチーノ作ったら飽きちゃって、もう俺やりたくない、もう俺できないとかってなって酒飲み始めちゃうんですよ。
面白い美味しいレシピ、しかも簡単なレシピを思いつく能力がめちゃくちゃ高いんだけど、それを金にする能力っていうのが昔は社会になかったんですよ。
要するに美味しい料理を思いついてそれをやり続けられる人というのが飲食店という形でうまくいくんだけど、飲食店以外に料理を発明する能力というのを求められることがなかったんですよ。
ところがどっこいい、リュウジさんのバズレシピみたいので、簡単に作れて美味しい料理というのをインスタグラムで出しますとかYouTubeで出しますってやると、それだけで再生数が回って結構な収入になって、しかも知名度が上がってきたのでリュウジさんが出すカップラーメンですっていうと、
どんなのだろう食ってみたいのでめちゃくちゃ儲かるっていうような状態になったんですよ。これは社会の中でYouTubeのようなものだったりとか、インスタグラムのようなものだったり、SNSのようなものでこの人面白いよねっていう知名度が出来上がるという社会のインフラができたおかげでリュウジさんはめちゃくちゃ儲かるっていう状態だったと思うんですけど、
昭和に生まれてたら、たぶんなんかね、料理面白いこと言ってたまに料理すると美味しいけど飲んだくれの使えないやつっていうのだったと思うんですよ。っていうのがあるので、なので社会にとってこの人の能力っていうのが上手く歯車が噛み合う時と噛み合わない時っていうのがあって、なのでYouTubeとかSNSプラットフォームっていうのができた時は料理研究家っていう人たちはめちゃめちゃ上手くいくんですけど、
そこのプラットフォームがあるかどうかの問題だと思うんですよね。リュウジさんのもし興味があったらレシピ見てみてください。
実務とエンタメを実は分ける必要がなくて、エンタメも実務なんですよ。要するに会社員のやってる仕事は正しくて、ITとか巨業だよね、バブルだよねって言い方をされてたんですけど、実務って何っていうと結局金を儲けるかどうかなんですよ。
額に汗をしていない金儲けは良くないという思想はあるんですけど、基本的に金儲けをしてその金で給料をもらって空庁たちがいて社会を回すので、金を儲けること自体は法律に違反しない限り基本的には正しいんです。
テレビ局とかもエンタメなんですよ。出版社というのもエンタメなんですよ。メディアというのは基本的にエンタメです。エンタメを見ることで人が幸せになって毎日暮らしてて、そこで給料をもらって働いてる人がいて、というので社会もあるよね。
実際に人間にとって必要な産業は何かというと、一時産業二次産業だけで済んじゃうんですよ。要するに農業と工業だけで人間にできていけるよね。なので三次産業情報産業というのはなくても実は人類には必要ないよね。なくても何の問題もないよねっていう思想はあるんですよ。
でも今時じゃあ三次産業の情報産業、エンタメ産業とか海外旅行とかっていけませんって言って人は幸せに暮らせるのかっていうとなかなか厳しいと思うんですよね。なので人が幸せに生きていくという中ではエンタメ産業というのは結構重要な要素を占めているんじゃないかなと思っていて。
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これが何で重要な要素を占めていくかというと、僕は宗教が弱くなってるからなんじゃないかなと思ってるんですよね。ちょっとタイトルに戻っちゃうんですけど。要するに何が幸せかというのを教えるということを宗教がやらなくなってしまったので、結果として見て楽しいとか時間を潰してこの体験時間見ていたものは良かったよねっていうふうに思うものが結局エンタメ産業になっちゃったんですよね。
音楽好きですって言うと、音楽をエンタメとして聴いてる人がいると思うんですけど、イスラム教徒の人たちってお祈りをするときに、あれお祈りの元々の原文通りに言うんですよ。
キリスト教の場合って聖書って必ずその国の言葉に翻訳されていて、もともと多分ラテン語で書かれてるんですけど、でも日本の場合だと聖書って日本語で書かれていてアメリカだと英語で書かれてるっていう言葉が変わるんですけど、
