好む女性にお金を使う
以前、他の方の質問で、好む女性にたくさんお金を使った方がいい時、たくさん使っていたらお金の関係になってきた気がします。お金から恋人に強引でも持っていく。ひろゆきさんのお考えを教えてください。
いや、お金使わなければいいんじゃないの?
一切お金を使わない時に、相手が多少でも振り向いてくれたら、それは行為というものがあると思うので、まず行為があるかどうかを確認した方がいいですよ。一切行為がないのであれば、多分もうそれ以上お金を使っても行為には返還されません。なので、今まで使ったお金が多少の行為になっているかどうか確認した方がいいんじゃないでしょうか。
こんばんはいつも話をしています。ひろゆきさんの強い精神力が欲しかったのですが、生きることが辛いです。できることなら幸せになりたかったです。
好きな趣味とか見つけた方がいいですよ。ゲームをするとか、アニメを見るとか、映画を見るとか、本を読むとか。何か楽しい趣味を見つけて、それをひたすらやり続けるというので、仕事が辛いんだったら、とっとと辞めて生活をもらえばいいんじゃないでしょうか。
宗教ってなくならないのでしょうか。かつては必要だったし、今も発展途上国なのでまだ必要なんだろうと思うのですが、戦争や国同士での圧力の谷になるくらいなら、現代の政治国でも宗教から卒業したいのでは、もう終わりにしないと日本の閉塞国の私はすごく怒ります。
黒岩さんはどう考えますか。
僕も割と昔は宗教とか別になくてもいいんじゃないと思っていたんですけど、最近結構考えが変わってきたんですよね、僕。
たまたま先週に教育直後の話で安倍プラでもやったんですけど、人として何を幸せと思って生きるかというのを、成功しなくても幸せになることが可能になるという価値観を宗教以外が提供しているのを見たことがないんですよ。
中国とか日本とかっていうのが基本的に宗教のない国なんですけど、その宗教のない国の日本とか中国で、経済的に幸せではない人で、自分幸せだって胸張って言ってて、幸せそうだねっていう人っています?
宗教的な考えの強い国とかだと、神様の言われた通りにやっていて、家族も幸せだから特に何の問題もないです、僕はこの人生楽しかったですっていうのを素で言っている人がいて、そうだよねって宗教を信じている国の人はそう思うんですよ。
でも日本ってお金のない奴が幸せですって言ってても、周りの人は同意しないんですよね。負けず嫌いだねー的なのとか、負け惜しみだよねー的な感じで、お金がないと人は幸せになれないというのが多数派の価値観になってしまうんですよ。
要は、宗教がないという方がいいよね、じゃあ何も信じないというのに慣れるならいいんですけど、結果として人は生活をしなければならなくて、生活をするときにはお金が必要なので、宗教がない場合に、じゃあお金が大事だよねっていうお金強にならざるを得ないんですよ。
要は、人は何が大事だっていうのを決めて生きなければ生きられない人が多いので、神様との関係性が大事だよねーとか、神様との約束が大事だよねーがなくなると、じゃあお金が大事だよねってなっちゃうんですよね。
今のところ僕が観察している限り、日本とか中国とか、宗教をあまり信じていない人たちが何を信じているかというと、結局お金になっちゃうんですよ。
じゃあお金を信じるのと、金持ってるやつとか金稼いでるやつが偉いっていうので、どっちの方が幸せな人が多くなるか。
お金強の人たちのお金持ってるっていうのは、他の人と比べてお金を持ってるかどうかなんですよ。
年収400万円でも日本人の平均年収なんだから幸せじゃんって言っても、やっぱり幸せを感じられなくて、1000万円の人が年収1億円の人が見て、やっぱり俺ってもうちょっと上まで来たよねーとかになっちゃうんですよね。
なので結局お金持ってて幸せだって言う人って、たぶん本当に年収が3,4000万円以上の人ぐらいしかなれないと思うんですよね。
3,4000万円以上の人も10億円持ってる人には足りてないからムカつくみたいなこと思ったりしてるみたいなのがあって、絶対的に幸せになる人数がお金強は少なすぎるんですよ。