イスラム教基本的には元々の言語で音楽として唱えるんですよね。
お坊さんとかがお葬式のときにハンニハラミッタ神経とかって言うんですけど、あれも元々のハンニハラミッタ神経っていうのがインドの方から来ましたっていうのは、音とリズムで木々をポンポン叩いてやるっていうので、実は宗教って元々は音楽だったんですよね。
その音楽で気持ちいいよねっていうところで、その中でただ実は歌詞としての教というものがありますと、それを聞いていくとこういう意味があるんだっていうので、色足跡で空足跡地で、世の中というのは全て無で、そこに物があると考えてもしょうがないんだよねみたいな、実は言ってること深いんだみたいなのが分かるみたいなので、
洋楽を聴いてる人達っていうのも、なんとなくかっこいいから聴いてるだけなんだけど、実際歌詞を聞いてみると、こういうことを言ってるんだ、この歌詞はイマジンってそういう意味なんだみたいなのが分かったりするみたいな感じで、その宗教って元々は音楽と音で、あまよくは歌詞の意味も知ってねみたいな感じで広まってたんですよ。
ところがそこの宗教から離れた音楽、純粋な音楽というエンターテインメントだったり、映像だったり映画だったりドラマだったりとか、あとバラエティ番組みたいなエンタメ性のものばっかりが来てしまったので、結局その宗教が弱くなっちゃったんですよね。
楽しむというのを宗教使わなくてもいいよねってなってしまったので、人はどう生きるべきとか、人は何を幸せを感じるべきかっていうのが、結局教える人達がいなくなってしまったんですよね。エンタメの場合は儲かればいいよねなので、なるべくかっこいいでしょ、じゃあこれ買ってくださいとか、面白いでしょ、じゃあこれサブスクリプションで課金してくださいみたいな感じになってしまうので、
なので、お金を払って何か気持ちよくなったんだけど、その後にはお金を払ったという事実しか残らなくて、果たしてそれが幸せのための階段を登っているのかっていうと、結構難しいっていう価値観になってしまうっていうのが現状なんじゃないかなと思うんですけど。
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僕は20代の頃と今で言ってる事全然違うと思うんですよね。僕は基本的には合理的で物事を考えるタイプなので、自分一人が幸せになるためにはこうした方がいいよねっていうのを言ってると思うんですけど、でも最近僕は社会にとってはこういう風な形の方が上手くいくよね、苦しむ人が少ないよねというのを言うようになってるので、
なので伝統宗教が大事だよねみたいなことを結構僕最近言ってるんですよね。
そういうおかしな信仰宗教が出てくるとか、生きていく上で幸せにならないとか、発達障害で暮らせないんだから社会に出れないじゃないかみたいな話もそうなんですけど、
それがなぜ発生するのかというと、社会に出て金を稼がないと人は生きる価値がないよねという価値観を資本主義が作ってしまったんですよ。
要するに資本主義というのは金を稼ぐのが正しいよねというものなので、じゃあ金を稼げないんだったらそれは資本主義として価値としてはゼロだよねっていう価値観になっちゃってるんですよ。
なんか俺は資本主義じゃねえやって言ってらっしゃる方いっぱいあるんですけど、でも本当にその資本主義の考え方を完全に抜けて物事を言えてる人ってあんまりいなくて、
お金を稼げない人っていうのは価値がないんだから、お金を稼げない人に対してお金を払うのは良くないよね、生活保護とかもお金を稼げないようなやつにあげるくらいだったらもうさっさと死んでしまって、
それをもっと有効に使った方がいいよねっていう風に資本主義、公立主義はなってしまうのですよ。
ただその行くつく先、もちろんその方が効率が良いし儲かるし、世界中もそうなってるんだから、じゃあそうやって戦わなきゃいけないんだっていう風に中期的には正しいと思うんですよ。
要は100年、200年くらいだとその公立主義で資本主義どっぷりの方が正しいと思うんですけど、僕は500年くらいするとそうすると人類絶滅するんじゃないかっていう説をちょこちょこ言ってるんですけど、
実は技術が進歩していくと何が起こるのかっていうので、3Dプリンターって皆さんご存知だと思うんですけど、
あれってその素材を入れてこういう形に作ってっていうのをポチッと押すと自動的に作るじゃないですか。今、リモートの3Dプリンターとかもあって、
3Dプリンター工場のところにデータだけ送って、出来上がって後で取りに行くっていうのが出来るんですよ。
今これがその3Dプリンターってプラスチックだったり鉄だったりとかっていうあくまでその構造物に対してやってるんですけど、
じゃあ3Dプリンター的なものが化け学で使えるようになったらどうなるでしょう。
例えば二酸化マンガンにオキシドールをかけると酸素が出てくるとかあるじゃないですか。
っていう感じで3Dプリンターの中に色々な要素を入れてそれを作ることによって薬品が出来るよねっていうのが作れるようになるとものすごく便利になると思うんですよ。
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要するにこの薬が欲しいよねっていうときに近くに薬の薬品工場とか薬局とかがないときに3Dプリンター的な薬品を生成する機械でポチッとボタンを押すともうそれで薬が出てきます。
便利じゃん。この先に起こり得ることというのは、じゃあ色々な薬品を生成することでめちゃめちゃ儲かるものを作ってくださいというのをAIでやりますと。
で、AIがいろんな薬品を作りますっていうのの中にいろんな薬品を作った中で儲かるとは何ぞやっているので、じゃあ何かの価値が高いものが儲かるというルールになると、じゃあめちゃめちゃ優秀な麻薬を作るとかの可能性があるんですよね。
タイマーじゃないな。例えばこれを飲んだ途端にめちゃめちゃ幸せになって1年間幸せを感じ続けて人間が動かなくなるみたいな薬品が仮にできてしまいましたと。
で、それはもう製造工程1円にもなりませんってなると、多分世界中の人1回は舐めちゃうと思うんですよ。
で、それ舐めちゃうと多分世界中の半数の人が壊れてしまうって1年ぐらいね。
っていうパターンとか、あとじゃあそのガザに住んでいますと。で、イスラエルから攻撃されています。
イスラエルに対して対抗するための薬品を作ってくださいっていうのをAIに入れて、そのAIが無味無臭で自然で分解されなくて、人が吸収した後にその半減しない毒ガスというのを作ります。
で、これを作ってイスラエルにばら撒いたら、イスラエルの人たちがバタバタと倒れるからガザは助かりますよっていうのをAIが勝手に作って、で、それをもうボンボン出しちゃうと。
で、それをじゃあそのイスラエルの薬品工場かなんかを、そのシステムをハッキングして、で、そこでそのなんかガスを作るみたいなのをやっちゃった時に、それがバカバカ世界中で広まってしまって人類死ぬっていうパターンがゼロかっていうと、僕そうじゃないと思うんですよね。
そういう絵がありそう。そのうちガザの人も死ぬんですよ。これがそのなんかモーカルなのかあいつを殺したいなのかわからないんですけど、そのめちゃめちゃ優秀な能力というのを人間が手に入れた後に、で、人間はある程度はそのコントロール可能なんですけど、でもなんか自殺する人の中で、その俺が死ぬんだったら世界が壊れた方がいいよねって考えるタイプの人っていうのもいるんですよ。
そういう人がじゃあなんか俺が死ぬくらいだったら世界なくなっちゃいポチって言ってそういうガスできちゃうっていうパターンだったりとか、あとそのAIが結局その効率よくめちゃめちゃ優秀にやるので、なのでそのじゃあ人類減らした方が環境はいいよねと。
なんでじゃあ石油のその中の満輸出量が、あと20年分ですってなると、じゃあ人口が半分になったら石油は40年分になるよねとか、じゃあ二酸化炭素が人類がこれだけいるから二酸化炭素がいるんだったら、人類が半分になったら二酸化炭素排出量も半分になるよね。