神様を信じてる人とかって神様を信じてるだけだから、ぶっちゃけ全員幸せになろうと思ったらなれるんですよ。
なんか俺信じてるし神様って思えば、あんた神様信じたよいい人生だったねおめでとうって言ってお葬式ってなっても、あの人は自分で神様信じるのが幸せだって言って死んだんだからそれでいいよねっていうので、周りの人もあの人幸せだよねってなるので、
その過半数の人が幸せになることが可能な価値観っていうのが、実は宗教しかないのではないかっていうのが今のところの僕の考えなんですよ。
お金と幸せ、生物のありのまま
その宗教を捨ててしまった以上は多分金持ちの10%ぐらいの人しか幸せになれなくて、9割の人が不幸になる。
イスラム教悪く言うわけではないのですが、フランスとかでじゃあその移民の3世の人たちがジハード的なテロをやったりとか、アメリカとかでテロをやったりとかって、やっぱりその信じるものというコミュニティがまずない。
要はその地元がないんですよね、移民の人たちって。で、あと割と原因の人がテロをやることがアメリカあるんですよ。
で、そういう感じで、どちらかというと昔ながらのコミュニティというのから外れた人っていうのが、頼るものがなくてもう破れかぶれになってしまえっていうので起きているテロというのがちょこちょこあるので、
昔ながらのコミュニティというのは宗教を使わないで維持できているという場合であればそれはそれでいいんですけど、あまりそういう成功例が大きな国家ではないので、田舎とかに行くと別に普通にあるんですけど、
なので都市部になってくると結局宗教を持たない国というのはなかなか脆弱になってしまい、でそのお金が余った結果、なんか生物としての基本から離れてしまったところに行ってしまうっていう。
これ結構語弊があると思うんですけど、ゲイの人とかLとかGの人とかは、バイセクシャルの人とかは別に好きにすればいいと思うんですけど、
生転換手術をするというのが普通であるという考え方というのが、僕はなんかちょっと一線を超えているのではないかなという気がしてるんですよね。
要するに生転換をするのが普通であるっていうのって、じゃあ整形をするのが普通であるになるし、じゃあ足が短いんだったら足へし折って伸ばすのも普通である。
本来の自分はこうではないのだというのを手術をすることが正しいのであるってなると、見た目もバンバン変えるべきだし、何か病気があるんだったらそれはどんどん切除していって改造していくべきだし、
移植とかもバンバンするべきだし、肌にシミがあるんだったらそれもバンバン手術をして綺麗な肌にするべきだし、無限にお金を使って体を改造するのが正しいという価値観を認めて、
一般数の人間が幸せになれるかっていうと結構微妙だと思うんですよね。金持ちは別にいいんですよ。バンバン金使って幸せになりましたはいオッケーです。でもそれって手術ができない人は不幸だよねっていう価値観を作るわけじゃないですか。
生物としてのありのままを受け入れてありのままの自分が楽しいよね、ありのままの自分が幸せだよねっていう、そのありのままを受け入れるという価値観にすべきだと思うんですよ。
見た目がオッサンでも男の子が好きですっていうのは別に僕同意のもとに恋愛するのであれば同性同士好きにすればいいんじゃないのって話で、見た目がオッサンだけど男が好きっていう人をじゃあそういう人なんですねって受け止めるのは僕はありのままを受け止めるだと思ってるんですよ。
女性のその遺伝子で生まれてきてでも女性が好きなんですってああそうなんですかそうですねふーんっていう話でそれが僕ありのままを受け止めるであってその生物学的なありのままを受け止めないっていう
なんか私はこれじゃないんだなので手術をして変えますっていうのが正しいという価値観はどうなのかなっていうなのでちょっとだから宗教ってあの聖典館を受け入れている宗教って僕が知る限りほとんどないんですよ
宗教から離れた人の不幸