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じゃあ人類を半分にさせよう、そのためにはこれを作れば環境が守れるみたいなのをAIが勝手に動き出してそのいろいろやり出すっていう、そんな感じのターミネーターって映画が同じようなことやってるんですけど、っていう風になってしまうのは多分僕時間の問題だと思っていて、なので技術を進化させることというのが果たして人類にとって良いことなのかっていうとそうじゃないんじゃねえのみたいなことを思ってたりするんですよ。
なので人類が技術を進化させるというのを止めるためには、進化させなくてもいいよね、効率よくなくてもいいよねっていうので、頑張らなくてもいいし、人類は進化させなくてもいいよねという思想を作らないと人類は遅かれ早かれ滅亡するルールになってしまうんじゃないかなと思ってるんですよ。
なのでそのためには優秀じゃない人が生きれても幸せだよねとか、それなりに生きてて幸せだよねという方が、そういう思想自体をちゃんと人類の中に植え付けていかないと長期的には持たないんじゃないかなと思うんですけど。
なので環境を守った方がいいよね、そのためには人間がいろいろ努力しなきゃいけないよねというのはあるんですけど、でも人間が進化をしていく限り、やっぱり共有地の悲劇っていうのがあって、例えばうなぎという資源が限られています。
でもそのうなぎ食べたら美味しいよね、俺がうなぎ1匹食ったぐらいでうなぎ自滅するわけじゃないよね、じゃあ僕食べます、隣とも食べます。結果としてうなぎの資源量はどんどん減っていきます。
日本の近海の魚って大体資源量減ってるんですよ。どれだけ取ってもいいし、背面に取っていっぱい売っ払った方がいいよね。ヨーロッパとかの場合だと小魚取っちゃいけないよねとか、そもそも何トンまでしか取っちゃいけないっていう漁で規制してるんですよ。
要するにこの港ではサンマは10トンしか取っちゃいけません。なので10トン取ったら廃収量終わりなんですよ。なので漁に行ってめちゃめちゃいっぱい取ったとしたら、もう1年間取れないってなっちゃうんですよ。
でも10トンしか取らないんだったら毎年毎年サンマが増える減るっていうのがわかるんですよ。じゃあサンマが減ってるんだったら来年は9トンにしようという形でコントロールできるんですけど、
日本の場合って漁は期間で決めるんですよ。なので3月から5月だったら取り放題って言われると、もう船も持ってるから3月から5月の間に取れるだけ大量に取った方がいいよね。
それが子供でも卵を持ったメスでも何でもかんでも取りまくって2ヶ月で売った方が儲かるよねってなるので短期間に根こそぎ取る競争になっちゃうんですよ。
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結果としてもともとのサンマというのがどんどん減っちゃってるけど、でも知ったことじゃないよねっていうのが日本の漁のやり方なんですよ。
頭悪いなと思うんだけど、でも日本ってそのシステムなんですよ。水産庁がやってるんですけど。
っていうので割と頭の悪い人が頭の悪い仕組みでやってるんですけど、でも日本の中ではそれがおかしいっていう風になってないじゃないですか。
結果乱格と変わんないんですよね。要するに期限を3月から5月だけ取っていいっていう乱格なんですよ。
でも本来であればこの量を制限してやるべきなんですけど、量を制限しないといけない。
あと日本って流通しているカニの量と漁獲高でいくと流通しているカニの量が確か3倍とかかな。
生子とかに関していくと流通している量が10倍とかなんですよね。要するに密漁というのを平気でやるんですよ、日本の人たちって。
ロシアの人たちから取ってきたやつを買ったりとか、こっそり密漁して正規の量で取った風に見せるみたいなのをザラにやってるんですよね。
1.5倍とかそういうレベルじゃなくて3倍とか10倍とかやるんですよ。それが水産庁は止めようとしてないんですよね。
なのでそういうのを考えると、やっぱり金が儲かるといいよねっていう考え方っていうのはなかなか止められないんですよね。