まあキリスト教がようやくあの芸を受け入れるようになったんですけどでも聖典館までは確か受け入れてないと思うんですよねなのでその宗教なんかその宗教的な古臭い考えが古臭いから正しいというわけではないんですけど
そのある種その生物として長期的に生きていく上で効率的な知恵というのが宗教という考え方によって集約されているのであればそこから離れた人たちというのは最大多数の最大幸福を達成できなくなっているのではないかっていう
なので結局その宗教から離れた人たちがあんまり幸せになってないというのを見るとその子供の自殺が多いとか日本人自殺多いよねとかその先進国で宗教がない国の人ほど自殺が多いですよね
キリスト教とか自殺しちゃダメだよって言ってると国の宗教なのでキリスト教徒って基本的にはあんまり自殺しないんですけど
なのでなんかその宗教から離れていけば離れていくほど人は割と不幸になっていくというのが現実としては観察されているので
なんか宗教みたいななんかどうでもいいことに縛られてなんか豚肉食えねえとか牛食えねえとかってなんかおかしくねえとかと思ってたんだけど
でもなんかそういうその宗教的なものというのを信じるということは結果として多くの最大多数の最大幸福を達成させる価値観なのではないかなというふうに最近の僕は考えています
これがねなんかねこうなんだよって断言できるほどの根拠はないんですけどなので反論があれば反論聞きたいですむしろ
伝統仏教は僕も割と伝統仏教好きなんですけどなのでその仏教って他のキリスト教とかイスラム教とかって異神教なので他の宗教認めないですけど
仏教って他の宗教結構どうでもよく受け入れるんですよで日本で神教っていう宗教がもともとあったんですけど
七福神って言われるところの国の神様とかその美車門店とかが美車門店がカーリーだったかな
女の人が美酒ので
大黒店とかが誰だっけ要するに七福神って言われてる人って大体貧通教の神様だったりするんですよね
っていう感じで割り段の他の宗教もそのまま受け入れてしまうっていう謎の宗教なんですよあの神教って
なのでその仏教も他の宗教気にしないっていうのがあるのであ美しいのだっけあれパールバティだけどっちか忘れちゃった
なのでそんな感じであの他の宗教も好きにすればいいんじゃないのっていうそこらへんなのでどうでもいい許さが僕は割と好きだったりするので
なのであのそういう意味でそのどちらかというとその昔ながらの神教だったり仏教だったりっていうそのあの一神教じゃない多神教の宗教の方が
なんか人を幸せにする割合は高いんじゃないかなというビール今日の日もいますね
宗教に入っていてもお金には執着するんだともちろんお金の執着自体は変わらないんですけどただお金がなかったとしても
幸せだよねっていうのを自分も周りも受け入れる価値観を持っているということが大事なんですよ
お金がなくても暮らせるわっていうほどの強さが手に入れるわけじゃないですけどでもなんか宗教的にきちんと
その生活をしていて家族もいて死ぬ時に周りが家族が囲んでくれて死にましたでも貧乏だったけどでも楽しかったよねっていうのを
いやあのおじいちゃんなんかあの幸せそうでよかったよね貧乏だったけどっていうのって多分宗教じゃないとみんなが同意できないんですよ
宗教の重要性
そのなんか俺は貧乏で幸せなんだって言っててもなんかいやそれ負け惜しみじゃねえのっていうのがやっぱ資本主義教の人は思っちゃうんですよね
なのでそのお金がなくてもあったほうがいいよねみんなそうなんですけどなくてもなんか幸せであることというのを
結構みんなが同意してくれるというのはやっぱり宗教があるからではないかなと思うので
なのでなんかそのなんかそれだからみんな宗教に入れというつもりはないんですけど
ただなんか宗教というものの大事さというのはもうちょっと再認識されてもいいのではないかなと最近は思いました
台湾系アメリカ人の元からが荷物を返してきたのですが私のすべてのビキニの下着がなくなっていました怖いです
そういう趣味の方だったんですねそういう人と付き合っていたっていうのを見受けなかった自分自身の何かその元力の無さを恨んでみてください