要するに乱格してる人たちはそれで食ってるので、乱格止められたら俺たちウエジにしちゃうじゃん。
漁師の人たちとかが支持してる議員さんっていうのは、水産庁がそれ止めようとしたらふざけんなよ、俺たちは。
漁業に関わる人たちの人数が減ってしまうんですよ。要するに量の制限をすると。乱格してる分にはそれなりに取れるし、
今時だとガソリンの量も高くなってるんで、漁に行って魚を取ってもマイナス赤字なんだけど、でも関わる人間の量は多いんですよ。
結果として、1000人の人がほとんど利益のないものを働き続けてると、これを何とかしてくれよっていうので選挙入るんですよ。
そうすると議会議員ぐらいできちゃうんですけど、っていう感じでそこで国会議員が作られて、なるべくその人たちが食えるようにしようって形にしちゃうんですけど、
本来であればもうこれ1000人食わせられない産業だよね。なので漁師は100人に減らしましょう。100人に減らして取れる量というのも決めましょう。
取れた量の中で何とか回して、食えない人は別に転職してくださいっていう形にしなきゃいけないんですけど、
政治家というのは自分の知事基盤の人数が有権者が多ければ多いほど得するので、でも有権者が多くないと政治家にならないからね。
なのでむしろ人数が多くてひもじい産業の方が政治家としては権力を持ちやすいっていうのがあって、
なのでなるべくひもじい状況にして資源も減らした方がいいっていう構造になっちゃってますよね。
なのでマグロの逆量は減ったままですね。本マグロはなかなか取れないままですね。
っていうのもあったりするので、あとロシアからも金買ってますね。
なので非合理な仕組みだよねっていうので長期的には良くないよねっていう仕組みがあるんですけど、
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でもそれを変えるというのはなかなかできないので、資本主義とか政治というのはそういうもんだよねっていうのを考えながら人は死んでいくんじゃないですかね。
お金心理教をどうやって読めるかがすごく難しいんですよね。
結局資本主義、テレビとかメディアというのは基本的にはお金儲けでやってるので、
お金が正しいよね。お金を使うことが正しいよね。お金を出してくれるスポンサーさんには逆らえないよねっていう構造なんですよ。
なのでお金を使わないで幸せだよねとか、服買わない方がいいよねとか、なかなか言えないんですよね。
タワマンとか住まない方がいいですよねとかも大手メディアで多分流れることはないんじゃないかな。
僕ツイッターでちょこちょこ書いたんですけど、結局高層ビルに住むのは実は健康に悪いよねっていうのって結構いろんなところで、他の国の論文とかでも出てるんですよね。
なぜそれが健康に悪いのかっていうのは、まだ諸説分かれるんですけど、機密のせいであるとか微妙な揺れのせいであるとか、運動不足になるんじゃないかと言われてるんですけど、
統計的にはタワマン的なところに住んでる人ってやっぱり健康に良くないよねというのは割と出てはいるんですけど、
でもそれが大手メディアで流れることはないんですよ。不動産会社的に回すからね。
例えばキオスクの文句を書く出版社がないんですよね。あとコンビニの文句を書く出版社もほとんどない。
要するに雑誌ってコンビニとかキオスクで売られるので、そこを的に回すとマジで冷やがっちゃうんですよ。
なのでお金を稼ぐというのは大事だよねっていうのは社会の仕組みそのものなので、お金を稼がないお金を使わない方が幸せだよねという風な思想というのは、
営利企業のメディアを通してはなかなか流れないんですよね。
僕その都会に住もうとする人たちというのが実は社会にとって長期的には良くないんじゃないのみたいなツイッターで書いてあるんですけど、
みんながみんな東京で住もうとするとタワーマンのような非効率なものを作ってしまってイジコストにめちゃめちゃお金がかかってしまうというのがあるんですけど、
東京離れればそれなりに地価が安くて普通に人が暮らせる地域というのはあるんですけど、
じゃあなぜ人は都会に住もうとするのかというと人間が多いからなんですよ。人間が多いところに住もうとするから結局都会が過密になるんですけど、
東京に住むのを規制します。東京に住みたい人すいません。もうこれ以上住めませんってなるとしょうがないから他の地方に住むようになるんですよ。
他の地方でそれなりに人口の多いところに行く。例えば埼玉県の浦和に集まろうとか、都知事県の宇都宮に集まろうみたいな話で、
東京以外のところにそれなりに人数の大きい都市というのができて、そこでも人数が多くてそこでも演劇とかライブとかが行われるようになって、
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それなりに文化もあるから、じゃあ別に一生都知事県の宇都宮で暮らしてもいいじゃんっていう形で、
人は都知事県で生まれて都知事県で死ぬみたいな状況になれる可能性があるんですよ。
アメリカは割とそういう状況になっていて、自分の州で生まれて自分の州で死ぬ人っていうのが多いんですよね。
アメリカ人たしかパスポート持ってる人が2割とか3割とかそんな感じで、
アーカン総州で生まれた人はアーカン総州の大学に行って、アーカン総州の中で彼女を作って結婚して、
アーカン総州の中で子育てをして死んでいくっていう。各州の中で死んでいくっていうのが当たり前なんですよね。
アーカン総州のテレビ局でアーカン総州のテレビ番組を見て、アーカン総州のラジオを聞いて、
俺たちの生活ってこういうのだよね、ロサンゼルスとか大変そうだねみたいなことを言いながら、
ノキシタケで酒飲んで死んでいくっていう。もちろんロサンゼルスとかニューヨークみたいな、
世界中の人たちが集まって頑張りたいって言ってる州もあるんですよ。シアトルからワシントン州みたいなところももちろん頑張ってます。
そういうめちゃめちゃIT系の人たちが頑張って、金稼ぐぜ、でも生活費も高いぜっていう州もあれば、
テキサスみたいな税金めっちゃ安いです、でもその代わり殺されてもしょうがないです、警察少ないですからみたいな州もあれば、
アンカーストみたいになんもねっすみたいな、ルールもほとんどねっすみたいな、
実はアメリカって合衆国という仕組みなので、州ごとに法律が違うんですよね。
なので州ごとに税金も違うので、税金安くて楽なところに住みたいよねって人がいれば南部だったり中央部に行くし、
税金高くても便利なところに住みたいよねって人がニューヨークだったり東海岸だったり、
ロサンゼルスの西海岸だったりっていうところに住むっていうので、実は州ごとの政治システムの争いというのがあって、
政治システムごとの競争っていうのもあるんですよ。なのでアラバマ州よりテキサスの方が良いって言ったらアラバマの人口減っちゃうので、
アラバマはアラバマで、なるべくアリゾナはアリゾナなので人気になるような要素を作るって、
サンタフェみたいな金持ちが幸せになるようなところを作るみたいなのをやったりして、
政治システムの競争があるっていうのも割とアメリカの良いところなんですよね。日本ってどこ住んでも一緒なんで競争が起きづらいんですよ。
なのでどこ住んでも一緒だったら、じゃあ税金別にどこ住んでも一緒なんだから東京住んだ方がいいよねってなるんですけど、
アメリカの場合だと鳥取県住むとめちゃくちゃ税金安いとかなったりするんですよ。
それだったら別にリモートで仕事できるから、俺鳥取県に住んで安い税金で暮らしてもいいよねみたいな形で、
あと車大好きだったら高速道路をばんばん飛ばせ回すところがいいよねとか、警察ほとんどいないので自己責任のところがいいよねっていうのが、
もしくはロサンゼルスみたいなめちゃめちゃ車の渋滞してる時間中だと、本来であれば10分ぐらいで行けるところも40分かかっていきます。
でも僕は都会が大好きですっていう生き方もあると思うんですよ。
っていう感じで、いろいろな比較ができて、他のところを比べられるというのが、自分に合うものが選べるからいいんじゃないかなと思うんですけど、話長いね今日ね。